祭壇
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祭壇(さいだん)は、神や精霊、死者などに犠牲や供物を捧げる為の壇。祭壇は各宗教によって異なり、大小さまざまであるが、最も大きなものは中国で天を祭った祭壇(天壇)である。
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[編集] 祭壇の形態
一般にその上にに祭器やその他の祭具がおかれる。初めは石や土で壇を築き、その上に犠牲を備えて神を祭った。次いで神殿が出来るとその前や内部に祭壇を建てた。さらには木材、大理石、金属などの材料を用いて複雑な構造や入念な装飾を持つものが現れるようになった。
[編集] 神道の祭壇
神道では神像を祭る場合にはその座席を中心にして屋根でこれを覆ったり、厨子や乗輿を用いたりして祠を作る。古くは神を祭るのに石を巡らしたり、積んだりして神を祭る場所とした磐境、また清浄な土地を選んで周囲に常盤木を立て神座とした神籬がある。壇を設ける場合と設けない場合があるが、いずれも祭壇と呼ぶことが出来る。
祭壇には現存の古習をみると、おもに榊、これに笹竹や御幣を添え、奉拝の対象としている。祭典が次第に荘厳になると祭壇も整備し、神霊を壇上高所に安置して下から奉拝する形をとった。
家の中に設ける祭壇を神棚という。故人を祀るのには神棚とは別に祖霊舎を設ける。
[編集] キリスト教の祭壇
キリスト教では聖堂内でミサ聖祭の執行される台を言う。最後の晩餐の食卓を模ったものとして古くから存在した。
初期キリスト教時代にはローマのカタコンベにおける殉教者の墓の石版のような単純な形式のものにすぎなかった。バジリカ式聖堂が建てられると共に石製の固定祭壇が作られ、形状も複雑になり、次第に工芸美術品としての性格を持つようになった。初期には祭壇は聖堂内に一つしか置かれず、東方教会ではこの祭壇が今日でも保たれているが、西方教会では6世紀初め頃から主祭壇の他に小祭壇を設け、次第にその数が多くなる。祭壇は普通、低い基壇の上にメンサ(mensa)と呼ばれる机が置かれ、その前面に木材、金属で作られた垂幕(antependium)がつけられる。
祭壇の上にキボリウムと呼ばれる特殊な祭壇上部構造を作ることが4世紀~6世紀頃から行われるようになる。これは祭壇上に円柱で支えられた天蓋で、浮き彫りなどを施した石製の壮麗なものが多く、特にイタリア地方で優れたものが作られた。
中世盛期に入ると、このキボリウム形式はバルダキーノと呼ばれる可動天蓋となり、この頃から祭壇脚部にも装飾覆いがつけられた。
ゴシック末期にはドイツを中心としてフランドル等にいわゆる翼式祭壇の特殊な発達が見られる。両翼式祭壇(ジプチコン)、三翼式祭壇(トリプチコン)、多翼式祭壇(ポリプチコン)等の各種の構造を生み出し、いずれも中央部の厨子や翼部に浮き彫り、絵画が施された。ルネサンス期、バロック期を通じて、祭壇装飾は壮麗な豪華さを誇っているが、古典主義時代以後は次第に単純化され、独立した美術品としての価値を失っていった。