織田信成 (フィギュアスケート選手)
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基本情報 | |||
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国籍: | ![]() |
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出身地: | 大阪府, 高槻市 | ||
身長: | 164 cm | ||
体重: | 52 kg | ||
コーチ: | 織田憲子, リー・バーケル | ||
振付師: | デイヴィッド・ウィルソン | ||
所属: | 関西大学 | ||
ISU パーソナルベスト | |||
SP+FS トータル: | 244.56 | 2006 NHK杯 | |
ショートプログラム: | 83.55 | 2006 NHK杯 | |
フリースケーティング: | 161.01 | 2006 NHK杯 |
最近の結果: | |||
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大会名 | ポイント | 順位 | 年 |
世界選手権 | 209.94 | 7位 | 2007 |
全日本選手権 | 235.66 | 2位 | 2006 |
グランプリファイナル | 216.86 | 3位 | 2006 |
NHK杯 | 244.56 | 2位 | 2006 |
スケートアメリカ | 231.39 | 1位 | 2006 |
織田 信成(おだ のぶなり、1987年3月25日 - )は、日本の男子フィギュアスケート選手。身長164センチ、血液型A型。
目次 |
[編集] 概要
大阪府高槻市出身。高槻市立第二中学校 大阪府立阿武野高等学校卒業。現在は関西大学文学部在学中。同じ男子フィギュアスケート選手の高橋大輔は同大学の先輩。
戦国大名織田氏の家系。織田信長の17代目の末裔(信長の七男・信高の流れを汲む旗本の末裔)として注目され、ニックネームも「殿」・「将軍」などと呼ばれ「氷の上で天下統一」と言われていたように話題が先行(但し本家筋ではなく、かつ彼は次男であるため、周囲が第何代目などと呼ぶのはおかしいのではとの指摘もある)していたが、2005年の世界ジュニア選手権での優勝以来の活躍ぶりから、2006年現在では高橋大輔と並ぶ日本男子フィギュアスケートのトップ選手として期待を寄せられている。
コーチはカナダのリー・バーケル(メイン)と、信成の実母織田憲子(関西大学アイススケート部コーチ、国内での練習を主に担当)が、振付はデビッド・ウィルソンが担当。バリエーションが豊富で回転の速いスピン、ランディングの美しいジャンプが持ち味で、大舞台での勝負強さにも定評がある。不得意とされるステップも2006-07シーズンに克服。
今後の課題はトリプルアクセルの成功率向上(回転不足となったり、手をついてしまうことがまだ少なくない)と4回転ジャンプの習得・成功とされる。
織田信長の子孫であることが海外でもよく紹介されており、邦楽的メロディ、あるいは邦楽楽器をフィーチャーした楽曲をフィギュアスケートのテーマ曲として使う機会が多い。その一方でスーパーマリオブラザーズなどをテーマとしたユニークな演技でも知られる。
2005-06シーズンからシニア参戦。グランプリシリーズのスケートカナダで3位入賞、NHK杯で優勝し、グランプリファイナルに進出した。この結果トリノオリンピック代表有力候補となったが、全日本選手権で2位に敗れ、又代表選考ポイント数でも僅差の2位となり、惜しくも出場を逃した(代表を逸したいきさつについては高橋大輔の項目にも記述があるので参照されたい)。
しかし、このシーズンの活躍は高く評価され、2006年四大陸選手権と世界選手権の代表に選ばれた。同年2月開催の四大陸選手権では、男子シングル部門で初出場・初優勝を飾る(同大会での日本人男子シングルの優勝者は1999年・2003年の本田武史以来2人目)。そして同年3月開催の世界選手権カルガリー大会でも、初出場ながらはつらつとした演技で4位入賞を果たす。この2006年世界選手権の、日本男子シングル枠は織田1人だけだったが、織田が10位以内に入ったため、翌2007年に地元日本・東京で行われる世界選手権の日本男子シングル枠は2人に増やされた。
2007年3月に開催された世界選手権東京大会では、同代表の高橋大輔と共に織田もメダル獲得が期待されたが、SPでトリプルアクセルのジャンプが抜けてしまう失敗が響き、14位と大きく出遅れる。FSではコンビネーションジャンプを次々成功させて追い上げたものの、織田の総合成績は7位入賞にとどまった(高橋は日本男子史上最高位の2位入賞、銀メダルを獲得)。
たいへん涙もろい人物としてもしられる。その一部として、
- 2005-06シーズンのNHK杯で優勝した時のキスアンドクライ(演技後の選手とコーチが得点の発表を待つ場所)では人目も憚らず嬉し泣きをした。
- 2006年度の全日本フィギュアで自身のミスから逆転優勝を逃した悔しさ、そして優勝した高橋のすばらしい演技から「僕には優勝する資格がなかった。」と悔し泣きしたことは記憶に新しい。
戦国三武将で有名なホトトギスの歌を詠むなら、とのインタビューで、「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と詠み、話題となった。
[編集] 主な戦績
- 2002 - 2003年
- ジュニアグランプリシリーズ ブラティスラバ大会 2位
- 近畿選手権大会 ジュニア 1位
- 全日本ジュニア選手権大会 3位
- 全国高等学校スケート競技選手権大会 A 2位
- 全大阪選手権大会 シニア 1位
- ムラドストトロフィー ジュニア 1位
- 全関西選手権大会 シニア 1位
- 2003 - 2004年
- ジュニアグランプリシリーズ ブラティスラバ大会 2位
- 近畿選手権大会 ジュニア1位
- ジュニアグランプリシリーズ 岡谷大会 3位
- 西日本選手権大会 ジュニア1位
- 全日本ジュニア選手権大会 2位
- 全大阪選手権大会 シニア 1位
- 全日本選手権大会 5位
- 全国高等学校スケート競技選手権大会 A 1位
- 国民体育大会冬季大会 少年 1位
- 世界ジュニア選手権大会 11位
- 全関西選手権大会 シニア 1位
- 2004 - 2005年
- ジュニアグランプリシリーズ ロングビーチ大会 4位
- ジュニアグランプリシリーズ キエフ大会 3位
- Octoberfest 2004 ジュニア 1位
- 全日本ジュニア選手権大会 1位
- 全大阪選手権大会 シニア 1位
- 全日本選手権 3位
- 全国高等学校スケート競技選手権大会 A 1位
- 国民体育大会冬季大会 少年 2位
- 世界ジュニア選手権 優勝
- 2005 - 2006年
- 2006 - 2007年
- グランプリシリーズ
- スケートアメリカ 優勝
- NHK杯 2位
- グランプリファイナル 3位
- 全日本選手権 2位(235.66)
- 冬季ユニバーシアード大会 2位(224.27)
- 世界選手権 7位(209.94)
- グランプリシリーズ
[編集] 織田信高家の系譜
- 織田信長-2代織田信高-3代織田高重-4代織田一之-5代織田信門-(養子)-6代織田信倉-(養子)-7代織田信直-8代織田長孺-9代織田長裕-10代織田信真-(11代~14代)-16代織田信義-17代信成(次男)
家系図上は信高の傍系だが、血筋は信長の次男織田信雄の子孫である。詳しくは織田信長も参照のこと。
[編集] 外部サイト
- ISU Crystal Report - Nobunari ODA
- Smile Wind ファンページ
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