飯塚高史
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飯塚高史 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 飯塚高史 飯塚孝之 |
本名 | 飯塚孝之 |
ニックネーム | 魔性のスリーパー 青春ブリザード |
身長 | 181cm |
体重 | 101kg |
誕生日 | 1966年8月2日 |
出身地 | 北海道室蘭市 |
所属 | 新日本プロレス |
デビュー | 1986年 |
飯塚高史(いいづか たかし、1966年8月2日-)は新日本プロレス所属のプロレスラー。本名は飯塚孝之(いいづか たかゆき)、北海道室蘭市出身。
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[編集] 経歴・概要
若手時代には馳浩と共にロシアでコマンドサンボ修行を行っており、グラウンドレスリングの技術力が非常に高く、道場でコーチを務めていた時期もあった。またその技術を買われて、パンクラスのリングでは鈴木みのると「キャッチレスリング」(打撃無しルール)で対戦している。 スリーパーホールドを得意としており、過去に何度もこの技で勝利をあげている。
裏投げとフィッシャーマンズ・スープレックスを併せた(本人談)ブリザードスープレックスという技も得意としており、技の名前は出身地が北海道であることから、リングアナウンサーの田中秀和が命名したものである。80年代の後半にはソ連へサンボ留学に出発した。
海外遠征時からの帰国時、闘魂三銃士、馳浩、佐々木健介の5人にシングル戦を要求するマイクパフォーマンスをリング上で行ったが、希望が即座には反映されなかった。この時の売り出しの失敗と本人の性格の地味さが原因で、トップグループに割って入ることができなかった。
1999年1月4日の小川直也対橋本真也戦における場外乱闘で、小川のセコンドについていた村上和成に対し、一時昏睡状態に陥るほどのダメージを負わせた張本人とされる(これが原因で、村上は一時執拗に飯塚の首を狙っていた)。
2000年1月4日、橋本とのタッグで小川・村上組に勝利。4月7日にはシングルで村上に勝利すると、7月20日に健介の持つIWGPヘビー級王座に挑戦。試合には敗れるものの、その後のG1クライマックスで永田裕志と大会中ベストバウトと呼ばれる試合を展開。G1タッグリーグ戦では永田と組んで初優勝と、飯塚にとって2000年は非常に実りの多い年であった。しかし2001年、長井満也との試合で首を負傷し、長期欠場を余儀なくされる。エル・サムライおよびAKIRA (プロレスラー)との三人で「新世代闘魂トリオ」という形で売り出されたこともある。
[編集] 略歴
[編集] 得意技
グラウンドの切れ味は抜群。また、裏投げやブリザードと言ったサンボ仕込みの投げ技も得意。かつては切れの良いスープレックスの使い手でもあった。
- スリーパーホールド
- その破壊力から「魔性のスリーパー」と呼ばれる。
- ブリザードスープレックス
- サンボ修行で会得した大技。変形の裏投げで、背中に回す腕が相手の足を固めている。秋山準のエクスプロイダーと比較されることが多いが、急角度に落としていく秋山のそれとは違い、飯塚のブリザードは相手を背中から落とし、そのままホールドに持ち込む。
- 裏投げ
- 馳浩曰く「横にひっくり返しているだけ」。
[編集] 入場テーマ曲
- TERRIBLE AIR