知久寿焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知久 寿焼(ちく としあき、1965年2月10日 - )は、元・バンド『たま』のメンバーであったミュージシャン。本名は知久 寿明(※読みは同じ。なおバンド結成当初芸名の表記が知苦寿暗だった時期がある)。埼玉県川口市出身。埼玉県立川口高等学校卒業(中退説もある)。
目次 |
[編集] 経歴
身内に“流し”をしていた者がおり幼少よりギター・歌の手ほどきを受けた。また十代半ばに諸事情あり母との確執から家出したことが知久の音楽活動本格化の原点(尚、母は知久の成人前に逝去)。
高校時代より、友部正人宅を出入りするようになる。ライブハウスで弾き語りをしていた頃、石川浩司、柳原陽一郎(当時・幼一郎)と出会いバンド結成(詳細はたまの項目を参照されたい)。
TBS系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国』出身バンド(イカ天バンド)の代表格『たま』のギター・マンドリン・ウクレレ担当として活動。シュールな歌詞にアコースティックなサウンドを合わせた個性的な音楽、そしてキノコのような髪型にチャンチャンコ(冬季はドテラ)・下駄履きというスタイルで大きなインパクトを与える(なお現在は坊主頭で帽子を着用している事が多い)。その歌唱力と声変わりがほとんどみられないユニークな声質は中島啓江からも「腹式呼吸・発声も完璧」と評されている。
1995年末の柳原の脱退を経て、その後も地道にバンド活動を続けていたが、2003年10月バンド解散。その後も様々なミュージシャンとの共演や全国を回っての音楽活動を積極的に続けている。『たま』メンバーであった石川と共に、15人編成の音楽ユニット『パスカルズ』に参加・活動している。日本では無名なものの、フランスでは新聞『ルモンド』に紹介されたり、音楽チャートで1位になるなどの人気を獲得している。また同じく『たま』メンバーであった滝本晃司らとインストゥルメンタルユニット『2ni』(に)を結成。
NHK教育テレビ『ピタゴラスイッチ』『うたっておどろんぱ』などのテレビ番組や、味の素、コクヨ、三共などのCMソングにも多数の楽曲提供・歌唱をしている。BShi『デジスタ』にて楽曲『電車かもしれない』をモチーフとしたアニメーション作品(作・近藤聡乃)が発表された事をきっかけに、同番組のオープニング曲を手がけた。
趣味は昆虫採集、特にツノゼミに造詣が深い。イラストを特技としており『たま』インディーズ時代やファーストアルバム『さんだる』のジャケットイラストを手がけた他、1999年に刊行された矢川澄子作の絵本『だるまさん千字文』の挿絵を担当した。母を早くに失った知久にとって、矢川は母親代わりのような存在だったという。
[編集] おもな共演ミュージシャン
[編集] ディスコグラフィー
※たま時代の作品についてはたまの欄を、パスカルズについてはパスカルズ公式HP内を参照されたい。
- 不思議な六月の夜(サード・クラス、ワタナベイビー、TOMOVSKYとの共作)
- 不思議な六月の夜 その2
[編集] 外部リンク
- 知久寿焼website
- PASCALSのファンクラブ(パスカルズ公式サイト)
カテゴリ: 日本のミュージシャン | 1965年生 | 埼玉県出身の人物