三宅裕司のいかすバンド天国
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三宅裕司のいかすバンド天国(みやけゆうじ - ばんどてんごく)は、TBS系列で放送された深夜番組「平成名物TV」の1コーナー。1989年2月に始まり、1990年12月に多くのバンドを輩出して幕を閉じた。
「イカ天」が公式な通称であるために「イカすバンド天国」と誤記されることが多いが、「いかす」をひらがなで書くのが正式な表記である。
目次 |
[編集] 番組概要
毎週土曜深夜に10組(第1回、第2回は12組)のアマチュアバンドが登場し、審査員によってチャンピオンが選ばれて、前回のチャンピオンバンドと競演して勝った方がイカ天キングとなる。5週連続でイカ天キングとなったバンドは、グランドイカ天キングとなり、メジャーデビューが約束された。
だが、番組当初にはメジャーデビューへの道という話は全くなく、グランドキングになれば48チャンネルのスタジオを借り切って録音ができ、番組でPVを制作してもらえるというだけであった(その後、番組の人気とともにスケールアップしていく)。したがって出場バンドの中には、ベンチャーズやグループサウンズのカバー、あるいはプログレッシブ・ロックを演奏する懐古主義的バンドも少なくなく、かつて存在した同様の番組勝ち抜きエレキ合戦に出場経験のある中年男性バンドという古強者も登場し、そういうものも含めた学園祭的なにぎやかさも番組制作のねらいの一つであったという(この番組の審査員にベンチャーズ研究家の萩原健太やプログレッシブ・ロックの世界で神格化された難波弘之が名前を連ねていたのも理由の一つであろう)。
この番組は当時爆発的な人気を呼び、バンドブームの火付け役となった。そしてその人気は、1989年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞するまでに至った。1990年1月1日には、日本武道館において、前日の日本レコード大賞のセットをほぼ流用するような形で、「輝く!日本イカ天大賞」が行われた(これの放送は翌日1月2日、23:15~25:15)。
司会は三宅裕司と相原勇(バンドが登場する直前の『次のバンドはこのバンドだいっ!』というフレーズも人気に)、ナレーションは関口伸。プロデューサーは元スペクトラム・KUWATA BANDの今野多久郎、収録スタジオは日比谷シャンテTBSスタジオ(地下1階)。三宅の名を冠しているため、実質上の冠番組と言えよう。
しかし、1990年、二年目に突入し審査員が交代して以降は番組開始当初のような楽しさが薄れたと言われ人気は芳しくなく、またレコード会社の商業戦略に使われるなどして、登場バンドの青田買いが進んだ結果アマチュアミュージシャンたちに敬遠されて出演バンドのレベル低下を招き、バンドブーム熱の降下とともに番組は終了した。
[編集] イカ天キングとは
イカ天キングとチャレンジャー賞受賞者との対決で、7人の審査員の多数決で決まる。丸(金色)のキングの札(イカ審棒と呼ばれた)が4人以上なら勝ち抜き、四角(焼肉の網を模した形)のチャレンジャーの札が4人以上なら新キング誕生(キングには1週勝ち抜くごとに10万円の賞金が出た)。キングとなった週を含め、5週勝ち抜きでグランドイカ天キングとなる。ちなみに初期放送での札は、どちらも丸(青と赤で色分け)であった。この当時の審査員席は焼肉を焼くホットプレートのような卓の周りを五人が囲んで座るといった体裁であった。
なお、キングのグランドキング挑戦の週には強力なチャレンジャーがぶつけられることがセオリーとなっており、FLYING KIDSをあわやというところまで追い詰め、仮キング繰り上げがあればと惜しまれるKUSU KUSU(人気投票連続11週1位)、たまとマルコシアス・バンプの対決など名勝負や、圧倒的な実力差でBEGINがNORMA JEANのグランドキングを阻止した際のラッシャー木村の「耐えて燃えろ!」などの名言を生んでいる。
グランドキング誕生の次週はキング不在となるため、チャレンジャー賞の受賞者が仮イカ天キングとなる。この措置の適用を受けたバンドにはパニック・インザ・ズゥ、カブキロックスなどが存在する。3代目グランドキング誕生のたまの週チャレンジャーとして挑み敗れたマルコシアス・バンプは最もよく知られている例であり、また仮キングからグランドキングまで勝ち上がった唯一の例である。ちなみにこの仮キングの週数は勝ち抜き週数にカウントせず、賞金も無し。次週で勝てば晴れて正キングとなり、負ければ仮のままで終わる。
[編集] 主な賞など
- チャレンジャー賞
- イカ天キングへの挑戦権獲得、賞品は「焼肉屋ご招待」だった。ただし出場者が総崩れの場合出なかったこともある。1990年11月17日放送では、チャレンジャー賞が“該当者無し”となり、当時のイカ天キングGLUの信任投票という形となった。
- ベストボーカル賞
- ベストプレイヤー賞
- ベストキャラクター賞
- ベストコンセプト賞
- ベストスピリッツ賞
- 特別審査員賞(ゲスト審査員が選ぶ)
- 在宅審査員賞(音楽業界関係者等がFAX等で投票、票数が最も多かったバンドに贈られる)
- チャレンジャー賞と他の賞を同時に受賞したバンドもいる。
[編集] 「完奏」と「ワイプ」
審査員席には、赤と青の2つのランプがあり、「もう見たくない」と思った時には赤ランプを押す。赤ランプが2つ点くと「ワイプ」となり、演奏中の画面が小さくなる(演奏時間の記録も赤2つ点いた瞬間までのものとなる。7つ全部赤が付くと演奏画面が消える)。3分間ワイプを受けずにいられたら「完奏」。ただ、ワイプになってももう少し見たいと思った時には青ランプを押す。すると演奏中の画面が再びいっぱいに戻る(ただし完奏扱いにはならず)。最速ワイプ記録は九州ASHの14秒。 [1]登場時にふざけすぎて審査員の反感を買い、演奏前に赤ランプがついてしまったケースもある。 またワイプをかわすため、わざと短い曲を作って挑むチャレンジャー(1989年6月17日に1分30秒で完奏したバンド「近親憎悪」)も存在した。 ちなみに、キングはワイプの対象にならない。
[編集] イカ天内のコーナー
- ロックロックこんにちは (ロックやイカ天出身バンドを中心とした最新の音楽情報など)
- バンドストッククラブ (『アマチュアバンドベスト10』や、アマチュアバンドのライブ情報など。元ジューシィ・フルーツのイリア(奥野敦子)が一時期レギュラー出演。)
- プロバンドベスト20 (アマチュアバンドベスト10と同様に、視聴者からの投票で決定していた。)
- FAX TIME (在宅審査員から送られたFAXを紹介。FAX審査員には「吉田建さん、注文していたロンドンブーツ手に入りましたよ!」 と私信を送ったことで有名な雑誌編集者メタルウサギ、林真理子などがいた。)
[編集] 番組セット
- セットは和風を基調としていたようである。バンドが登場する入口は障子(ナレーターがバンド紹介をしている間はスタジオが暗くなって障子の後ろから照明が当たり、障子越しにシルエットが映るようになる)、障子の上には『平成』と書かれた額が掛かり、その両側は木目調が主の壁となっていた。
- 障子の右側が審査員席、更にその右側が今野多久郎ら『バンドストッククラブ』コーナー出演者が座る席でその後ろには在宅審査員の氏名・団体名・レコード会社名の札が掛かって視聴者からのはがきと鹿の頭が飾られていた。
- 壁にはほかにその週出場のバンドの名前が貼られたホワイトボードが掲げられており、完奏するとバンド名の後ろに「完」のシールが貼られた。
- TVカメラの後ろ側には雛壇状に出場バンドの席が並び、更にその後ろには週ごとに替わるスローガンを書いた横長の垂れ幕が掲げられていた。イカ天キングが座る席は雛壇の席より更に前に置かれ、赤い布を掛けた丸い卓に横長の椅子という茶店のような感じのもので、お茶とどら焼きなどのお菓子が振る舞われていた。
- 因みに垂れ幕のスローガンの内容は季節の話、年中行事にロッカーの生き様などを引っ掛けて作ったような文言が多く、中には1989年7月23日に行われた第15回参議院議員通常選挙や、当時の宇野宗佑首相の女性スキャンダルをネタにしたものもあった。スローガンの内容が実現したかのような、あるいはスローガンと反対の皮肉な出来事が起こることも多々あった。
[編集] 歴代イカ天キング
[編集] 1989年
- 初代:SLUT&SLASH BAND(2週勝抜、1989年2月11日~18日)
- キング獲得週の完奏者:わがままジュリエット/福田眞純(& SUPER MILK)/SLUT&SLASH BAND/BIZ/LOVE&PEACE(1989年2月11日)
- チャレンジャー:The Golden Eggs(1989年2月18日 スコア:不詳)
- キング獲得週の完奏者:わがままジュリエット/福田眞純(& SUPER MILK)/SLUT&SLASH BAND/BIZ/LOVE&PEACE(1989年2月11日)
:GEN(1989年2月25日 スコア:0-5)
- 2代目:GEN(1週勝抜、1989年2月25日)
- チャレンジャー:FLYING KIDS:(1989年3月4日 スコア:2-3)
- 3代目:FLYING KIDS(5週勝抜、初代グランドイカ天キング、1989年3月4日~4月8日)
- チャレンジャー:たるい正太郎with the bankers(1989年3月11日 スコア:不詳)
- チャレンジャー:たるい正太郎with the bankers(1989年3月11日 スコア:不詳)
:GROOVY HEELS(1989年3月18日 スコア:不詳)
:アンダーテイカー(1989年3月25日 スコア:不詳)
:KUSUKUSU(1989年4月8日 スコア:4-3)
- (仮キング:パニック・イン・ザ・ズゥ、1989年4月15日)
- チャレンジャー:イエロー太陽s(1989年4月22日 スコア:3-4)
- 4代目:イエロー太陽s(1週勝抜、1989年4月22日)
- チャレンジャー:RABBIT(1989年4月29日 スコア:3-4)
- 5代目:RABBIT(3週勝抜、1989年4月29日~5月13日)
- チャレンジャー:はなわか(1989年5月6日 スコア:不詳)
- チャレンジャー:はなわか(1989年5月6日 スコア:不詳)
:COR-SEZ(1989年5月13日 スコア:不詳)
:JITTERIN'JINN(1989年5月20日 スコア:3-4)
- 6代目:JITTERIN'JINN(1週勝抜、1989年5月20日)
- チャレンジャー:セメントミキサーズ(1989年5月27日 スコア:2-5)
- 7代目:セメントミキサーズ(3週勝抜、1989年5月27日~6月10日)
- チャレンジャー:風来坊(1989年6月3日 スコア:不詳)
- チャレンジャー:風来坊(1989年6月3日 スコア:不詳)
:爆撃ロマンタイムス(1989年6月10日 スコア:不詳)
:突撃ダンスホール(1989年6月17日 スコア:不詳)
- 8代目:突撃ダンスホール(1週勝抜、1989年6月17日)
- チャレンジャー:ダイヤモンズ(1989年6月24日 スコア:不詳)
- 9代目:ダイヤモンズ(1週勝抜、1989年6月24日)
- チャレンジャー:宮尾すすむと日本の社長(1989年7月1日 スコア:不詳)
- 10代目:宮尾すすむと日本の社長(3週勝抜、1989年7月1日~29日)
- チャレンジャー:ハイポジとハボハマニア(1989年7月22日 スコア:不詳)
- チャレンジャー:ハイポジとハボハマニア(1989年7月22日 スコア:不詳)
:THE WEED(1989年7月29日 スコア:不詳)
:NORMA JEAN (1989年8月5日 スコア:3-4)
- 11代目:NORMA JEAN(4週勝抜、1989年8月5日~26日)
- チャレンジャー:GROUND NUTS(1989年8月12日 スコア:6-1)
- チャレンジャー:GROUND NUTS(1989年8月12日 スコア:6-1)
:鬼松&BEESKNEES(1989年8月19日 スコア:4-3)
:BE(1989年8月26日 スコア:4-3)
:BEGIN(1989年9月2日 スコア:1-6、初のグランドキングチャレンジ阻止)
- 12代目:BEGIN(5週勝抜、2代目グランドイカ天キング、1989年9月2日~30日)
- チャレンジャー:ヴィンテージ(1989年9月9日 スコア:不詳)
- チャレンジャー:ヴィンテージ(1989年9月9日 スコア:不詳)
:C-BA(1989年9月16日 スコア:5-2)
:アンビリーバブル・ワールド(1989年9月23日 スコア:5-2)
:PSYCHO(1989年9月30日 スコア:6-1)
- (仮キング:カブキロックス、1989年10月14日)
- 仮キング獲得週の完奏者:A★VANT-GARDE/THE SAKURA/突然段ボール/FAMOUS SECRET/T-UP/カブキロックス(1989年10月14日)
- チャレンジャー:サイバーニュウニュウ(1989年11月4日 スコア:不詳)
- 13代目:サイバーニュウニュウ(1週勝抜、1989年11月4日)
- チャレンジャー:たま(1989年11月11日 スコア:2-5)
- 14代目:たま(5週勝抜、3代目グランドイカ天キング、1989年11月11日~12月9日)
- チャレンジャー:トライデント(1989年11月18日 スコア:7-0)
- チャレンジャー:トライデント(1989年11月18日 スコア:7-0)
:坂本プロジェクト(1989年11月25日 スコア:不詳)
:タイムレス・チルドレン(1989年12月2日 スコア:不詳)
:マルコシアス・バンプ(1989年12月9日 スコア:4-3、より正確には4-2+1)
- 15代目:マルコシアス・バンプ(仮キング→5週勝抜、4代目グランドイカ天キング、1989年12月9日~1990年1月20日)
- チャレンジャー:LAZY BLUE(1989年12月23日 スコア:7-0)
- チャレンジャー:LAZY BLUE(1989年12月23日 スコア:7-0)
:INNSOMNIA(1989年12月30日 スコア:7-0)
:The 54's(1989年1月6日 スコア:7-0)
:Here is Eden(1990年1月13 スコア:7-0日)
:タッケナー・アンサンブル(1990年1月20日 スコア:6-1、実質は7-0?)
[編集] 1990年
- 16代目:Stone Crazy(仮キング→2週勝抜、1990年1月27日~2月10日、ブルース系のグループ)
- チャレンジャー:遊星ミンツ(1990年2月3日)
- チャレンジャー:遊星ミンツ(1990年2月3日)
:チャンネル(1990年2月10日)
:THE BOOTS(1990年2月17日)
- 17代目:THE BOOTS(4週勝抜、1990年2月17日~3月10日、ファンク系バンド)
- チャレンジャー:トゲオ(1990年2月24日)
- チャレンジャー:トゲオ(1990年2月24日)
:JHAMARK&The Soul Shakers(1990年3月3日)
:OLYMPICS(1990年3月10日)
:RAMBLE-FISH(1990年3月24日、2度目のグランドキングチャレンジ阻止、初の地方出身キング誕生、スコア:2-5)
- 18代目:RAMBLE-FISH(3週勝抜、1990年3月24日~4月7日)
- チャレンジャー:スケアリィ・モンスターズ(1990年3月31日 スコア:5-2)
- チャレンジャー:スケアリィ・モンスターズ(1990年3月31日 スコア:5-2)
:The Rudie(1990年4月7日 スコア:4-3)
:LITTLE CREATURES(1990年4月14日 スコア:0-7)
- 19代目:LITTLE CREATURES(5週勝抜、5代目グランドイカ天キング、1990年4月14日~5月12日。キング在位中に審査員の交替があった)
- チャレンジャー:THE COKES(1990年4月21日)
- チャレンジャー:THE COKES(1990年4月21日)
:The TRUMPS(1990年4月28日)
:ROCKSxxx(1990年5月5日)
:SOLID BOND(1990年5月12日 スコア:4-3)
- 20代目:SOLID BOND(仮キング→1週勝抜、1990年5月12日~19日)
- チャレンジャー:アース・ウィンド・アンド・ファイターズ(1990年5月19日)
- チャレンジャー:アース・ウィンド・アンド・ファイターズ(1990年5月19日)
- 21代目:LAMPA(4週勝抜、1990年5月26日~6月16日)
- (※SOLID BOND辞退のため、チャレンジャー賞がそのままキングとなる異例の措置)
- チャレンジャー:LAMPA(1990年5月26日、チャレンジャー → 不戦勝)
:MILK OF PARADISE(1990年6月2日)
:梅ジェラ(1990年6月9日 スコア:4-3)
:Ga-rcia(1990年6月16日 スコア:4-3)
:悪名エレキショー(1990年6月30日 スコア:0-7、3度目のグランドキングチャレンジ阻止)
- 22代目:悪名エレキショー(1週勝抜、1990年6月30日、大阪出身。同郷のLAMPAを倒してキングとなる)
- チャレンジャー:ジョリーロジャー(1990年7月14日)
- チャレンジャー:ジョリーロジャー(1990年7月14日)
- 23代目:ジョリーロジャー(1週勝抜、1990年7月14日)
- チャレンジャー:COLLAGE(1990年7月28日)
- チャレンジャー:COLLAGE(1990年7月28日)
- 24代目:COLLAGE(1週勝抜、1990年7月28日)
- チャレンジャー:BLANKEY JET CITY(1990年8月4日)
- チャレンジャー:BLANKEY JET CITY(1990年8月4日)
- 25代目:BLANKEY JET CITY(5週勝抜、6代目グランドイカ天キング、1990年8月4日~9月8日)
- チャレンジャー:有機生命体(1990年8月11日。1989年8月12日にも出場、再チャレンジ)
- チャレンジャー:有機生命体(1990年8月11日。1989年8月12日にも出場、再チャレンジ)
:So What!(1990年8月18日)
:ウェザーコックス(1990年8月25日)
:CHICK BE(1990年9月8日)
- (仮キング:P-MACHINE、1990年9月15日)
- 仮キング獲得時の完奏者:ミラクルクッキーズ/ルーシー/BLUE HARROWEEN/LOVERS HOLIDAY/P-MACHINE
(1990年9月15日)
-
- チャレンジャー:PANIC IN THE ZU:(1990年9月29日)
- チャレンジャー:PANIC IN THE ZU:(1990年9月29日)
- 26代目:PANIC IN THE ZU:(5週勝抜、7代目グランドイカ天キング、1990年9月22日~10月27日)
- (※パニック・イン・ザ・ズゥ から改名)
- チャレンジャー:不詳(1990年9月29日)
:ばななまん(1990年10月6日)
:不詳(1990年10月20日)
:SENSELESS THINGS(1990年10月27日)
- 27代目:GLU(仮キング→4週勝抜、1990年11月3日~12月8日)
- 仮キング獲得時の完奏者:不詳(1990年11月3日、審査委員長曰く、さんざん悩んだ末の仮キング)
- チャレンジャー:JIVE JUNK(1990年11月10日。1989年8月12日にも出場、再チャレンジ)
- 仮キング獲得時の完奏者:不詳(1990年11月3日、審査委員長曰く、さんざん悩んだ末の仮キング)
:該当者無し(1990年11月17日 スコア:7-0)
:不詳(1990年11月24日)
:ぢ・Jezass(1990年12月8日。“ぢ”の正しい表記は“¬”(カギ)付きのぢ、読みは“ジーザス”)
:EDITION DELUXE(1990年12月15日、4度目のグランドキングチャレンジ阻止)
- 28代目:EDITION DELUXE(1990年12月15日~22日)
- チャレンジャー:不詳(1990年12月15日)
- チャレンジャー:不詳(1990年12月15日)
:不詳(1990年12月22日)
[編集] 歴代チャレンジャー
[編集] 1989年
- The Golden Eggs(1989年2月18日)
- 栄光ある初代チャレンジャー。ゴーゴーガールで意表を突いた。
- GEN(1989年2月25日)
- 番組史上初のキングを倒したチャレンジャー。FLYING KIDSと互角の勝負を演じた。
- FLYING KIDS:(1989年3月4日)
- 栄光の初代グランドイカ天キング。
- たるい正太郎with the bankers(1989年3月11日)
- この内2人のメンバーは、のちにCast-The-Nets(カスタネッツ)として1989年11月11日に再登場を果たしている。
- GROOVY HEELS(1989年3月18日)
- 演奏とボーカルのレベルの差が敗因の一つと言われる。
- アンダーテイカー(1989年3月25日)
- おじさんバンドの草分け的存在。5人編成。頭に羽を飾りドーランを塗ったアフリカンスタイルのボーカルが目立っていた。楽曲も評価が高かった。曲のラストで日本国旗を広げるパフォーマンスを行ったが失敗し、評価が低下して敗北してしまった。
- KUSUKUSU(1989年4月8日)
- 美少年バンドと言われる。ワールドミュージック系。人気投票で10週連続1位を獲得した。実力も高く、FLYING KIDSの浜崎を自信喪失に追い込んだ。仮キング昇格があればと惜しまれる。
- イエロー太陽s(1989年4月22日)
- 明るい楽曲は人気が高かった。
- RABBIT(1989年4月29日)
- アイドル的な人気を誇った。メジャーデビュー一番乗り。
- はなわか(1989年5月6日、エントリーナンバー10番)
- バンド名は「話せば分かる」の略である。キーボードのリリ子の親族には医療関係者が多く、登場時には「三宅さん体調が悪くなったときはいつでもどうぞ」と言い、三宅も半ば真剣に「ウンコに血が混じる」などと答え、「検便しましょうか」と返されていた。演奏は歯切れの良いギター(フェンダーのムスタング)のリズムが特徴で、審査員の吉田建には「タイトルが好きですね」と、グーフィー森には「大好きですね。やっとこういうバンドが出てきたかと思った。光を使ったショーとかこういうバンド使ってやってみたい。リズムもなかなか凝ってた」といずれも大好評であった。
- COR-SEZ(1989年5月13日)
- ストレートなロックでファンも多いと評された。
- JITTERIN'JINN(1989年5月20日)
- 軽快なサウンドが特徴。メジャーとインディーズを往復しつつ現在も活動中。
- セメントミキサーズ(1989年5月27日)
- 「子だましバンド」などと名乗り大いに受けた。キングになり3週勝ち抜く。
- 風来坊(1989年6月3日)
- 番組内のダイジェストコーナーで「型破りな風来坊は新鮮な衝撃」と語られる。
- 爆撃ロマンタイムス(1989年6月10日)
- 女性サックスと元気のよいサウンドで健闘した。名前の傾向が似ているが、突撃ダンスホールとは関係ない。楽曲は「スターダスト・キス」。
- 突撃ダンスホール(1989年6月17日)
- LOVE SICK LOVERSを倒してチャレンジャーを獲得。
- ダイヤモンズ(1989年6月24日)
- 骨太な70年代風ロックが絶賛された。
- 宮尾すすむと日本の社長(1989年7月1日)
- 話題性豊富な人気者。
- ハイポジとハボハマニア(1989年7月22日)
- ミホミホマコトでも活躍する歌手、もりばやしみほがボーカルの『ハイポジ』と『ハボハマニア』というバンドが一緒に組んだセッションバンド。宮尾すすむと日本の社長に敗れる。
- THE WEED(1989年7月29日、エントリーナンバー4番)
- 九州出身。メジャーデビューは果たせなかったが、ファンの評価は高い。
- NORMA JEAN (1989年8月5日)
- ガールズバンド。接戦を勝ち抜き2代目グランドキングに挑んだが、BEGINに圧倒的な差で倒される。
- GROUND NUTS(1989年8月12日、エントリーナンバー4番)
- 熊本から上京。元気のよさで人気。
- 鬼松&BEESKNEES(1989年8月19日)
- Xを髣髴とさせるスラッシュメタルバンド。ドラマー鬼松とボーカルはモヒカンだった。
- BE(1989年8月26日)
- 宇都宮を拠点としていた女性ボーカルバンド。
- BEGIN(1989年9月2日、エントリーナンバー6番)
- 石垣島出身のブルースグループ。チャレンジャーとして登場した回の楽曲「恋しくて」は出演当時のそれの評価が高い。
- ヴィンテージ(1989年9月9日)
- 勝ち抜きエレキ合戦に出場の経験もあるベンチャーズ風のおじさんバンド。
- C-BA(1989年9月16日)
- 実力者。後にアニメ「F」の主題歌を歌っている。
- アンビリーバブル・ワールド(1989年9月23日)
- 名勝負の末BEGINに敗れる。
- PSYCHO(1989年9月30日)
- サイバーニュウニュウ(1989年11月4日、エントリーナンバー2番)
- カブキロックスとのパフォーマンス対決を制して勝ち上がるが、たまに完敗した。
- たま(1989年11月11日、エントリーナンバー2番)
- サイバーニュウニュウに相手も納得の完勝をして勝ち上がる。外人バンドの登場や審査員の激論といった波乱もなんのその、揺ぎ無い世界観で3代目グランドキングを勝ち取った。
- トライデント(1989年11月18日)
- 高校生バンド。番組出演の可否は職員会議にかけられたが、結局認められ出場を果たす。学校一丸となった応援を受けた。スタジオ出演時には障子の向こうで飛び跳ねていた。歌っているときと通常時の印象はまるで異なり、元気さと「神や仏の力などあてにしなければよかったと」といった歌詞のアンバランスさは特筆すべきもので、萩原健太はじめ審査員からも驚かれていた。
- たまのメンバーからはその元気さを評価された。
- 坂本プロジェクト(1989年11月25日、エントリーナンバー8番)
- コモエスタ坂本以下、上智大学哲学部卒業生4人が結成した「テクノロック歌謡バンド」。メンバーは人間椅子の鈴木の先輩に当たり、コモエスタ坂本はかつて人間椅子のメンバーだった時期もある。本人は「あまりに下手なため(人間椅子を)クビになった」と語っていたが、真相は不明である。
- 登場時には三宅裕司は「いいキャラクターだねえ」と語り、劇団に欲しそうな色気を見せた。惜しくも完奏はならなかったが、審査員には「ヒカシューやってたころを思い出した」「バカみたいでいい」と好評された。収録時には歌詞を間違えるという「バカのような」ミスをやらかし、笑いのネタにされていた。ワイプとなったにもかかわらずチャレンジャーを獲得した。
- タイムレス・チルドレン(1989年12月2日)
- ニューオーダー風のグループ。
- マルコシアス・バンプ(1989年12月9日)
- ある意味最強とも言える4代目グランドキング。グラムロックの復活者。
- たまに敗れたが、大変な実力者であったため審査員から「このまま終わらせるのはもったいない」という意見が出て異例の仮キングスタートという措置に。圧倒的な強さを誇り、最終週審査員坂上二郎のチャレンジャー支持によって6-1と途切れるまで連続で7-0のストレート勝ちを収めた。
- LAZY BLUE(1989年12月23日)
- INNSOMNIA(1989年12月30日)
[編集] 1990年
- The 54's(1989年1月6日)
- Here is Eden(1990年1月13日)
- タッケナー・アンサンブル(1990年1月20日)
- 結果的にマルコシアス・バンプの4週連続ストレート勝ちを阻止した。
- 遊星ミンツ(1990年2月3日)
- 楽曲名が特徴的。
- チャンネル(1990年2月10日)
- THE BOOTS(1990年2月17日)
- 不詳。
- トゲオ(1990年2月24日)
- ギターを連ねた分厚い音が特徴と言われる。正統派バンドが凌ぎを削る中登場した異色のチャレンジャー。敗れはしたがボーカルのルパン三世のような容貌などは印象に残った。楽曲は「ユキエさん」。THE NEWSと一緒にライブをやることが多かった。
- JHAMARK&The Soul Shakers(1990年3月3日)
- OLYMPICS(1990年3月10日)
- RAMBLE-FISH(1990年3月24日)
- 初の地方出身キングとなったバンド。名古屋出身。
- スケアリィ・モンスターズ(1990年3月31日)
- The Rudie(1990年4月7日)
- LITTLE CREATURES(1990年4月14日)
- メンバー3人はこのとき19歳だった。
- THE COKES(1990年4月21日)
- The TRUMPS(1990年4月28日)
- 不良っぽいイメージと評された。敗北を非常に悔しがり、次回の挑戦に雪辱を期するコメントを残した。
- ROCKSxxx(1990年5月5日)
- SOLID BOND(1990年5月12日)
- 本格的なルックスの硬派なバンド。LITTLE CREATURESに敗れるも、マルコシアス・バンプと同様の審査委員長推薦で仮キングスタート。しかし、キング在位中にプロデビューが決まり、「九州男児っちゅうか、博多の人間らしく」自ら辞退を申し入れた。博多出身。
- アース・ウィンド・アンド・ファイターズ(1990年5月19日)
- アース・ウィンド・アンド・ファイアーのコピーバンド。コピーバンドながら実力は高く、審査員の好評を獲得してチャレンジャー賞に輝いた。2001年ごろまでは活動が確認されている。
- LAMPA(1990年5月26日)
- SOLID BONDの辞退によって不戦勝で勝ち上がる。同郷の悪名エレキショーに倒されて、グランドキングチャレンジは阻止された。
- MILK OF PARADISE(1990年6月2日)
- 梅ジェラ(1990年6月9日)
- 再チャレンジバンド。1989年夏季に梅毒ジェラシーと名乗って初登場。頭に赤いパンティを被って足に黒い柄のストッキングをはいた男性ボーカル、楽曲「週刊秩父伝説」は今でも語り草である。この日は改名しての再登場(楽曲は「ボボブラボー)。しかしノリのよさとおバカさはパワーアップしていたがキャラクターの濃さは減退していた。初登場時にはその容姿から審査員の顰蹙を買い、この回ワイプが多発する要因となった。中にはぱらだいすなど、演奏前に赤ランプをつけられてしまったバンドも出た。
- 再登場となったこの回ではLAMPAに4-3と敗れ、「LAMPAの三連覇!」とはしゃぐ相原勇に苦笑していた。
- Ga-rcia(1990年6月16日)
- 紫色のコスチュームを着た女性ボーカルが特徴。アラビアンナイトの世界のような、妖しさ漂う楽曲で健闘するも4-3と敗北した。
- 悪名エレキショー(1990年6月30日)
- ジョリーロジャー(1990年7月14日)
- COLLAGE(1990年7月28日)
- チャレンジャー:BLANKEY JET CITY(1990年8月4日)
- 有機生命体(1990年8月11日)
- 1989年8月12日にも出場、ワイプされ酷評を受けたが再チャレンジした。記憶している視聴者も多い、かなりの人気バンドである。メジャーデビューも果たしている。
- So What!(1990年8月18日)
- ウェザーコックス(1990年8月25日)
- CHICK BE(1990年9月8日)
- 読みは「ちっくびー」。ブランキー・ジェット・シティのグランドキング挑戦の週に登場しチャレンジャー賞を獲得するが、倒された。
- PANIC IN THE ZU:(1990年9月29日)
- 不詳(1990年9月29日)
- ばななまん(1990年10月6日)
- お笑い芸人のバナナマンとは無関係である。
- 不詳(1990年10月20日)
- SENSELESS THINGS(1990年10月27日)
- 本場の香り高い外人バンド。パニック・インザ・ズゥのグランドキングチャレンジの週に登場したが、敗北した。通訳も同行しており、日本でデビューすることを前提にした出場であったと思われる。
- JIVE JUNK(1990年11月10日)。
- 1989年8月12日にも出場、再チャレンジした。
- 不詳(1990年11月24日)
- ぢ・Jezass(1990年12月8日)
- “ぢ”の正しい表記は“¬”(カギ)付きのぢ、読みは“ヂーザス”。
- EDITION DELUXE(1990年12月15日)
- キングになるが、2週勝ち抜き時点で番組終了のため、『仮グランドイカ天キング』として認定される。後に『星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!』の一般審査員によるバンドコーナーに出場するも、4週目で落選。
- 不詳(1990年12月15日)
- 不詳(1990年12月22日)
[編集] この番組からメジャーデビューしたバンド
- RABBIT
- 1989年10月21日メジャーデビュー、全イカ天出身バンド中では一番乗りだった。
- FLYING KIDS
- BEGIN
- たま
- マルコシアス・バンプ
- パニック・イン・ザ・ズゥ
- BLANKEY JET CITY
- THE YELLOW MONKEY(菊地英昭と菊地英二がキラーメイとして出場)
- 突撃ダンスホール
- NORMA JEAN
- CLUB MIX
- マリア観音
- 人間椅子
- カブキロックス
- サイバーニュウニュウ
- remote(池田貴族がボーカル。“remote現象”の現象を“シンドローム”と読ませる)
- JITTERIN'JINN
- 宮尾すすむと日本の社長
- 番組内で実在の宮尾すすむと対面し、芸名の借用許可を受ける。
- ブラボー (青く塗った乳首が話題を呼んだ)
- KUSU KUSU
- PINK SAPPHIRE
- AURA
- スイマーズ (メンバーが主に競泳帽に水中眼鏡、水泳パンツ一丁という格好)
- 大島渚 (みうらじゅん、喜国雅彦、滝本淳助らのバンドで、元々は税金対策バンドと名乗っていた)
- 有機生命体
- ミンカパノピカ
- LITTLE CREATURES
- GEN
- 遊星ミンツ
- SOLID BOND
- セメントミキサーズ
- LAMPA
- イエロー太陽's
- THE家元
- C-BA
- A-CHIEF
- GROUND NUTS
- グレイトリッチーズ
- M-AGE
- NEW DAYS NEWz (N.D.Nz)
- DEFYER (ギタリストに朝井泰生が在籍)
- SEEK
- IMAGE
- 女性3人組バンド。G・GRIPと改名してメジャーデビュー。デビュー曲がテレビドラマ『いけない女子高物語』の挿入歌、テレビアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』の主題歌でも有名。
- ハイポジ
など
[編集] その他出演バンド
[編集] 1989年
- ゴスペルオブザドラゴン (1989年2月11日)
- 栄光ある第1回エントリーナンバー1番。
- パッションローズ (1989年2月11日)
- レベルの高いバンドが集まった第1回でなければチャレンジャー確実と評された。
- たちくらみ (1989年2月18日)
- ルックスよりも変なキャラクターを売り物としたガールズバンド。赤・青・黄という信号機のようなコスチュームを着用した三人のボーカル、80年代中期の女性アイドルを思わせるチープな振り付けは印象的。だが最大の特徴は楽曲におけるその歌詞だった。「痴漢にあいたい」を連呼する歌詞は三宅らに苦笑され、世間から憫笑と暖かい顰蹙を買った。ダイジェストコーナーでも登場した。
- ヒステリック・グラマー(1989年2月18日)
- 1986年結成のグラムロックバンド。完奏して在宅審査員賞を受賞した。後にボーカルをチェンジしてカブキロックスとして再チャレンジを果たした。
- 寿 (1989年2月25日)
- 楽曲は刑事ドラマのBGMのような曲に風刺の効いた歌詞を乗せた「タリラリの未来」。サングラスをかけた魔女のような風貌のシュールな女性ボーカルが賛否両論だった。振り付けも怪しかった。コスチュームにはやたらと赤が目立っていた。
- B-Traps(1989年2月25日)
- GENに競り負けてチャレンジャーを逃す。
- DISTOMA (1989年3月11日)
- 猟奇物ヘビメタを標榜しており、ボーカルが眼帯を装着するなど怖がらせるための努力をしていたが、チェーンソーを使いマネキンを両断するなどやりすぎてしまったため、逆に笑いを取ってしまった。その後、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のヘビメタシリーズコーナーにも出演して人気が急上昇、当時同じ日本テレビの深夜で放送していた『ヘビメタ虎の穴』にはレギュラーで出演していた。デモテープにはボーカルの眼帯と同じ眼帯をしたゴマちゃんの絵柄が描かれていたことが知られている。
- やどかり天国 (1989年3月18日)
- グループサウンズを模したグループ。一回目の出場時に演奏した曲はザ・テンプターズの楽曲でもある『エメラルドの伝説』、演奏中にボーカルが失神するパフォーマンスが話題となった。1990年6月30日に再登場し、今度はドラマーが失神し三宅に苦笑された。このとき、失神したドラマーは失神する瞬間とその後もう一度と二度にわたってアップで映され、後者ではしばらくそのまま映され続けた。
- THE PLANETS (1989年3月18日)
- 平凡パンチ風ロックが新鮮と評された。
- ガールズバンド。パンクの系統に属する。メンバーは3人。現在では既に活動歴20年を誇る。
- フェビュラス (1989年3月25日)
- ファサード (1989年4月8日)
- 和風の奇抜な衣装をまとい侍言葉を多用する、カブキロックスとも似た設定のバンド。FLYING KIDSの在位中の登場。メンバーは4人で、しゃぐまをかぶり打刀を差した着流し姿の侍風のボーカル、黒覆面をかぶり仕事人と書かれた鉢巻、豹柄のスカーフを巻いた忍者が異様に目立っていた。忍者は絶対賞金10万円を取りたい、絶対プロになりたいと夢を語っていたが、実力は伴っておらず演奏途中でワイプとなり画面が消えてしまった。この直後、ボーカルはワイプの責任を取って打刀を腹に突き立て切腹し死んだ振りをするパフォーマンスをした。この際にはカメラは数秒間倒れているボーカルをズームアウトして映し続け、彼は微動だにしなかった。ちなみに、楽曲そのものはコミックソングではない。
- 花園バンド (1989年4月8日)
- リーダーが漫画家相原コージの兄である相原ピリカ(ギター)。コミック的な歌詞の「O・K・U・S・A・N」で参加して完奏。ベースの佐藤はバンドイメージと似合わないテクニックで、ベストプレイヤー賞を受賞した。演奏終了後、連載している「ロッキン・オン」編集部から「相原先生何バカやってるんですか!早く原稿あげてください!」と原稿を督促するFAXが届いた。
- えび (1989年4月15日)
- 生放送直前、ベースの花丸が泥酔して日比谷シャンテ前の噴水で全裸で踊り、警察に通報されたということで後々まで語り草になった。本番の時にはもちろん服を着ていたが、下着ははいていなかったとのこと。なお、障子が開いた瞬間は全員がえびぞりの格好で寝ていた。ふざけた風貌のわりに演奏はしっかりしたパンクバンドで、演奏曲は日本語を駆使した現代のオッペケ節「日本人」。歌詞の「臥薪嘗胆のけちゅまちゅ(結末)」がウケる(ねじめ正一にも少し評価される)。「ベストキャラクター賞」「ベストコンセプト賞」「ねじめ正一賞」受賞。
- Jet Boys (1989年4月22日)
- TOK¥O $KUNK(1989年)
- コマンチ語とシャイアン語を使って歌詞を作った。スタジオではおもちゃの拳銃を発射し三宅らを驚かせた。
- グリーンゴッデス(1989年)
- 収録時にシャウトしすぎ、マイクを壊してしまった。ディレクターは泣いたという。
- AURA(1989年)
- カラフルなヘビメタバンド。子供に受けることを目指していた。
- ぱらだいす (1989年4月22日)
- ブラボーの成功以降数多く登場した色物バンドの一つ。ハゲヅラをかぶったボーカルが特徴のバンド。楽曲「もうはえないかもしれない」でも「ハゲ、ハゲ」と連呼していた。赤ランプでワイプされると、司会の三宅に「これは当然でしょう」とも言われる。5人のバンドだが、ドラムとサイドギターはあきらかにサポートメンバーという感じで、雰囲気が異なっていた。演奏そのものは下手ではなく、ドラムはこのバンドで出るべきではなかったと吉田に言われる。
- イエローダック (1989年5月6日)
- マジメなのか不マジメなのかよくわからない楽曲「I love you」で出場。あっさりワイプされる。イカ天出場後、スーパーカップのCMに出演した(歌はタイマーズ)。ドラマーの“ポン”は、その後漫画家の二ノ宮知子と結婚している。
- はしか(1989年5月6日)
- 水玉模様入りの衣装で登場した、全員が高校生(女2、男3、女性ボーカル)のバンド。在宅審査員からのFAXで「後ろの人の目つきが妙にうつろだったのが印象的」と指摘される。
- へたくそ (1989年5月6日)
- 金斗雲 (1989年5月13日)
- 横浜を中心に活動する5人組ガールズバンド。青春歌謡風の楽曲。
- マサ子さん (1989年5月27日)
- 「バンドの宝庫」1989年5月27日の登場。編成に大正琴を取り入れたガールズバンド。彼女たちの音楽はみんちんロックと言われていた。バート・バカラックの名曲「雨に濡れても」に、脱力歌詞と脱力アレンジをほどこしたカバー曲「雨にヌレテモいーや」で登場。メインボーカルのマユタンが歌う「ヘンな日だなぁ~」という力の抜ける流行語を生み出し笑いを取った。審査員には「この完璧な危なさ、いいね~」と評された。後の関連イベントにも出演している。なお「マサ子」さんという名のメンバーはいない。「たま」同様、ナゴムレコード系のイベントでも活動していた。その後、メンバーのサブリナ(マユタンの姉)、カナンは病気により逝去。マユタンは『ポンキッキーズ』『うたってオドロンパ』といった子供番組の音楽を担当し「どうぶつ系ミュージシャン」を名乗って現在も活動している。ブログも開設しており、近況を知ることができる。
- 砂 (1989年5月27日)
- 「バンドの宝庫」1989年5月27日の登場。渋すぎると評される。番組内のダイジェストコーナーでのナレーションから判断するにマサ子さん、セメントミキサーズに次ぐキャラクターのインパクトだったようである。
- THE KIDS (1989年5月27日)
- 「バンドの宝庫」1989年5月27日の登場。赤白の格子のブレザーというポップなスタイルで登場。しかし楽曲は優れており、外見と異なる骨のあるボーカルも審査員を驚かせた。セメントミキサーズに惜敗。ドラムの西川貴博は後にイカ天後期の審査員である田中一郎や井口一彦、face to aceなどのサポートミュージシャンとして活躍、現在は浅香唯と結婚。
- ミラクルズ (1989年5月27日)
- 「バンドの宝庫」1989年5月27日の登場。
- One Night Stands (1989年6月3日)
- ドロシー (1989年6月3日)
- ガールズバンド。解散前のラストステージとしてイカ天に出演した。
- CLUB MIX (1989年6月10日)
- 女性7人組バンド。その内、ドラムとベースは初代キング・SLUT&SLASH BANDのメンバーでもあった。
- 男性3人からなるバンド。
- The 5,6,7,8'S (1989年6月24日)
- 女性ガレージバンド。ボーカルがアメリカンバイクに乗ってステージに登場、画面前方を睨みつけた後歌いだした。バイクはそのまま走り抜けて退場した。楽曲は「モーターサイクル・ゴーゴーゴー」。後に映画『キル・ビル Vol.1』に出演している。(ここで演奏した中の一曲 "Woo Hoo" は2004年にイギリスのシングル・チャートで28位を記録した。)2007年現在も活動中。
- ラッパーズ (1989年6月24日)
- ワイプされてしまい完奏できず。当時結成約2年で在籍していたメンバーは既に100人超で、“2軍”(子供ラッパーズ)も存在していたという。
- THE VALIE2 CONNECTIONS (1989年6月24日)
- ザ・ペルシャ (1989年7月1日)
- スイマーズ(1989年7月22日)
- メンバー全員が競泳用の水着と水中眼鏡を着用、バスタオルをマントのように羽織った者もいた。どう考えても色物だったが、メジャーデビューを果たした。
- モダーン・スーダラ (1989年7月29日)
- マンボを基調としたエレキ歌謡がコンセプト。
- 有機生命体(1989年8月)
- 真夏の夜をますます寝苦しくしたと評される。吉田建に「やってればいいんじゃないですか。僕はもう聞きたくない」と言われワイプアウトされた。
- THE OND (1989年8月5日)
- 業界関係者が結成したと言われる。巫女のコスプレが好評だった。演奏時間1分ほどでワイプされた。
- 馬の骨 (1989年8月12日)
- 全員が社会人からなる、冠婚葬祭を活動の場とするパーティーバンド。お盆の季節に合わせて怪談あるいは肝試しめいたコスプレをし、大量の美術品を持ち込みセットを組んでおどろおどろの世界を歌い上げた楽曲「六根清浄」を演奏し完奏。「演出の勝利」「貧乏なバンドがかわいそうだね」と言われた。拝む老婆のコスプレは審査員全員の大爆笑を勝ち取り、「バンドはどうでもいい」と異様に評価された。ラッシャー木村は「あれが俺だったら恐山だよ」と特にウケていた。「水島家之墓」と墓碑を刻んだ本格的な墓石まで作ってきた凝り様は視聴者にも受けた。後にダイジェスト編にも登場した。
- スタジオ出演時のトークは受け答えもきちんとしており、奇妙なコスプレは計算し尽くされたキャラクターメイキングの産物であった。
- CHU-DOKU (1989年8月19日)
- 女性3人(ボーカル含む)、男性2人のバンド。しかし吉田建に「聴きたくない、やってて下さい勝手に」「バカヤロー、こんなのカバーでも何でもないじゃん」などと言われるほどの酷評を受けてしまう。
- イパネマ (1989年8月19日)
- 女性ボーカルの7人組バンド。しかし番組史上初の赤ランプ7つ(全員)のワイプ攻撃に遭ってしまい、プロ志向だったボーカルを落胆させてしまう。
- チャド・クライド (1989年8月26日)
- スタジオ出演時画面後方で小刻みに動く小柄なスキンヘッドの男などが目立っていた。
- ティラノザウルス (1989年9月2日)
- 女的(ガールティック) (1989年9月9日)
- 女性ボーカルは中村あゆみのようなハスキーボイスで他の男性メンバー3人も美形揃い。「お茶の間のアイドル」が目標だった。
- アブドラ・ザ・ブッチャーは是非ともスポーツ平和党 (1989年9月23日、エントリーナンバー3番)
- 出場当時番組史上最も長いバンド名のバンドだった。「金なし、コネなし、女なし」の三ないバンドと自称していた。番組出場当時、数年にわたって活動を中止していたが、活動再開一番として番組に出場。楽曲はインストゥルメンタルに近い内容の「ペンギンラリアート」。曲名通りのペンギンのコスプレをして演奏したが、しょっきりのようなパフォーマンスや「ニール・ヤングの世界」と言われたドラムパートなど、見るべき点は多かった。が、粗さが目立ったためかワイプされて完奏できず。審査員は音楽性にはほとんど触れなかった。
- 突然段ボール (1989年10月14日)
- 1977年結成という古強者。業界ではその名を知られたマニアックユニット。濃いキャラクターで強い印象を残したが(このときの楽曲は「凍結」)、カブキロックスに敗北した。元々メンバーは3人であったが、出演当時はドラムが脱退して2人で出場した。結成から出場まで、途切れることなく活動を継続していた息の長いバンドである。彼らのバンド名を真似した突撃ダンスホールの活躍に刺激され、居ても立ってもいられなくなり出場を決意したというのが出場の理由であった。相原勇はこちらが元祖であることが不思議そうであった。演奏開始時の三宅裕司のコメントは「ついにプロが登場しました!」であったが、実際には出演当時は音楽関係の仕事は引退しており「元プロ」であった。練習は養鶏場の二階を無料で借りて行っていた。今日でも活動を継続しており、公式ホームページも持っている。メンバーはボーカルが2003年に亡くなったため、イカ天出演当時とは変わっている。キャラクターが重なるたまのメンバー石川浩司とも親交があった。審査員のグーフィー森は彼らのファンであった。
- レジスタンス (1989年11月4日)
- 三宅の質問には常にフラフラして受け答え、「アブネーなーこいつら」と言われつつも、ギター、ベース、ドラムス、ボーカルともにすばらしいファンクを演奏。楽曲は「FUNK 1-30-5」。「どいつもこいつもパッパラパー いい気なもんだぜ いまのがサビだぜわかるだろ~」というように、歌詞はどうでもいい内容。「ベストボーカル賞」「ベストプレイヤー賞」受賞。
- TOKIO ROSE (1989年11月11日)
- 番組史上初の外国人バンド。のちにイカ天は海外からの放送も行うが、この時点では「外人バンド」が珍しかったため非常に注目を集めた(当時を記憶している視聴者はかなりいる)。ラッシャー木村の「耐えて燃えろ賞」を受賞。
- レイチョウルイ (1989年11月18日)
- 楽曲は「ワンパターン」。京大生バンドである。紙袋をかぶったダンサー、曲・歌詞ともにすっぱり切れて終わる曲の終わり方が印象的である。
- テクマクマヤコンズ (1989年11月18日)
- 「たま」のキング在位2週目の出場。いきなりオバケのQ太郎の着ぐるみを着て歌い出した。しかし、途中で着ぐるみを脱いで真面目に歌いだしたが結局はこれが仇となってワイプされてしまう。勝ち抜きではなく番組出場を目的としていたらしい。楽曲は「オバQのテーマ~FLA FLA」。
- ボーカルは今で言うゴスロリ風の衣装だった。
- THE 紋次郎'S (1989年12月2日、2回目出場日不詳)
- 1990年になってから多い再登場バンドの一つ。
- ボンゴ (1989年12月2日)
- わずか53秒でワイプ。それまで番組の流れが押し気味だったものが元に戻せたということで、三宅に『取り戻しバンド』と言われる。
- 東京御下劣倶楽部 (1989年12月23日)
- ブラックミュージックとファンクを中心に展開する8人組の社会人バンド。
- PELVIS (1989年12月23日)
- メンバー全員がエルビス・プレスリーのファンなので、バンド名もそれに因み「PELVIS」(和訳は“骨盤”)。プレスリー風のロカビリー音楽を中心に展開、全員が鬼怒川温泉出身。自称「湯の町ロカビリーバンド」。
- 福田眞純(1989年、不詳)
- 出演後は熱狂的なファンからの差し入れが急増したという。中には現金を「家賃にしてくれ」と持参する者もいたと半ば苦笑して語っていた。
- BIZ(1989年、不詳)
- LOVE&PEACE(1989年、不詳)
- Roses(1989年、不詳)
- 港町ぱのらまじっく(1989年、不詳)
- SCHOOL DAZE(1989年、不詳)
- GO GO3(1989年、不詳)
- PARADE(1989年、不詳)
- 赤と黒(1989年、不詳)
- トップバナナ(1989年、不詳)
- The Bunny’s (1989年、不詳)
- REBELS(1989年、不詳)
- BROUGE(1989年、不詳)
- Jack Blue(1989年、不詳)
- Love Sick Lovers(1989年、不詳)
- Bellets(1989年、不詳)
- The Valie^2 Conections(1989年、不詳)
- 神楽隊(1989年、不詳)
- B・B・B(1989年、不詳)
- The BANDITS (1989年、不詳)
- DAD-Elegant Gypsy (1989年、不詳)
- 火の鳥(1989年、不詳)
- 世田谷パンチョス(1989年、不詳)
- ザ・ホーネッツ(1989年、不詳)
- GISELLE(1989年、不詳)
- バニシングポイント(1989年、不詳)
- Gypsy DoLL(1989年、不詳)
- The BLADES(1989年、不詳)
- F.C.B(1989年、不詳)
- DEFYER(1989年、不詳)
- ザ・ロイヤル・グラマー(1989年、不詳)
- HYMEN(1989年、不詳)
- 木戸紅男&オリエンタルギャングスターズ(1989年、不詳)
- マリア観音(1989年9月30日)
- A★VANT-GARDE(1989年10月14日)
- 仮キング獲得を賭けて出場したが、カブキロックスに敗北。
- THE SAKURA(1989年10月14日)
- 仮キング獲得を賭けて出場したが、カブキロックスに敗北。
- Cut Bee(1989年、不詳)
- コンクリート・ゲタ・バンド(1989年、不詳)
- グランドスラム(1989年、不詳)
- ザ・ファンタジーズ(1989年、不詳)
- MATILDA(1989年、不詳)
- madam.e(1989年、不詳)
- BLENDA (1989年、不詳)
- 伊太地山伝兵衛商会(1989年、不詳)
- Francis Franny (1989年、不詳)
- The ’57 Bel Air’s(1989年、不詳)
[編集] 1990年
- メンバー全員が女装していたことと死にそうな「オヨヨヨヨヨヨ」との叫びが強い印象を残した。演奏中には大島渚が苦笑する様がアップで映された。マイクスタンドには花を飾っていた。ちなみにメンバーは大学生である。演奏した楽曲は「さざんかの宿で」(なお当然ながら、大川栄策の曲「さざんかの宿」とは全く別の曲。)
- 使用済みパンティーズ (1990年2月10日)
- ダンサーを引き連れて登場した。
- にわの薬局とコンドームス (1990年2月17日)
- 「勉強嫌い~」「やらせろ!」などとあまりにも内心を隠さない歌詞に三宅以下の出演者は驚き引いていた。
- 坊さんバックスピン (1990年5月19日)
- メンバー全員が現役の僧侶から構成されたバンド。本来のバンド名は坊さんバンドで、バックスピンはイカ天関係者が出演用に命名したとも言われる。衣と袈裟を着用して歌った。トランペットが編成に含まれていたことも特徴。歌詞の英語部分「アイムソータイアド」のカタカナ読みそのままの歌い方は語り草となっている。
- グィーン (1990年7月28日)
- クイーンのコピーバンド。
- ボーカルはモダンチョキチョキズ加入以前の濱田マリ。
- ガル・ザカート (1990年、不詳)
- 高校生バンド。若さに比してセンスが良かった。
- JACK BLUE (1990年、不詳)
- 練馬マッチョマン (1990年、不詳)
- 1989年に結成された。1994年解散するも、後日復活した。
- エジプト文明S (1990年、不詳)
- HIP Q-BE(1990年、不詳)
- 白玉楽団(1990年、不詳)
- WARTERLOO(1990年、不詳)
- Here is Eden (1990年、不詳)
- AYA(1990年、不詳)
- 龍太郎&Noise Reduction(1990年、不詳)
- Picoダンス(1990年、不詳)
- MIND GAMES(1990年、不詳)
- FUNKASTICK(1990年、不詳)
- Darlin’ Chickens(1990年、不詳)
- えろちか(1990年、不詳)
- 総務部Daijo Band(1990年、不詳)
- PINK VOX(1990年、不詳)
- THE HIP’S (1990年、不詳)
- OVERCUE(1990年、不詳)
- 安泰ガバメンツ(1990年、不詳)
- JAHMARX & THE SOUL-SHAKERS (1990年、不詳)
- リベルス(1990年、不詳)
- OLYMPICS(1990年、不詳)
- GANJA(1990年、不詳)
- Jail Satisfied(1990年、不詳)
- the CASINOS(1990年、不詳)
- WILD DOGS(1990年、不詳)
- MARBLES(1990年、不詳)
- Over Night Sensation(1990年、不詳)
- 楽団:魅惑の羽衣(1990年、不詳)
- Moonlight Kids(1990年、不詳)
- 緒々田健一(1990年、不詳)
- 宿愚連若衆艶姿(1990年、不詳)
- 九州ASH(1990年、不詳)
- The Ridie(1990年、不詳)
- テクノ助(1990年、不詳)
- JUNGLE(1990年、不詳)
- YIPE!(1990年、不詳)
- THE COKES(1990年、不詳)
- 射夢 (1990年、不詳)
- 正直ROCKS(1990年、不詳)
- ナムチェバザール(1990年、不詳)
- 黒丸(1990年、不詳)
- ぶりおくん(1990年、不詳)
- あきちゃん(1990年、不詳)
- Hysteric Organ(1990年、不詳)
- THE ROWL(1990年、不詳)
- THE PLANETS(1990年、不詳)
- VEA×BLOW(1990年、不詳)
- THE VAILE^2 CONNETIONS(1990年、不詳)
- *04DD(1990年、不詳)
- のさん(1990年、不詳)
- STEPPIN’ LOOSE(1990年、不詳)
- たけのうちカルテット(1990年、不詳)
- KOSS (1990年、不詳)
- Mermeid Vivid(1990年、不詳)
- コロポックルズ(1990年、不詳)
- あか(1990年、不詳)
- GIL MESSIAH(1990年、不詳)
- DOWN-UP(1990年、不詳)
- KENT(1990年、不詳)
- ミラクルクッキーズ(1990年、不詳)
- BLUE HALLOWEEN (1990年、不詳)
- GAUCH!(1990年、不詳)
- ROCK-A-BILLY REBEL’S (1990年、不詳)
- SCREW DRIVER(1990年、不詳)
- Fits(1990年、不詳)
- PIGGY BACK (1990年、不詳)
- ドリル(1990年、不詳)
- The Bricks (1990年、不詳)
- big nose man(1990年、不詳)
- SPAZM (1990年、不詳)
- まめ女(1990年、不詳)
- BIG RIVER(1990年、不詳)
- THE WILD TURKEY(1990年、不詳)
- 中野太朗グループ(1990年、不詳)
- 新撰組(1990年、不詳)
- DEJA VE(1990年、不詳)
- 沙牙(1990年、不詳)
- 青巻紙(1990年、不詳)
- Bonnie Duck!?(1990年、不詳)
- Big-G(1990年、不詳)
- ラヴ・カメレオンズ(1990年、不詳)
- THE BACKIN’ GAM’S(1990年、不詳)
- Pink Purple(1990年、不詳)
- Virtual Reality(1990年、不詳)
- スーパーマーケット(1990年、不詳)
- B.B.R.(1990年、不詳)
- LINDA JAIL (1990年、不詳)
- SMILE KINGS(1990年、不詳)
- THE LEATHERS(1990年、不詳)
- WENDY(1990年、不詳)
- 杏樹(1990年、不詳)
- ジャスト・フレンズ(1990年、不詳)
- BUBUBU(1990年、不詳)
- NOR HOUSE(1990年、不詳)
- THE CRACKER JACKS(1990年、不詳)
- MARIA(1990年、不詳)
- ハレンチ学園(永井豪)(1990年、不詳)
- 山内吉仁(1990年、不詳)
イカ天には実力派の出場者も多かったが、パフォーマンス重視の風変わりな出場者が非常に多かった。彼らのパフォーマンスや、三宅・審査員との和気藹々としたトークが作り出す雰囲気は同番組の魅力の大きな部分を占めていた。
[編集] 主な審査員
1989年3月25日までは審査員5人体制。4月8日放送分から7人体制となった。 この番組の審査はたとえば、吉田「とても好きです(中略)ただAメロがあまりにも8分音符が続いてそこをちょっと…」萩原「いや、アレいいですよ」銀次「おれも好きだな」三宅「あ~、いま吉田さん猛ひんしゅくを買いましたね」吉田「いま、とてもあせってしまいました」というやりとりがあるように、政治的なかけひきのない厳しいながらも和気藹々としたものであった。
1990年3月まで
- 冷めたような口調で『何、それ?』『やめてよ』『何でこんなバンド、予選通すの?』などの辛口コメントが多く、一方で『今日は厳しいことを言い過ぎて、すみません』と謝る一面もあった。そういうこともあって、一時少女週刊誌に載るほどの人気に。
1990年4月から
- PANTA
- 相沢行夫(NOBODY)
- 斎藤ノブ
- 鳴瀬喜博(カシオペア)
- 是方博邦
- 難波弘之
- 森雪之丞 (視聴者からのイラスト『ウルトラマン之丞』でも話題に)
- 田中一郎 (森雪之丞と同様、『アンパンマン一郎』のイラストが届いたことがあった)
[編集] 輝く!日本イカ天大賞 出場者
各賞受賞者
- 大賞&ベストコンセプト賞:たま
- 審査員特別賞:マルコシアス・バンプ、宮尾すすむと日本の社長
- 審査員特別賞&ベストソング賞:FLYING KIDS
- ベストパフォーマンス賞:カブキロックス
- ベストスピリッツ賞:THE NEWS、C-BA
その他の出場者
BEGIN、BELETTS、THE WEED、ONE NIGHT STANDS、NORMA JEAN、スイマーズ、remote、人間椅子、マサ子さん、ブラボー、大島渚、イエロー太陽S、セメントミキサーズ
※ちなみにこのイカ天大賞において、「パンク三宅と審査員バンド」というスペシャルバンドがこの日限定で結成された。メンバーは三宅裕司(ボーカル、ギター)、伊藤銀次(ギター)、吉田建(ベース)、村上“ポンタ”秀一(ドラム)、相原勇(コーラス)、中島啓江(コーラス)
[編集] イカ天関連ライブイベント
- 1989年5月5日「アマバン博」(会場:汐留PIT II) 出演:GEN、remote、FLYING KIDS 他
- 1989年6月23日・24日「IKA-TENサマーシリーズ・1 IKA-NIGHT TEN-NIGHT」(会場:MZA有明) 出演:人間椅子、remote、セメントミキサーズ、マサ子さん、ブラボー、THE KIDS、THE NEWS、福田眞純&SUPER MILK、FLYING KIDS
- 1989年8月28日~30日「IKA-TENサマーシリーズ・2 翔ばなイカ・踊らなイカ・楽しまなイカ」(会場:日本青年館) 出演:FLYING KIDS、宮尾すすむと日本の社長、大島渚 他
- 1989年9月1日 「IKA-TENサマーシリーズIN名古屋“しゃちほこ編”」
- 1990年3月30日「信州いか天」(開催地:長野県松本市)
- 1990年7月20日「宮崎いか天」 出演:人間椅子、THE BOOTS 他
- 1990年8月25日「小田原いか天」 出演:THE BOOTS 他
[編集] 放送時間
(1990年10月6日から)毎週土曜日深夜(日曜日未明)24:40~27:00
放送休止日
- 1989年・・・7月15日、10月21日、10月28日、12月16日
- 1990年・・・3月17日、6月23日、7月14日、9月1日、10月13日、12月1日
スペシャルバージョンでの放送(キングVS挑戦者の対戦など無し)
- 1989年4月1日「春だ!輝けイカ天グラミー賞 全て見せます74バンド」
- 1989年7月8日「'89年上半期総決算」
- 1989年10月7日「ネット局増加・ロックが結ぶふるさとの輪」
- 1990年7月7日「'90年上半期総決算、七夕イベント『イカバタ』」
- 1990年12月29日「最終回特集」
レギュラー放送時間以外で放送された特番
- 1989年10月21日「イカ天スペシャル・午後ならどうだ!」(16:00~17:30 放送)
- 1990年4月7日、4月14日、4月21日「オールナイトイカ天・見せます576バンド」(29:00(午前5時)まで放送)
- 1991年1月1日未明「イカ天!イカ天!!イカ天!! イカ天年鑑永久保存版」(25:20~30:00(午前6時)放送)
[編集] 放映局
- TBSテレビ(1989年2月スタート時から)
- 中部日本放送(同上)
- 北海道放送(1989年10月から)
- テレビユー福島(同上)
- 信越放送(同上)
- 静岡放送(同上)
- 山陽放送(同上)
- 中国放送(同上)
- RKB毎日放送(同上)
- 熊本放送(同上)
- 宮崎放送(同上)
- 東北放送(1990年1月から)
- テレビユー山形(同上)
- 長崎放送(1990年4月から)
- テレビ高知(1990年7月から)
- チューリップテレビ(1990年10月から)
※イカ天は近畿広域圏では放映されていない。毎日放送ではこの間「板東英二のわがままミッドナイト」を放送していた。その影響もあって、関西はイカ天を知らない人が多く、関連番組の放送や、公式イベントも無かった。このため関西出身で90年代中期に活躍したバンドウルフルズなどのファンには「放送があればウルフルズのメジャーデビューは早まっていた」などと関西地域での放送がなかったことを惜しむ者もいる。その一方放映されていた地域では中高生にも支持され、校舎の壁に番組のシンボルマークなどを落書きする者も多数存在した。
[編集] 備考
- 出場バンドの決定はジャクソン井口が行っていた。
- 出場者には季節に応じ、冷たい茶などが振舞われた。
- 大塚製薬(宣伝商品はジャワティーストレート、キャラクターは本木雅弘)、LAWSON(宣伝商品は夢氷)、ブティックJOY(CMキャラクターはベリンダ・カーライル)、第二電電(現KDDI、CMキャラクターは森繁久彌とバイオリニスト)、モランボン、日本食研(宣伝商品はカルビクッパ)、YAMAHAなどがスポンサーであった。その関係で、審査員にはポカリスエット、ジャワティーなど大塚製薬の飲み物が振る舞われた。ブティックJOYは収録スタジオの日比谷シャンテ3Fにあった。YAMAHAのCMには当時売り出し中だったBAKUが登場していた。
- 1990年4月からイカ天放送終了後の1991年3月まで、TBS(関東ローカル)で毎週日曜日深夜に「別冊イカ天ベスト天」という番組が放送されており、バンドの近況や最新音楽情報などを発信していた。司会は今野多久郎と相原勇だった。
- 1989年3月25日放送分まで、イカ天の前に「お熱いのはお好き?」という、女性ゲストを迎えてゲームなどをするコーナーがあった。
- イカ天が放送されていた頃には、原宿に「IKA-TEN MARKET」があった。イカ天グッズ、イカ天出身バンドのCD等を売っていた。
- 三宅が番組を休んだために代理司会が起用されたことが有った。1989年6月10日は映画『満月のくちづけ』がローマの映画祭に出品された関係でローマへ行ったため、この日は松宮一彦アナが司会。同年9月23日は舞台公演中、声が出なくなってダウンしたため、その日の審査員の中からくじ引きによって四方義朗が代理に選ばれた。
- 生放送中にニュース速報が流れたこともあり、1989年3月18日には伊藤みどりがパリの世界フィギュアスケート選手権で優勝した模様が流れた一方で、同年6月3日には天安門事件の映像が流れ、スタジオに緊張感をもたらした。
- 1989年10月28日は生放送直前になって放送休止となってしまった。理由はこの日の昼、13:00~16:00の枠で中継された日本シリーズ・近鉄-巨人戦が中継延長となり(試合終了時刻は16時36分)、すぐ後の16:00~17:30の枠で放送予定だった「'89ニチレイインターナショナルゴルフ」がこのイカ天の枠に差し替えられて放送された(と、おそらくそう思われる)。しかしこの日は出場する予定のバンドらがすでにスタジオに集まっており、中には地方から来ていた人も居たため、収録を行い、翌週11月4日に放送した。この日は生放送でなかったため、在宅審査員の投票及び在宅審査員賞の贈与は無かった。
- 当時スーパー・エキセントリック・シアターの若手だった岸谷五朗、寺脇康文、山田幸伸の「SET隊」が「天ぷらトリオ」と名乗って、前説とオープニング出演を務めていた時期があった。
- 「ゆうじ君のおたく」というオープニングのコーナーも有った。この当時ちょうどおたくという言葉が出て来始めていた頃で「おでバカだから・・・」というような口調で三宅がおたくの役を演じていた。北尾光司がゲストに来た時には「こうじ君のおたく」としてコーナーを乗っ取られたこともあった。
- 演奏する予定の曲の歌詞の中に放送禁止用語が含まれていたため、止む無く歌詞を変えて演奏したバンドもあったが、中にはバンド名そのものが放送禁止だったため、改名を余儀なくされたバンドもあった。1989年7月22日出場の発破ノッカーズの元々のバンド名は乞食王子。同年6月17日に出場した近親憎悪は元々は生理売春だったが、イカ天出場を機にそのまま正式なバンド名を近親憎悪に変更したとのこと。
- 1990年4月以降、一度出場したバンドの再チャレンジが増えた。その中には4代目キングのイエロー太陽Sもいた。また、同じくこの4月以降にはソロ(一人)で出場する人も出てきたが、その度に審査員から「これは『いかすバンド天国』なんだから……」と突っ込まれることがあった。(「そこに文句をつけるんだったら最初から出さなきゃいいじゃない」と言い返して斉藤ノブに「そうなんだよね」と言わせた出場者もいた。)
- 同じく1990年11月には、当時上京したばかりで現在では説明不要のビッグバンドとなったGLAYが出場していた。しかし、すぐにワイプとなってしまい当時の審査員から酷評を受ける結果となった。結果として、当時の審査員はGLAYの実力を見抜けなかったことになる。
- イカ天終了時には、終了記念として再び審査員バンドが組まれた。バンド名は「いかすバンド+勇」で、メンバーは、ボーカルに相原勇とPANTA、パーカッションに三宅裕司、斎藤ノブ、今野多久郎、キーボードに森雪之丞、難波弘之、ギター・田中一郎、ベース・鳴瀬喜博、ドラム・村上“ポンタ”秀一。
[編集] 不祥事
- 1989年2月11日の第1回放送時に、エントリーナンバー8番で登場した女性バンド“ヒステリックス”のリーダーが「ワイプ」に怒り、生放送中にもかかわらずジーンズを下着ごと脱いでしまった(赤ランプ3つで逆上し、4つついたことがコールされると同時に破廉恥な挙に出た)。三宅は「やめろ、バカ、バカ!なんて事を馬鹿者がホントに!」と叫び、メンバーは悲鳴をあげたり恥ずかしさのあまり後ろを向くなどし、スタジオは一時騒然となった。TV画面は急遽、三宅の顔のアップになったために事無きを得たが、この騒ぎで、“ヒステリックス”の演奏時間は「退場」という記録となった。彼女らがADに連行され退場させられた後も、画面にはしばらく呆然とする三宅の顔が映されたままになっていた。 なお、『イカ天年鑑・平成元年編』によると、その問題となったリーダーはこの直後脱退、バンドは活動休止になったとのこと。そして、これがきっかけで“何かあったらすぐに隠す用”としてIKA禁ボウなるものが一時期使われていた。
- この他にも不祥事は記録されている。スタッフに不祥事があった時(1990年3月17日と他1回 麻薬取締法違反)に、イカ天を含む「平成名物TV」の全ての番組を休止し、代わりに、過去のTBS系スペシャルドラマの再放送(「兜町」「お交際したい」など)に切り替えた(関東地区。その他の地域については不明)。このとき新聞には「コカイン天国」の見出しが躍った。
[編集] 後番組
[編集] 平成名物TV・三宅裕司のえびぞり巨匠天国
[編集] 星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!
[編集] イカ天関連企画
ドラマ
「めざせ!イカ天・ロックンOL物語」 (1990年5月12日「ドラマチック22」枠で放送)
出演:藤田朋子、森川由加里、阿部寛、奥田圭子、豊原功補、岸部一徳 他(三宅、相原らイカ天レギュラーも出演)
脚本:塩田千種 演出:小川定孝
書籍
「イカ天年鑑・平成元年編」(ワニブックス)
ビデオ(オムニバス)
「いか天[完全]完奏版」(TBSビデオ・バンドストッククラブ)
CD(オムニバス)
「いか天 ザ・50(フィフティ)Vol.1~3」(APCA223~225)(バンダイ・ミュージックエンタテインメント)
[編集] 関連項目
- BSヤングバトル(NHK・BSで放送されたアマチュアバンドコンテスト)
[編集] 外部リンク
[編集] 注
- ^ ただしこれは事故と言うべき出来事であり、後日ASHは関連イベントで一曲演奏する機会を与えられることとなった。
TBSテレビ系列 土曜24:30(24:40)- 27:00枠 | ||
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