霊柩車
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霊柩車(れいきゅうしゃ)とは、遺体を葬祭式場から火葬場(土葬の場合は墓地)の移動の際に使用される特種用途自動車。
日本では、古くは棺を人間がかついで運んでいたが、その後大八車様のものに乗せて運ぶようになった(このようなものは「棺車」と呼ばれる)。その後、トラックの上に棺を入れる宗教的装飾を施した輿のようなものを乗せて運ぶようになり、更にそれが自動車と一体化して霊柩車となった。ボディーの色は殆どが黒である。昭和初期の霊柩車は主にアメリカのパッカードを改造したものが多かったという。
[編集] 形態
現在の霊柩車の様式は、おおむね宮型・洋型・バス型・バン型に分類される。
宮型霊柩車は高級乗用車(キャディラックブロアム・リンカーンタウンカー等)や小型トラックを改造して、宗教的装飾(主に、神社や神輿寺院を模したもの)のある棺室を設置した霊柩車。棺室は白木のものと漆塗りのものとがある。また、地域的な偏りが大きく、普及しているところとほとんど存在しないところとに分かれる。現在も台数は多いが、最近は葬礼に対する考え方も変わり、洋型車両も増えてきている。火葬場によっては、近隣住民の拒否感などに配慮し、宮型霊柩車の乗り入れを拒否するところもある。
洋型霊柩車はステーションワゴンや高級乗用車(リムジン、メルセデス・ベンツ等)を改造して作られ、唯一の装飾として、葬礼馬車の金具を模した飾りが、荷台部分に取り付けられている。「リムジン型」と呼ばれることも多い。車体は黒いものが多い。遺族が乗れるように後部座席が付けられている車もある。最近は、メルセデス・ベンツ Eクラス ワゴン等も使われており、高級になりつつある。
バス型霊柩車は、大型バスやマイクロバスを改造して作られており、棺のほか遺族・僧侶(神官、牧師)・葬儀参列者などを乗せるスペースがある。地域的な差が大きい。特に、冬季の気候が厳しいことから自宅葬が少なく葬儀会場葬が多い北海道などでは主流となっている。
バン型霊柩車は、葬儀場所から火葬場や墓地まで遺体を搬送するのに使われるだけではなく、遺体を病院から自宅、自宅から葬儀会場へ移動させる際にも用いられる。もっぱら後者の用途に使われるものについては、霊柩車とは呼ばず、「寝台車」、「搬送車」と呼ばれる。自宅から葬儀会場へ運ぶ場合は納棺を済ませている場合も多いので、棺を乗せられるようになっている。ミニバンやステーションワゴンを改造して作られ、後部座席を半分ほど撤去して遺体を乗せる台が取り付けられている。また、病院などへの乗り入れを考えて飾り付けを施さず、自家用乗用車やタクシーとはナンバープレートでしか区別が付かないものもある。
道路運送法では遺体は貨物に区分されるが、葬礼車両の運転者に、旅客輸送の二種免許保有を義務づける運行業者が多い。日本では緑地に白字(事業用)の8ナンバーのナンバープレートが付けられている。
[編集] 鉄道車両
鉄道車両にも、霊柩車は存在する。著名なものは、天皇、皇后の崩御の際に、その遺体を輸送するためのものである。具体的には明治天皇及び大正天皇の崩御の際に、3両の客車が新造あるいは改造により製作されている。詳しくは、皇室用客車#霊柩車を参照されたい。
一般用の霊柩車としては、1915年(大正4年)に名古屋市の八事に市営の共同墓地と火葬場が建設されたのにともない、尾張電気軌道(名古屋市電の前身の一つ)が墓地に線路を引き込み、既存の電車(9号とされるが、4号とする説もあり)を改造して霊柩電車を製作している。この霊柩電車は、車体の中央部に棺を出し入れする幅1800mmの扉を設置し、会葬者とともに墓地まで運んだという。この霊柩電車は、1935年(昭和10年)頃(1931年(昭和6年)とする説もあり)まで使用された。世界的にも珍しい例として知られる。
また、実現はしなかったが、東京と大阪でも霊柩電車の運行が計画されていた。阪急電鉄の前身の一つである北大阪鉄道(現在の阪急千里線)は、設立趣意書の中で、千里山丘陵を開発して墓地や葬儀場、火葬場を建設し、会葬者の足となる「葬式電車」を運行すると記している。
東京においても、1923年(大正12年)に多磨墓地が開設され、京王電気軌道(現在の京王電鉄)が多磨霊園駅から分岐する支線を建設して多磨墓地に乗入れ、会葬者用の列車を運転する構想があった。