郷司裕
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郷司裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年) - 2006年(平成18年))、北海道出身の野球審判。元日本学生野球協会常任理事。明治大学卒業。旧制明治中学校(現:明治大学付属明治中学校・高等学校)時代、野球部監督であった島岡吉郎から球審を勧められ、以来、半世紀余りを高校、大学、社会人の各大会で2,000を越える試合でマスクをかぶった。特に、夏の甲子園では決勝戦の球審を13回務め、1965年~1975年まで実に春夏通算11年連続決勝戦の球審を務めた。
俳優の高倉健は大学時代の同期。
[編集] 担当した主な名勝負
- 1962年第33回都市対抗野球大会 大阪市・電電近畿-東京都・ニッポンビール(延長22回、5時間27分)で球審。
- 1966年第51回大会決勝 松山商-三沢ならびにその再試合で球審
- 1969年第40回記念都市対抗野球大会 大阪市・日本生命-太田市・富士重工業で球審(昭和天皇夫妻による天覧試合)
- 1978年第60回記念大会1回戦 高松商0-1×仙台育英(延長17回)で1塁塁審。高松商業対仙台育英延長17回
- 1979年第61回大会決勝 池田3対4箕島で球審。