静岡薬科大学
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静岡薬科大学 (しずおかやっかだいがく) は、1953年 (昭和28年) に静岡県によって設立された新制公立大学。1987年に静岡県立大学に統合され、薬学部となった。
本項では、旧制静岡県立薬学専門学校など前身諸校を含めて記述する。
目次 |
[編集] 概要
- 1916年 (大正5年) に設立された私立静岡女子薬学校を源流とする。
- 直接の前身校、旧制静岡県立薬学専門学校は、元々は私立静岡女子薬学専門学校として設立されたが、共学化を経たのち、静岡県に移管された。
- 同窓会は 「静薬学友会」 と称し、旧制・新制合同の会である (2006年10月には静岡県立大学全学の連合学友会 「はばたきの会」 が発足した)。
[編集] 沿革
[編集] 旧制静岡女子薬学校時代
- 1916年2月: 静岡県知事により、私立静岡女子薬学校設置認可。
- 1916年4月: 静岡女子薬学校開校 (修業年限3年)。
- 1919年: 薬剤師検定試験受験資格が認められる。3月、第1回卒業。
- 1924年: 静岡市南安東字瓦場 (現 葵区瓦場町) に校舎新築・移転。
- 1924年10月: 入学資格が高等女学校卒業程度となる。
- 1925年10月: 岩崎照吉 初代校長死去、廃校の危機に。
- 1926年: 11月-12月に新校主・新校長着任、学校再建。
- 1927年4月: 寄宿舎竣工。
- 1927年12月: 『静岡女子薬林』 創刊。
- 1933年1月: 篠田恒太郎 第2代校長死去。生徒会誌 『恒星』 創刊。
- 1943年11月: 薬学専門学校相当との指定願を文部省に提出。
- 1944年3月: 「静岡女子厚生薬学専門学校」 設立認可願を提出 (1945年1月取下げ)。
- 1944年9月5日: 薬学専門学校相当として指定される (8月25日付、文部省告示第1050号)。
[編集] 旧制静岡女子薬学専門学校時代
- 1945年1月: 「財団法人 静岡女子薬学専門学校」 設立総会。
- 1945年3月30日: 専門学校令により私立静岡女子薬学専門学校設立認可 (学専76号)。
- 本科 (修業年限3年)、研究科を設置。
- 1945年7月1日: 第1回入学式、授業開始。
- 1947年3月: 併設の静岡女子薬学校閉校。
- 1948年3月: 薬専第1回卒業式。
- 1948年7月: 財団法人理事会、新制私立薬科大学設置を決議。
- 1948年8月: 新制私立薬科大学設置認可を申請。認可されず。
- 1949年12月: 小鹿八段畑 (現駿河区小鹿2) の旧三菱重工業工場跡地の払下げを受ける。
[編集] 旧制静岡薬学専門学校時代
- 1950年4月1日: 共学化し、静岡薬学専門学校と改称。
- 財団法人の名称は変更せず。
- 1950年12月: 財団法人から学校法人への組織変更申請。
- 1951年3月: 学校法人への組織変更申請、差し戻される。
- 1951年9月: 私立静岡薬科大学設置申請 (受理されず、1952年1月 申請取下げ)。
- 1951年12月: 隣接地への競輪場設置反対運動勃発。
- 反対運動は不成功で、競輪場は設置された。
[編集] 旧制静岡県立薬学専門学校時代
私立静岡薬学専門学校は財政基盤が脆弱で (教員への給与も満足に支払われなかった)、私立での薬科大学設置申請は認可されなかった。1953年度までに新制大学に移行できない旧制専門学校は廃校の運命にあった。文部省の意向を容れて静岡県に移管することで、ようやく薬科大学への昇格が認められることとなった。
- 1952年8月31日: 財団法人解散、静岡県に移管、静岡県立薬学専門学校となる (9月1日発足)。
- 1952年9月8日: 県立移管開校式を挙行。
[編集] 静岡薬科大学時代
- 1953年3月23日: 文部大臣により新制静岡薬科大学設置認可 (地大第60号)。
- 旧制静岡県立薬学専門学校を母体として、薬学部薬学科のみで発足。
- 1953年4月29日: 薬科大学 第1回入学式。
- 1954年3月: 旧制静岡県立薬学専門学校、廃止。
- 1962年3月: 大学院薬学研究科薬学専攻 (修士課程) 設置認可。
- 1964年3月: 大学院薬学研究科薬学専攻への博士課程増設認可。
- 1965年12月: 製薬学科設置認可。
- 1973年3月: 大学院薬学研究科に製薬学専攻を増設。
- 1974年4月: 環境科学研究所を設置。
- 1980年4月: 漢方薬研究所を設置。
- 1987年4月: 静岡県立大学発足、同 薬学部となる。
- 1990年3月: 静岡薬科大学、閉学。
[編集] 歴代校長・学長
- 旧制静岡女子薬学校
- 初代: 岩崎照吉 (1916年2月 - 1925年10月9日死去)
- 第2代: 篠田恒太郎 (1926年12月 - 1933年1月12日死去)
- 校長事務取扱: 石上喜一 (1933年1月 - 1937年3月)
- 第3代: 林寛三 (1937年3月 - 1938年3月)
- 校長事務取扱: 渡辺和兵衛 (1938年4月 - 1945年3月)
- 旧制静岡女子薬学専門学校
- 初代: 田口文太 (1945年3月 - 1947年2月)
- 公職追放で辞職。
- 校長事務取扱: 渡辺和兵衛 (1947年2月 - 1947年6月)
- 第2代: 川上登喜二 (1947年6月 - 1948年11月)
- 校長事務取扱: 遠藤勝 (1948年11月 - 1950年3月)
- 旧制静岡薬学専門学校
- 初代: 遠藤勝 (1950年4月 - 1952年8月)
- 旧制静岡県立薬学専門学校
- 校長事務取扱: 斎藤寿夫 (1952年9月 - 1952年10月)
- 初代: 宮道悦男 (1952年10月 - 1954年3月)
- 岐阜薬科大学学長と兼任。
- 静岡薬科大学
- 学長: 宮道悦男 (1953年4月 - 1954年4月)
- 岐阜薬科大学学長と兼任。
- 学長: 鵜飼貞二 (1954年4月 - 1969年3月)
- 学長: 伊藤四十二 (1969年4月 - 1976年6月死去)
- 学長事務取扱: 関屋実 (1976年6月 - 1976年9月)
- 学長: 上尾庄次郎 (1976年10月 - 1981年9月)
- 学長: 村田敏郎 (1981年10月 - 1986年9月)
- 学長: 小菅卓夫 (1986年10月 - )
[編集] 校地
旧制静岡女子薬学校創立時は、初代校長 岩崎照吉が経営していた岩崎眼科医院の一角を校舎として使用した (現 静岡市葵区鷹匠3丁目、村瀬眼科)。1924年、市内瓦場町の元長寺隣地の新校舎に移転。
瓦場校地は、後身の旧制静岡女子薬学専門学校、旧制静岡薬学専門学校に引き継がれたが、狭隘となったことと、借地契約上の問題が発生したため、1948年7月頃から市内小鹿(現 静岡市駿河区小鹿2丁目) の元三菱重工工場跡地に分教場を設け、徐々に移転した。1952年9月の旧制静岡県立薬学専門学校発足時までには、小鹿校地に完全に移転した。瓦場校地は 1952年12月に閉鎖された。
新制静岡薬科大学は小鹿校地で発足し、後身の静岡県立大学薬学部も、1987年の発足時は同地を使用した。同大学薬学部は 1989年に現在の谷田キャンパスに移転。小鹿校地は、現在は静岡県立大学短期大学部の小鹿キャンパスとなっている。
[編集] 関連項目
[編集] 関連書籍
- 静岡薬科大学沿革史編集委員会(編) 『静薬六十五年史』 静岡薬科大学、1982年3月。
[編集] 外部リンク
- 静岡県立大学薬学部 - 後身校。
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