竹内宏介
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竹内 宏介(たけうち こうすけ、1947年1月6日 - )は、プロレス評論家で元週刊ゴング編集長・日本スポーツ出版社元社長。現在は日本スポーツ出版社編集顧問。静岡県熱海市生まれで東京都台東区出身。通称「熱血・週刊ゴング編集人」。現在の愛称は魂のプロレス請負人。脳梗塞で倒れ病床にある。
[編集] 略歴
幼少時代、力道山による空前のプロレスブームが起こり、竹内も例外ではなく、街頭テレビに映る力道山に熱中した。1965年にベースボール・マガジン社に入社し、格闘技専門誌である「プロレス&ボクシング」のカメラマンとしてプロレスに携わる。また、カメラマンでありながら記事も書き、弱冠19歳で「プロレス&ボクシング」、「月刊ボディビルマガジン」の編集長に就任するが、日本スポーツ出版社から新雑誌創刊の為にヘッドハンティングされたことを受け、1968年に日本スポーツ出版社に中途入社。そして「週刊ゴング」の前身である「月刊ゴング」を創刊する。ジャイアント馬場、新間寿という全日本、新日本両団体の中枢の人物に信頼された。
編集業の傍ら、東京12チャンネルで放送されていた国際プロレス中継の解説者としても活躍。そのハイテンションな喋り口が視聴者に受け、NETテレビの「ワールドプロレスリング」の解説者を兼任していた。
当時、ミル・マスカラスの大ブームが起こっていたが、いち早く竹内は目をつけた。これまでに無い覆面レスラーが海外にいると聞いて、マスカラスを3年間追い続ける。1971年、マスカラスは日本プロレスに初来日。その7年後の1978年、竹内も「マスカラス専用解説者」として全日本プロレス中継解説者に就任する。以降、全日本プロレス中継のレギュラー解説者として活躍。放送内では「ボクはマスカラスファンですから」と公言していた。
全日本プロレス中継の解説者としては、先代の山田隆、田鶴浜弘が引退した後、1990年代前半より若林健治との通称・若竹コンビで人気を博す。常にハイテンションなコンビであり、試合そっちのけで喋ることも多かった。1992年を最後に放送席から離れていたが、1999年5月2日、東京ドームで行われたジャイアント馬場引退記念興行より復帰し、以降2000年の全日本分裂・中継終了までレギュラー解説者を務めた。その直後の10月9日、新日本・東京ドーム大会で新日本vs全日本の対抗戦が行われ、竹内はゲスト解説者として一回限りの「ワールドプロレスリング」復帰を果たした。
2000年以降は馬場元子派に付き、中継終了後もタイトルマッチの選手権試合宣言でリングにあがる等全日本プロレスを応援していたが、現在は執筆活動に力を入れている。2005年、国際プロレスの秘蔵映像を竹内が持っていることが分かり、DVD「伝説の国際プロレス」が発売された。
口癖は「どうもっ!」、「ですねっ!」。