石川浩司
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石川 浩司(いしかわ こうじ、1961年7月3日-)は、元・バンド『たま』のメンバーであったミュージシャン。群馬県富岡市出身。東京農業大学第二高等学校卒業、和光大学中退。
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[編集] 経歴
父は東大卒の国家公務員(I種・キャリア)、母は美智子皇后の学友というハイソな家庭に長男(他に弟が二人)として出生しながら、父が"転勤族"状態であったため、幼少時より国内各地を転居せざるをえなかった環境が災いしたか中・高時代から不登校に陥り、同時に音楽や文化へ傾倒。和光大学中途退学を機に本格的に音楽活動を始め、知久寿焼、柳原陽一郎(当時・幼一郎)と相次ぎ知り合う。(詳細はたまの項目を参照されたい)
TBS系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国』出身バンド(イカ天バンド)の代表格『たま』のパーカッショニストとして活動(時々ドラマーと呼ばれるが誤り)。太鼓の他に湯桶や鍋などを打楽器として使い、その音楽はシュールな歌詞に、アコースティックなサウンドを合わせた個性的なものだった。彼らの代表的ヒット曲『さよなら人類』で1990年のNHK紅白歌合戦にも出場。ファーストアルバム『さんだる』(1990年5月発売)は彼らの代表作となる。
画家山下清を描いたテレビドラマ・花王名人劇場(後の花王ファミリースペシャル)『裸の大将放浪記』の主演俳優・芦屋雁之助の坊主頭でランニングシャツ(タンクトップ)に半ズボンの服装と類似していたため、通称「たまのランニング」と呼ばれた(命名はダウンタウン)。本人によれば、毎回ライブ中に暑くなって服を脱ぎ、最後にはシャツ一枚になってしまうので、始めからランニング姿でライブに出るようになった、との事。
その後も地道にバンド活動を続けていたが、2003年10月バンド解散、新しい活動を模索。『たま』メンバーであった知久と共に、15人編成の音楽ユニット『パスカルズ』に参加・活動している。日本では無名なものの、フランスではタウン紙に紹介されたり、音楽チャートで1位になるなどの人気を獲得している。また2003年11月、ファーストソロアルバム『おいしいうそがいっぱい』発表。
音楽活動のほかに、雑誌でのエッセイ連載や、書籍なども数冊執筆。その個性的なキャラクターで『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』『たけしの誰でもピカソ』などのTV番組出演、また映画『害虫』をはじめ、いくつかの映画・舞台に役者として参加している。また空き缶コレクターとしても一部で知られており、自分がこれまでに飲んだドリンク類の空き缶を約2万本ほど自宅に所蔵している。その数は非公認ながらおそらく世界一。
貸し箱ギャラリーの先駆けと言われているアートショップ「ニヒル牛」(西荻窪)のプロデューサー。
[編集] CD
※たま時代の作品についてはたまの欄を、パスカルズについてはパスカルズ公式HP内を参照されたい。
- おいしいうそがいっぱい(純粋な石川単独の作品)
- ホルモン鉄道(石川と北陸地方でインディーズ活動する歌手大谷シロヒトリ(現・大谷氏)との共同制作)
[編集] 書籍
- イラスト図鑑 インスタントラーメン
- すごろく旅行のすすめ
- すごろく旅行日和
- おとなのなぞなぞ ~Riddle For Adult~
- 「たま」という船に乗っていた
[編集] 外部リンク
- 石川浩司のひとりでアッハッハー
- PASCALSのファンクラブ(パスカルズ公式サイト)
- ニヒル牛ホームページ
カテゴリ: 日本のミュージシャン | 日本のパーカッショニスト | 1961年生 | 群馬県出身の人物