たま (バンド)
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たま | ||
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基本情報 | ||
出身地 | 日本 | |
ジャンル | フォーク | |
活動期間 | 1984年~2003年 | |
レーベル | ナゴムレコード (1986年~1989年) アクシック (1989年~1992年) 東芝EMI (1992年~1994年) パイオニアLDC(現:ジェネオンエンタテインメント) (1996年~1997年) 地球レコード(1995年 1998年~2003年) |
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公式サイト | たま公式サイト 知久寿焼公式サイト 柳原陽一郎オフィシャルサイト 石川浩司のひとりでアッハッハー 3g-滝本晃司公式サイト |
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メンバー | ||
知久寿焼(ボーカル ギター) 柳原陽一郎(ボーカル キーボード) 滝本晃司(ボーカル ベース) 石川浩司(ボーカル パーカッション) |
たまは1980年代末期から2003年にかけて前衛的な音楽で異彩を放った日本の音楽バンド・フォークグループ。
目次 |
[編集] 編成
- 知久寿焼=ギター、マンドリン、ウクレレ、ハーモニカ
- 柳原幼一郎(現:陽一郎)=キーボード(オルガン、ピアノ、アコーディオン、鍵盤ハーモニカなど)、ギター
- 石川浩司=パーカッション、オルガン、笛
- 滝本晃司=ベース(『しょぼたま』ではトイピアノ、鍵盤ハーモニカ)
たまをよく知らぬ人が「たまのボーカル」と言う場合、知久・柳原のどちらかを指す事が多いが、実際は全員が均等にむらなく作詞作曲およびボーカルをとる。楽器はアコースティックギター、ベースに加えアコーディオン、オルガン、リコーダー、桶(檜製)・鍋・空き缶などを駆使したパーカッションを用いるなど、生楽器を中心としながらも型にはまらぬ構成、そして郷愁を誘う幻想詩のようなシュールな歌詞が特徴。柳原脱退(1995年)以降は、アコースティックな音の中にシンセやサンプラーを取り入れた曲を作っていった。
演奏はライブハウスや会館等のコンサートホールだけでなく、普段はライブの行われる事のない寺や酒蔵と言った場所でもライブを行う「どこでもツアー」と称したライブツアーを行っていた。
なお、知久と石川は「パスカルズ」という15人編成バンドに参加しており、たま解散後も継続している。 石川はこのほか同じイカ天出演バンドでありキャラクターが似通った突然段ボールとも共演しており、違和感のなさが聴衆の好評を博している。
[編集] 経歴
[編集] 初期
- 1984年11月11日 それぞれライブハウスにてソロで音楽活動をしていた知久、石川、柳原により結成。結成当初のバンド名は「かきあげ丼」だった。
- 1986年 滝本が加入、4人バンドに。インディーズレーベル『ナゴムレコード』に参加。
[編集] イカ天出演
- 1989年11月11日、ナゴムから発売されるLP「しおしお」のプロモーションを兼ねてTBS系深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称:イカ天)にエントリーナンバー2番で出演。キャッチフレーズの“かなしい気持ちはとっても不安定”をそのまま体現するかのような楽曲「らんちう」や、革製品やサングラスを着用し頭髪をポマードで固めた、あるいは都会風の派手な洋装をし脱色した頭髪を整髪料で逆立てた若者の集団という世間一般における「バンド」の概念からかけ離れた、昭和20・30年代の地方の青年を髣髴とさせる容姿で、視聴者に大きなインパクトを与えた。登場時のナレーションでも「また危ないのがやってきた」と言われている。当時の視聴者には「こんな奴テレビに出していいのか」との感想を持った者すらいたことがインターネット上の掲示板で語られている。
- この回から遡ること数回前から“色物”とカテゴライズされるバンドの登場が目立った(キングもカブキロックス、サイバーニュウニュウと二代続けてパフォーマンス重視のバンドだった)ことから、この回のスタジオには「イロものバンド撲滅キャンペーン実施中」という横断幕が掲げられていたが、撲滅されるどころか独特の不思議な世界観も余すところなく伝えきり完奏。
- 審査員の中島啓江は「"能ある鷹は爪を隠す"かもしれない」「涙出てきちゃった、それと同時に同時に笑いも出てきちゃった」、グーフィー森は「変でしたね。こういうの分かるって言っちゃいけない、分からないんだけどいい」と評しておりたまの世界に引き込まれた様子であった。
- この回は番組史上初の外国人バンドTOKIO ROSEがチャレンジャー賞を有力視されていたが、キングのサイバーニュウニュウのボーカル・レプリシンにも「赤ランプ点くかもしれない」と言わしめる存在感でこれに競り勝って(この勝利は三宅らに意外との感触で受け止められた。出場者からも驚かれ、TOKIO ROSEのメンバーには呆れられていた。)見事チャレンジャー賞の栄冠に輝き、サイバーニュウニュウを審査員投票5対2で倒して14代目イカ天キングとなる。
[編集] グランドキングへの道~マルコシアス・バンプとの死闘
- イカ天時代のたまを語る上で外すことができないのが、グランドイカ天キングを賭けた12月9日のマルコシアス・バンプとの対決である。
- キングとなったたまはその後も勝ち続け、勝ち抜き2週目となった11月18日の放送分ではのちに大ヒットとなる「さよなら人類」を歌い、「突然明るくなった」などと好評を博し、審査員7名全員の支持を獲得するストレート勝ちでチャレンジャーの高校生バンドTRIDENTに圧勝(出演の可否が職員会議にかけられたなど話題性のあるバンドだった。楽曲は「いつでも同じ夢ばかり」)する快挙も成し遂げた。この週にはほかに、テクマクマヤコンズという色物バンドが出場しているが、マイペースさは乱れず存在感はかすみもせず、全く障害にならなかった。
- その後も3週目にはこれも後日シングル化された「オゾンのダンス」で坂本プロジェクト(11月25日放送分、エントリーナンバー8番、楽曲は「バカ」)を、4週目には失われた家族の風景を回想するかのような内容の「ロシヤのパン」でTimeless Children(12月2日放送分、楽曲は「SOLAR」)をと挑み来るチャレンジャーを順当に下し、3代目グランドイカ天キングにリーチをかける。しかしここで強敵が登場した[1]。当時廃れていたグラムロックを復活させて挑んできたマルコシアス・バンプ(楽曲は「バラが好き」)である。チャレンジャーとしてはもとより歴代キングの中でも強者の部類に入る彼らの演奏は審査員の絶賛を受け、圧倒的な差でこの回のチャレンジャーに選ばれた。インターネットのコミュニティでは彼らがBEGINに続いて現キングのグランドイカ天キングチャレンジを阻止するかと思ったと語る当時の視聴者も少なくなく、まぎれもなくたま最大の危機であった。
- しかし、キングとして迎え撃ったたまの楽曲「まちあわせ」はマルコシアスの豪華な演奏とは全く毛色が違うアカペラに近いごく短い楽曲ながら、蛙の鳴き声を思わせる擬音語が詩に登場したり、突然小走りになるかのような曲調などマルコシアスメンバーが「だってすごいんだもん…」と自信をなくすほどのインパクトを持っており、票決は割れた。
- 結果として接戦の末4対3とたまが一枚上回って制し5週連続勝ち抜き、第3代グランドイカ天キングを達成したが、敗北したマルコシアス・バンプも萩原健太の鶴の一声で翌週仮キングスタートという異例の措置が取られ、甲乙つけがたいという審査員の心情をよく表した結果となった。
- 彼らが出演していた時期(番組内の用語では「イカ天戦国時代」)は現在でも活動を継続していたり、後の音楽シーンに影響を与えたレベルの高いバンドが次々輩出しており、この時期を「イカ天の最盛期」、この1989年12月9日放送分を「イカ天史上最高の回」「イカ天の頂点は武道館ではなくたまとマルコシアスの対決」などと評価するファンは多い。
- なお、これ以来、両バンドのメンバー間には親交がある。(マルコシアスのベーシストの佐藤が、たまの各メンバーのソロアルバムに参加。滝本が佐藤にベースを貸す。マルコシアスが活動休止後、ボーカルの秋間はグラムロックバンドAKIMA&NEOSを結成するが、HPはパスカルズと相互リンクされてる。etc.)
[編集] たま現象
- 最終週こそ接戦となったもののその強さ、存在感は圧倒的で、番組内のコーナー『ロックロックこんにちは!』でも「密着たま現象を追え」とのタイトルで特集が組まれ、子供までもが彼らの歌の歌詞を全て覚えているという社会現象ぶりが審査員に衝撃を与えた。姉妹番組「別冊イカ天ベスト天」の特集「こんなバンドに誰がした!」でも異彩を放つトークを展開している。
[編集] メジャーデビュー
- 1990年 シングル『さよなら人類』でメジャーデビュー。宝酒造「純・アレフ」のCMタイアップを果たしたほか、オリコン初登場1位・売上げ100万枚を達成。NHK紅白歌合戦への出場も果たす。同曲は東芝EMIから発売された『BEAT BAND KARAOKE天国』や日本クラウンから発売の『Young Pops Best Hits』など、当時のヒット曲を集めたオムニバスアルバムにも収録され、今日に至るまでカラオケで愛唱される曲となっている。
- 折からのリバイバルブームの波にも乗ったか、社会現象、たま現象とも評される程の人気を集め、この語は同年の現代用語の基礎知識にも収録された。当時の音楽評論家には「平成のビートルズ」と評されることもあった。
- このほか、メンバーの私行などが芸能人並みに女性週刊誌に取り上げられることもあった。しかし内容は女性週刊誌という媒体の特性を考えれば当然のことながら、あまり好意的な記事ではなかった。
- メジャーデビュー以降初のCM出演となった川崎製鉄のCMでは、各メンバー4人分のテイクが製作され、それぞれのテイクでCMソングとして使用された楽曲の製作者が、最後にキャッチコピーの「ピテたまトロプス・川崎製鉄」を言うという仕様だった(「らんちう」-知久、「まちあわせ」-石川、「オゾンのダンス」-柳原、「海にうつる月」-滝本)。後に4人全員で「カオス・パワーだ。川崎製鉄」と言うバージョンも製作されている。
[編集] 息の長い活動
- 1992年 バンドブームも下火になり、「オゾンのダンス」以降は次第にヒットチャート上位に現れることもなくなっていったが、その後もブームにとらわれる事なくマイペースに活動。ライブハウスで「月例会」と称した月一回の定期ライブも行っていた(2002年1月終了)。
- 1995年 より自由な活動を求めて自主運営による事務所・たま企画室、自主レーベル・地球レコードを設立。また、年末のライブを最後に、柳原がソロ活動に専念するため脱退。3人での活動を始める。その後のライブでは斉藤哲也(ナタリーワイズ/アンダーカレント)やライオンメリィ(ヤプーズ/メトロファルス)らをキーボードのサポートミュージシャンとして迎えたほか、3人で各自小型の楽器を使い、より手軽でチープな雰囲気を狙った『しょぼたま』という編成も誕生した。
- 1996年 『あっけにとられた時のうた』で2度目のメジャーデビュー、アニメ・ちびまる子ちゃんのED曲に使用される。
- 1997年 吉田戦車の漫画・ぷりぷり県のイメージアルバム『パルテノン銀座通り』をリリース。
- 2001年 NHK教育テレビ「おかあさんといっしょ」挿入歌『ハオハオ』の作曲・演奏(編成は上記の「しょぼたま」に相当。知久はウクレレ、滝本は鍵盤ハーモニカ)を担当。5月に番組のファミリーコンサートにゲスト出演し、知久作曲の『ハオハオ』で歌のおにいさん(杉田あきひろ)・おねえさん(つのだりょうこ)と共演(知久は2番以降でボーカルも担当)した他、栗原正己作曲の『あめふりりんちゃん』では栗コーダーカルテットとも共演した(この曲では楽器演奏のみ。ボーカルはおにいさんおねえさん)。(このときの模様は、NHKエンタープライズより映像が発売されている。)7月、劇団ナイロン100℃主宰ケラリーノ・サンドロヴィッチ作の舞台『室温〜夜の音楽〜』に出演、役者および劇中曲を担当。
- 2003年3月、劇団ダンダンブエノのダンス公演『いなくていい人』に出演。同年10月、吉祥寺STAR PINE'S CAFEでのライブ「たまの最期!!」(ホフディランのワタナベイビーが飛び入り参加し、柳原脱退以後やっていなかった『さよなら人類』も演奏された)をもってバンド解散。各メンバーはソロあるいは他バンドでの音楽活動を続けている。
[編集] 容姿
各メンバーはその出で立ちもユニークであった。とりわけ知久・石川の2人は印象深く、知久はデビュー当時キノコのような髪型にチャンチャンコ姿、石川は坊主頭に中太りの体型とランニングシャツ・半ズボンという画家山下清を彷彿とさせた姿であった。イカ天番組内で三宅裕司は「TOKIO ROSEに勝てるのはたましかいない」「お前らと比べるとみんな元気に見える」「ここ(たまの立っている所)に来ると雰囲気ががらっと変わる」などと彼らの異色な存在感を評していた。なお、石川の愛称「たまのランニング」はダウンタウン命名。これらの個性は「歩く広告塔」として人々に鮮やかな印象を植え付ける効果もあるが、同時に先入観が勝りキワモノ扱いされるという大きなリスクも抱えている。事実、1990年の一回目のメジャーデビュー時のたましか知らない者には、彼らを「奇体な一発屋」として記憶している者が少なくない。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 販売元:アクシック
- さよなら人類/らんちう 1990.5(さよなら人類 - 宝酒造「純・アレフ」CFソング/らんちう - 川崎製鉄CFソング)
- オゾンのダンス 1990.9(フジテレビ系「なるほど!ザ・ワールド」エンディングテーマ)、川崎製鉄CFソング
- 夕暮れ時のさびしさに 1990.12 (TBS系「浮浪雲」主題歌)
- 海にうつる月 1991.4(川崎製鉄CFソング)
- きみしかいない 1991.10
- そんなぼくがすき 1992.9(NHK「みんなのうた」)
- 星を食べる 1992.12(劇場版「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」挿入歌)
- 販売元:東芝EMIイーストワールドレーベル
- 販売元:パイオニアLDC(現:ジェネオンエンタテインメント)
[編集] マキシシングル
- 学習 1998.12.25
- ゆめみているよ 1999.11
- 汽車には誰も乗っていない 2001.10
[編集] オリジナルアルバム
- でんご 1989.5 (レコード自体は7インチシングル(EP)盤と同じサイズだが、回転数がLP盤と同じ33回転)
- しおしお 1989.12
- 販売元:アクシック
- 販売元:東芝EMIイーストワールドレーベル
- 犬の約束 1992.11
- ろけっと 1993.9
- 販売元:パイオニアLDC(現:ジェネオンエンタテインメント)
- たま 1996.9
- パルテノン銀座通り 1997.7
- そのろく 1995.8
- いなくていい人 1998.7
- 東京フルーツ 2000.2
- しょぼたま 2001.2
- しょぼたま2 2003.7
[編集] ベスト盤アルバム
- まちあわせ 1992.12
- Best Selection 2000.3(※未発表曲「ここはもののけ番外地」が収録されてる。池袋の室内型テーマパーク・ナムコナンジャタウンのアトラクション「もののけ番外地」のCMソング兼イメージソング。)
- たまセレクション 2003.5
[編集] その他アルバム
- けらいのひとりもいない王様 (友部正人との共作) 1992.3
- ねこばば(初期カセットテープ復刻盤) 1995.9
- たま・ライヴ・イン・ニューヨーク(ライブ収録) 1999.3
- 室温〜夜の音楽〜(劇中曲集、一部ライブ収録) 2002.4
- たま ナゴムコレクション 2005.8
[編集] 映像
- 野球(ビデオ・LD) 1991.10
- ビデオクリップ集(ビデオ) 1992.7
- History of Tama 15(ビデオ) 1999.4.23
- たまの最期!!(解散ライブ収録)(DVD) 2004.8
[編集] 書籍
- たま写真集 きゃべつ 1991.11
- たまの月経散歩 1993.4
- ひまのつぶしかた 1993.9
- たま詩集 1993.11
[編集] 外部リンク
[編集] 注
- ^ イカ天キングのグランドキング挑戦となる5週目には通例として、強力なチャレンジャーとなりうるバンドが出演者に選抜されると言われる。
[編集] 歴代イカ天キング
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