神田真秋
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神田 真秋(かんだ まさあき、1951年(昭和26年)10月1日 - )は、日本の政治家であり、現在の愛知県知事である。元・愛知県一宮市長、弁護士。血液型はO型。
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[編集] 概要
愛知県一宮市生まれ。学歴は、東海高校を経て、中央大学法学部卒業。弁護士を経て1989年に一宮市長を3期9年務める[1]。
1999年2月に自民党・民主党・公明党・自由党・社民党に推されて愛知県知事選に出馬[2]、当選し以後現在まで3期務める。知事就任時、「情報暗黒県」と言われた愛知県で、「県民と情報を共有したい」と所信表明。1期目には、公文書公開条例の改正などの改革を手がけ、それまでオンブズマンによる都道府県情報公開ランキング最下位であったものをランキング5位にまで押し上げた。また、初当選時には愛知万博や中部国際空港といった大型プロジェクトが争点となっていたことから、これらの大型プロジェクトの見直しを行う[3]。
2007年2月に行なわれた愛知県知事選挙に、自民党と公明党の推薦を受けて立候補。元犬山市長で民主党・社会民主党・国民新党推薦の石田芳弘に僅差で勝利し、3選を果たしている。
※ 名古屋市中区で行われた新規採用職員入庁式での訓示で、障害者について「弱い遺伝子、悪い遺伝子が出た方」と発言[4]。
趣味は、読書と絵を描く事。
[編集] 略歴
- 1951年10月1日 - 愛知県一宮市で誕生
- 1974年3月 - 中央大学法学部を卒業
- 1976年4月 - 名古屋弁護士会(現在、愛知県弁護士会)に弁護士登録
- 1989年11月 - 一宮市長に当選。(~1998年12月)
- 1999年2月 - 愛知県知事に当選。
- 2003年2月 - 愛知県知事に再選。
- 2007年2月 - 愛知県知事に3選。
[編集] 註
- ^ 市長選出馬にあたっては海部俊樹の支援を受けた
- ^ 現職知事引退に伴い、自民党と民主党の旧新進党(=民社党)系と民主党の旧民主党(=社民・新党さきがけ)系・社民党とで推す後継候補が分裂して、妥協策として擁立された経緯がある
- ^ 万博では跡地で計画していた「新住事業」を中止、中部国際空港では空港島埋立て土砂採取事業の撤退を決定
- ^ 毎日新聞:愛知県知事:入庁式で「悪い遺伝子出た方」発言、後で弁解(2007年4月3日)
[編集] 外部リンク
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愛知県知事 | ||
第4代 鈴木礼治 |
第5代 1999年 ‐ 現職 |
第6代 - |
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