白土三平
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白土 三平(しらと さんぺい、男性、1932年2月15日 - )は、東京都出身の漫画家。
本名は岡本登。父親はプロレタリア画家の岡本唐貴。実妹は絵本作家の岡本颯子。
幼少時は父の活動により各地を転々とする。戦後、東京で紙芝居と出会うが、業界が衰退。少女漫画家・牧数馬のもとで漫画の技法を学び、1957年、『こがらし剣士』(単行本)でデビュー。以降、貸本業界で活躍する。1959年に描かれた『忍者武芸帳 影丸伝』は唯物史観に裏付けられた作品ということで、当時の学生、知識人に大きな影響を与え、「漫画評論」を生む一因となった。
白土三平の忍者漫画で使用される忍術には、実際可能であるかはともかく、科学的な説明と図解が付くのが特徴であり、それまでの忍者物と一線を画するものであった。
漫画雑誌『ガロ』は代表作『カムイ伝』を連載するために自身の資金で創られた。白土はこの作品連載のため、制作にプロダクション制(名称:赤目プロダクション)を取り入れた。赤目プロダクションでは小島剛夕が『カムイ伝』前半の作画を担当し、後半以降は弟の岡本鉄二が作画の中心となっている。
時代物、忍者物が作品の中心であったが、雑誌『ビッグコミック』に『神話伝説』シリーズを連載し、新たな境地を開いた。
『カムイ伝第二部』からは、岡本鉄二が作画者としてクレジットされるようになった。
現在『カムイ伝第三部』の構想が進んでおり、連載開始が待たれている。
目次 |
[編集] 作品
[編集] 漫画(主要なもの)
- 忍者旋風シリーズ(1959年-1966年)
- 忍者武芸帳 影丸伝(1959年-1962年)
- シートン動物記(1961年-1964年)
- サスケ(1961年-1966年)
- カムイ伝(1964年-1971年)
- ワタリ(1965年-1966年)
- カムイ外伝(1965年-1967年)
- 神話伝説シリーズ(1974年-1980年)
- 女星シリーズ(1979年-1981年)
- カムイ外伝第二部(1982年-1987年)
- カムイ伝第二部(1988年-2000年)
[編集] エッセイ
- 白土三平 フィールド・ノート1 「土の味」(1987年 BE-PAL BOOKS)
- 白土三平 フィールド・ノート2 「風の味」(1988年 BE-PAL BOOKS)
- 白土三平 野外手帳(1993年 小学館ライブラリー OUTDOOR EDITION)
月刊誌『BE-PAL(ビーパル)』(小学館)に連載されたエッセイ『白土三平フィールド・ノート』(連載1983年6月号-1988年3月号)の単行本。『白土三平 野外手帳』は絶版となった『土の味』『風の味』二冊を纏め出版されたもの。
- 白土三平の好奇心1 「カムイの食卓」(1998年 Lapita Books)
- 白土三平の好奇心2 「三平の食堂」(1998年 Lapita Books)
月刊誌『LAPITA(ラピタ)』(小学館)に連載されたエッセイ『白土三平の好奇心』(連載1995年冬号-1999年3月号)の単行本。
[編集] テレビアニメ
- 少年忍者 風のフジ丸(全65話/放映期間1964年6月7日-1965年8月31日)
- 『忍者旋風』(風魔忍風伝)が原作の東映テレビアニメ。モノクロ放送(一部カラー放送あり)。NETテレビ(日本教育テレビの略、現在のテレビ朝日)。スポンサーは藤沢薬品(主人公の名前がフジ丸になったのは、藤沢薬品の一社提供であったため)。キャラクターデザインは楠部大吉郎。放映に併せ久松文雄による漫画も連載された。放映中二回劇場アニメ映画化。制作の東映動画はキャラクター権独占のため、第29話以降白土三平を原作から外している。よってこれ以後白土三平は自作品の映像化に対し反応を厳しくする。
- サスケ(全29話/放映期間1968年9月3日-1969年3月25日)
- TCJ制作のテレビアニメ。カラー放送。TBSテレビ。スポンサーは森永製菓。TCJの高橋茂人による白土三平説得により実現。放映に併せ『サスケ(リメイク版)』を『少年サンデー』に連載(1968.7-1969.5)。1968年9月からは『サスケ(絵物語版)』が『小学一年生』で、久松文雄による『サスケ(絵物語版)』が『小学二年生』で連載された。
- 忍風カムイ外伝(全26話/放映期間1969年4月6日-1969年9月28日)
- エイケン制作のテレビアニメ。カラー放送。フジテレビ。企画は高橋茂人の瑞鷹エンタープライズ。原作は20回分までしかなく、白土三平による人物設定、田代淳二による脚本で後半6回分が制作された(これを再編集したものが映画版であり、1982年に白土三平自身による漫画化もされている)。初期製作資料によると放映第1話の前に幻の第1話「抜け忍(伊賀赤目の滝)」があった。当初の計画では『忍者武芸帳』のアニメ化であり、また次期として『ワタリ』が予定されていたが実現せず(両方共パイロットフィルムは存在)。後番組は『サザエさん』。
[編集] 映画
- 少年忍者 風のフジ丸 まぼろし魔術団(1965年3月公開)
- 少年忍者 風のフジ丸 少年忍者大猿退治(1965年7月公開)
上述の同名テレビアニメの映画化。実際この映画と白土三平・作品との関係は薄い(一作目のみ原作としてクレジットされている)。
- 大忍術映画ワタリ(1966年7月公開)
特撮実写映画。この作品公開後、東映初のカラーテレビ特撮時代劇として続編が作られる予定であったが、映画をみて納得のいかなかった白土三平が拒否、急遽横山光輝原作の『仮面の忍者赤影』(1967.4-1968.3)となった。『仮面の忍者赤影』には『大忍術映画ワタリ』の主人公役だった金子吉延が青影として出演。
- 忍者武芸帳(1967年2月公開/監督大島渚)
短編映画『ユンボギの日記(1965年)』(大島渚がスチル写真をフィルムに撮り制作)と同じ手法で制作される。企画があがった当時『忍者武芸帳』の原稿は完全には残っていなかった。そのため原稿紛失分を小島剛夕が貸本印刷物からトレース、全原稿が完成したところで撮影に入った(撮影は1966年5月までに完了)。当初は1966年5月公開の予定であったらしいのだが、監督による編集の拘りで約一年遅れての公開となった。この間、1966年8月から1967年1月にかけて小学館から単行本が発刊されている。
- 忍風カムイ外伝劇場版「月日貝」(1970年8月公開)
上述の同名テレビアニメの映画化。テレビアニメの第21話から第26話(最終話)までを再編集・一部追加し制作されたもの。
[編集] 師匠
- 牧数馬