神岡軌道
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神岡軌道(かみおかきどう)は、かつて富山県婦負郡細入村(現在は富山市)の猪谷駅(当初は笹津駅)より分岐して、神通川沿いに岐阜県吉城郡神岡町(今の飛騨市)の神岡に至る路線として存在した、専用鉄道→地方鉄道(軽便鉄道)の通称である。
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[編集] 路線データ
1958年3月当時
- 路線距離:猪谷-神岡町間23.9km・鹿間-浅井田間8.2km
- 軌間:610mm(特殊狭軌)
- 駅数:10(うち、貨物駅2)
- 複線区間:なし
- 電化区間:なし
[編集] 旅客運行状況
1956年4月1日改正当時
- 列車本数:猪谷-神岡町間3往復(朝2往復、夕1往復)
- 所要時間:全線2時間6分~2時間17分(表定速度:10.6~11.38km/h程度)
[編集] 概要
江戸時代、幕府の直轄であった神岡鉱山は明治に入り、三井財閥系列の三井鉱山(戦後、財閥解体を経て三井金属鉱業へ移管)による運営となったが、産出される鉱石・硫酸の輸送手段が馬しか存在しない状態であった。
そのため、馬車鉄道の敷設が検討されるようになり、1910年にまず28,800円をかけ、郡の土~杉山間5kmに軌間430mmの路線を開業させた。
その後1914年、三井鉱山神岡出張所の所長であった西村小次郎が個人名義で敷設免許を拾得し、当時富山軽便鉄道(後の富山地方鉄道笹津線、1914年開業・1975年廃止)が通じていた神通川扇状地の笹津駅前を起点とし、神通川・高原川の河流に沿うようにして神岡に至る38.8kmの路線を建設することを決定、1915年3月から1920年にかけて開業した。これに伴い、軌間を762mmへ改めている。
当初は純粋に鉱石の輸送のみを担う路線であったが、周辺町村が物資輸送のための開放を希望したこともあって、軌道の改修や市街地への乗り入れ工事を行った後、1922年に神岡軌道株式会社を設立し、翌年7月21日に運営を移管、このとき専用鉄道から軌道法に基づく軌道線となり、一般の貨物営業路線となった。
だが、第一次世界大戦後の不況により鉱石需要が低下すると、経営危機に陥る。そんな中、合理化と輸送近代化を目的に神岡水力電気がダム工事で使用していた内熱機関車を譲り受け、1926年より運転を開始する。これは、運賃の値下げにもつながり、時局打開に貢献した。
昭和に入ると、現在の高山本線の元となる鉄道省飛越線の工事が進展するようになった。神岡軌道では、それに伴い並行区間となる笹津~猪谷間の軌道を撤去するとともに、神通川に橋脚(水面からの高さ57m、全長294m)を掛け、飛越線猪谷駅に乗り入れるための工事を実施、1931年に完成させた。これに前後して、運営が神岡水力電気に移管され、また坑道内の軌間と統一した方が輸送に都合よいという事情もあり、610mmへの改軌が実施されている。
その後、1937年には森林鉄道との接続のため、神岡から浅井田までの8.19kmが延伸される。戦中には軍需で輸送量が増加し、1945年には地方鉄道への昇格がなされ、1949年には旅客輸送も開始、同時に運営が神岡鉱山へ再移管された。
だが、戦後のモータリゼーションの発達により木材輸送はトラックへ移行、更には軌道が貧弱ということもあって、しばしば事故が起こるなど輸送に支障をきたす事態も起こっていた。そんな中、国鉄神岡線(1984年に神岡鉄道へ移管、2006年廃止)の敷設計画が持ち上がり、軌道を運営する三井金属ではこれを機に軌道の撤去を決定、1962年に旅客輸送を廃止し、1966年10月の神岡線開業に先駆けて9月に茂住~東町(神岡町)間の軌道を撤去、残存する猪谷~茂住間も半年後の1967年3月に廃線となった。
[編集] 沿革
- 1910年(明治43年) - 杉山~土間で専用鉄道の馬車鉄道の運行を開始。
- 1915年(大正4年)3月 - この時までに、西村小次郎個人名義で笹津~杉山間を順次開業。762mmへの改軌と軌道強化を実施。
- 1920年(大正9年) - 杉山~鹿間 間延伸。
- 1922年(大正11年) - 神岡の中心に近い東町まで延伸。神岡軌道株式会社を設立。
- 1923年(大正12年)7月21日 - 神岡軌道に路線を譲渡。同時に軌道法に基づく軌道線となる。
- 1926年(大正15年)5月10日 - 動力の一部を馬から内熱機関車へ変更。
- 1927年(昭和2年)3月7日 - 神岡軌道が三井鉱山に合併。同社の神岡軌道線となる。
- 1931年(昭和6年)8月25日 - 神通川橋梁架橋に伴い、飛越線猪谷駅(1930年11月27日開業)前へ乗り入れ。
- 9月16日 - 笹津~東猪谷間廃止。
- 1932年(昭和7年)3月8日 - 三井鉱山が神岡水電に軌道線を譲渡。
- 1937年(昭和12年)3月1日 - 鹿間~浅井田間開業。
- 1942年(昭和17年)9月19日 - 神岡水電が三井鉱山株式会社に軌道線を譲渡。
- 1945年(昭和20年) - 地方鉄道へ昇格。
- 1949年(昭和24年)10月1日 - 猪谷-神岡町間で旅客営業開始。
- 1950年(昭和25年)5月1日 - 財閥解体により三井鉱山株式会社の金属部門が神岡鉱業株式会社として分離。同時に神岡鉱業に鉄道線を譲渡。
- 1952年(昭和27年)12月1日 - 神岡鉱業が三井金属鉱業に改称。
- 1955年(昭和30年) - 殿~浅井田間休止。
- 1958年(昭和33年)4月3日 - 休止中の殿~浅井田間廃止。
- 1961年(昭和36年)8月 - 東漆山付近での崩落により、軌道付け替え。
- 1962年(昭和37年)11月3日 - 旅客営業廃止。
- 1963年(昭和38年)8月20日 - 鹿間~殿間廃止。
- 1966年(昭和41年)6月15日 - 鹿間~東町間を廃止。
- 1967年(昭和42年)3月27日 - 猪谷~茂住間運行休止。
- 3月31日 - 猪谷~茂住間廃止。
[編集] 駅一覧
1950年頃
- 猪谷 - 東猪谷 - 茂住 - 杉山 - 土 - 鹿間 - 東町(神岡町)
- 鹿間 - 六郎 - 殿 - 浅井田
[編集] 接続路線
- 笹津駅:富山軽便鉄道→富山鉄道(~1931年)・飛越線(1929年~1931年)
- 猪谷駅:高山本線