福田信之
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福田 信之(ふくだ のぶゆき、1921年 - 1994年11月27日)は元東京教育大学教授、筑波大学副学長・学長を歴任。物理学者。「世界平和教授アカデミー」元会員、「日韓トンネル研究会」元顧問。香川県出身。
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[編集] 概略
東京教育大学の単なる移転問題から東京教育大学を廃学し、新設の「筑波大学」を中心とする世界的水準の「筑波研究学園都市」建設に発展した計画に対する学園紛争において、理学部教授当時、激しい反対の中、推進派の先頭に立って奔走した。その頃、当時、統一教会(世界基督教統一神霊協会)の会長であった久保木修己に出会い、統一教会の教祖、文鮮明の思想に傾倒して行き、 世界平和教授アカデミーを始めとする統一教会関連の団体で精力的に活動し、統一教会シンパの代表的文化人となる。若い頃は反核運動にも取り組んでいたが、統一教会と関係を持ってからは核武装論者で反共主義者となった。1980~84年の学長時代は大学の主要ポストが統一教会系の人脈で占められていたとも言われ、筑波大学に「原理研究会」を始め統一教会を浸透させたという批判もある。
[編集] 来歴
- 1921年 香川県に生まれる。
- 1943年 北海道大学理学部卒業(理論物理学専攻)。
- 1958年 東京教育大教授。
- 1960年代
- 統一教会会長の久保木修己に会い、真の宗教人だと感銘し、統一教会との関係を深めて行く。
- 1974年
- 1976年
- 統一教会系の「世界平和教授アカデミー」の「ナショナル・ゴール(国家目標)研究」(NG研究)というプロジェクトの代表として活動。
- 1980年
- 2月15日 ある受験生の合格に便宜を図るように不正工作をした疑いがあるということで、学内の二人の教授から告発をされていると新聞が報じる。学務部長を通じて文部省に事実でないと連絡をし、文部大臣は記者会見をして、文部省として直ちに調査に乗り出す考えはないということを発表。筑波大学の学長は調査の結果、推薦入試の選考で不正が行われた事実はないということを公式に表明。
- 3月22日 国会で、警視庁機関誌の『自警』79年11月号、『警泉』同二月号に掲載された「エネルギー問題と原子力」という題の論稿で、外交問題になりかねないようなイスラム諸国に対する侮蔑的表現や、原子力反対運動によって日本は共産主義化して崩壊するというような表現があり、それらを警視庁の機関誌に掲載することは問題だと指摘される。[1]
- 筑波大学の学長に就任。
- 森本真章(福井工業大学名誉教授)、滝原俊彦(帝京大学教授)らで結成した「教科書問題研究会」で代表を務める。世界平和教授アカデミーの会員仲間の黒田巍(東京教育大学名誉教授)、久保田信之(学習院女子短期大学教授)、名越二荒之助(高千穂商科大学助教授)らと共に活動。
- 1984年
- 1985年
- 1992年
- 1994年
- 11月27日74歳で他界。
[編集] 著書
- 原爆・水爆とビキニ死の灰まで 図解原子物理学 (ラジオ科学社 1954年)
- 新しい物理学第2版 (安河内昂との共著 共立出版 1984年12月 ISBN:9784320030046)
- 21世紀の希望と統一運動 大学教授がみた世界救済への道 (光言社 1990年09月 ISBN:9784876560202)
- 文鮮明(ムンソンミョン)師と金日成(キムイルソン)主席 開かれた南北統一の道 (世界日報社 1992年6月 ISBN:9784882010494 )
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 註
- ^ 第091回国会 予算委員会 第13号 昭和55年(1980年)3月22日
- ^ 102 第102回国会 決算委員会 第11号 昭和60年(1985年)6月18日
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