佐々木健介
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佐々木 健介(ささき けんすけ、1966年8月4日 - )は、福岡県福岡市出身の日本の男子プロレスラー。東福岡高校卒。
全日本プロレス、DRAGON GATE等を主戦場とする。健介オフィス所属兼同社取締役。公称身長180cm、体重115kg。実際は170cmあるかないかの身長で体重も105キロ程度。横浜の「大魔神」佐々木主浩は長身だが、豆タンクのような体なので「小魔人」(しょうまじん)と呼ばれている。血液型はB型。妻は、全日本女子プロレス出身の元プロレスラー北斗晶。あだ名はマッスルボルケーノ。
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[編集] 経歴・戦歴
福岡市立花畑中学時代から柔道を始め、同窓に貴闘力忠茂がいる。長州力に憧れ、私立東福岡高等学校卒業後ジャパンプロレスに入門、笹崎伸司戦でデビュー。後に新日本プロレスに参戦。2002年に、鈴木みのる戦を巡る交渉の過程で会社への不信感を理由に新日本を退団し、WJプロレスへ移籍。翌2003年にWJを退社してからはフリーランスとして活動している。この際埼玉県吉川市の自宅に健介オフィスを設立する。なお、長州力との関係は、2003年にWJ退団と共に断絶を匂わせ、2005年のWRESTLE-1トーナメント1回戦後に断絶した。
2004年度プロレス大賞MVPを受賞した。この年藤田和之からIWGPヘビー級王座を奪取したのが決め手となった。しかしこの試合は藤田から3カウントを取ったものの、藤田は技をかけている最中でのフォールという形になっていた為、レフェリーにも疑問の声が挙がった。この不可解な裁定に健介の妻・北斗晶は激怒し、涙を流しながら、「これが新日本のやり方か!?」と叫び、子供を抱えたままリングサイドにいた新日本プロレスのフロント陣を蹴りつけ、そのまま、インタビュールームに乗り込み、試合後のインタビューを受けていた健介を連れて早々に引き上げた。この際、健介は優勝トロフィーを廊下に投げつけ破壊した。この暴挙は子供を抱えたまま行っており、当時世話になっていた天龍源一郎が「子供に悪影響を与えたらどうするんだ」と話し、以来天龍は健介ファミリー入りしている。
2005年12月14日に健介オフィスの株式会社化を発表、2006年2月11日にデビュー20周年の節目に健介オフィスとしては初の自主興行を全日本プロレスの全面協力の下後楽園ホールにて開催され、メーンでは小橋建太と初合体し、中嶋勝彦と天龍源一郎とのタッグマッチが行われる。
[編集] ファイトスタイル・人柄など
[編集] ジャパンプロレス~新日本~WJ時代
IWGPヘビー級王者に君臨すること5回(新日本所属時代に3度、フリーになってからは2度)、G1クライマックス優勝2回など、1990年代~2000年代を代表するレスラーの一人。しかし、同世代の闘魂三銃士、同門の馳浩に比べ華やかさに欠け、長州力のコピーそのものの直線ラリアット・プロレスしかできず、さらにはファンが見てもはっきりわかるほど長州から贔屓されていたために、「しょっぱいレスラー」と言われ人気は低迷。「ノーザンライトボム」を使い始めた時期などは、防戦一方の試合にもかかわらずそれ一発を出すことであっさりとフォールを奪ってしまうような試合も多く、そのスタイルに不満を持つファンは多かった。「しょっぱい」という皮肉を込めて「佐々木塩介」と呼ぶ者が出始めたのもこの頃であった。 その後WJへ移籍したが、そこでも「長州の金魚の糞」と評され、より評価を下げてしまった。
また、ここ一番という大きな試合(対垣原賢人、対天龍源一郎、対川田利明など)での負け癖が響き、評価は高くなかった。また、ファンの間では健介が動くと何か不吉なことが起こるなどと言われていた。(・アリゾナのドン・フライの元で総合格闘技のトレーニングを積み、帰国した際に予定されていたTV出演が9.11の同時多発テロにより中止/・新日本退団の記者会見を開いた後、棚橋刺傷事件が起こるなど)。
[編集] フリー転向後
フリーになってからは、妻の北斗晶が健介のマネージャー、プロデュース業に専念し、新日本、全日本などのメジャーからDDT(佐々木そっくりのキャラクターで戦う健心(藤沢一生)とタッグを結成している)のようなインディーまで幅広い団体に出場することや、今までのスタイルにアピールを加えたり、「鬼嫁」こと北斗晶、「息子」こと中嶋勝彦を交えた「健介ファミリー」でのカカア天下キャラを押し出したりするなどでプロレスの幅を広げ、今やボブ・サップ相手に名勝負を展開できるまでに変化している。多くの団体で活躍した功績が認められ、2004年にはプロレス大賞のMVPを獲得するなど、徐々に「塩レスラー」とは呼ばれなくなっていった。
特に2005年7月18日、NOAH東京ドームで行われた対小橋建太戦では、常識を超えた逆水平の打ち合いを繰り広げ、ノアファンからも大きな声援を受けた。この年のプロレス大賞ベストバウトにも選ばれたこの試合で「しょっぱいレスラー」の汚名を見事に返上した。小橋との試合後、興奮が冷めないことと、小橋が試合後もトレーニングに励むと聞いたことから健介も控え室でチューブトレーニングなどを行った。翌日は試合はなく、ある雑誌の取材を受けていたが、小橋が「健介は今日も試合があると思ってトレーニングをしていた」という発言をしたと聞き、帰ってすぐトレーニングに励んだ。
2005年11月5日に行われたNOAH日本武道館大会に参戦。今度は息子・中嶋と組んで小橋とその弟子の潮崎豪とタッグで対戦し勝利。またも常識はずれの逆水平チョップの打ち合いを繰り広げ、潮崎にジェラシーを感じさせるなどプロレス界における存在も大きくなったが、やはりその代償は大変重いのか、翌年1月になっても胸の傷は治っていない。ノアに関しては継続参戦へ向かうのかどうかは不明であるが、本人は「ノアはおとぎの国。開ける扉開ける扉、新しい世界が広がっていて、参戦するのが非常に楽しい」と発言していることから、前向きな様子である。また、現在主戦場にしている全日本プロレスでも健介ファミリーとして様々な名勝負を行っている。9月には215kgの曙をバックドロップで投げるという快挙も見せた。
[編集] プライベート
北斗晶こと久子夫人との間に二児をもうけている。マスコミ向けには「北斗」と呼ぶものの、プライベートでは本名の久子にちなみ「チャコ」と呼んでいるようだ。必殺技の一つノーザンライトボムは北斗から伝授されたもので、現役時代の北斗にはストラングルホールドγを教えている。テレビ朝日のバラエティ番組『いきなり!黄金伝説。』の人気コーナー「夫婦2人1週間5千円節約バトル」に夫婦で出場し、2005年7月現在の王者(防衛1回)である。
[編集] 名言
- 「正直スマンカッタ」
- 2001年3月、IWGPタイトルマッチを約束しながら、直前の試合でスコット・ノートンにタイトルを奪われ、約束を果たせなかったことに対する藤田和之への謝罪。
- 「納得いかない、ヴァー」
- 2002年1月、セコンドの乱入により無効試合となった小川直也戦後の発言。一部のスポーツ紙がなぜか「ヴァー」と表記したため話題に。
[編集] 主な得意技
新日本時代は長州力の流れを汲む、典型的なパワーファイターの感がぬぐえなかったが、フリーランスになってからはプロレスの幅を広げ、様々な技に挑戦する傾向にある。
- 逆水平チョップ
- 健介も小橋健太、天龍源一郎と並び、この技の名手の一人である。小橋建太との常識はずれのチョップ合戦により、本人もやられる側の気持ちがわかったようである(鈴木みのる談)。
- ラリアット
- 健介のラリアットは、横一直線に腕を相手の胸元及び喉元に叩きつける為、体重の軽い選手は、その場で一回転しまう程の威力を誇る。新日本プロレス時代は、序盤からこの技を乱発した為、プロレスファンから批判を浴びる事に。
- ノーザンライト・ボム(北斗ボム)
- 元々は妻・北斗晶の技であり、彼女から伝授された。北斗及び他の選手が使う際はボディスラムの体勢から入るが、健介の場合は垂直落下式ブレーンバスターの体勢から入る。最初は北斗と同様の入り方をしていたが、「体にパワースラムのくせがついているし、こっちの方が体重を乗せ易い」との理由で現在のスタイルに変更した。
- ストラングルホールド
- 健介の代名詞的なオリジナル技。最近はほとんどγしか出さない。
- α - 片腕を押さえつけつつ、相手の頭を上下で両足で挟み込んで絞め上げる技。
- β - αを相手がうつ伏せの状態で繰り出す。
- γ - 自分の両足を使った羽根折り固め。
- サソリ固め
- 逆一本背負い
- 受身を誤ると肩の脱臼や脳天から落下を招く危険な技。
- 雪崩式フランケンシュタイナー
- 大一番でしか出さない技。
- タイガースープレックス
- フリーになってから使うようになった技。あまり出すことは無い。
- ドラゴンスープレックス
- タイガースープレックスよりも使用頻度が高い。
- フェイスクラッシャー
- 対角線のロープに振る→健介が走りこむ→相手がロープにぶつかる→反動で前に出てきたときに頭をつかんで繰り出す。大体の試合で必ず1回は出す技。馳浩とのタッグ時はダブルフェイスクラッシャー(左右から挟んでのフェイスクラッシャー)になる。
- 鬼嫁殺し
- 中嶋勝彦との連携技。
- 中嶋を振り回して遠心力で威力を増大させたキック
- ジャーマンスープレックスの体勢で相手をつかんだ中嶋ごと健介がジャーマンスープレックスで投げ飛ばす非常に豪快な技。
- ボルケーノ・イラプション
- 2004年1月に初披露した新技。日本での初披露は同年3月天山広吉の持つIWGPに挑戦した時に使われた。この技は基本的にあまり使われない。
- ドロップ・キック
- 前座時代の得意技の一つで、弾丸のように相手の体に突き刺さる。
- パワースラム
- 馳健~パワーウォーリアー時代に多用した技。日本人レスラー随一の使い手であったが、その後、あまり見せない。
[編集] 佐々木健介の別キャラクター
佐々木は素顔でのファイトのほか、さまざまなキャラクターでリングに上がっている。その代表が『パワー・ウォリアー』である。
1992年、アメリカ遠征中だった佐々木は、ロードウォリアーズのホーク・ウォリアーからの呼びかけでタッグチームを結成、『パワー・ウォリアー』と名乗った。同年11月9日、ミネアポリスでの小興行がデビュー戦で、日本には11月23日の新日本プロレスの両国国技館大会で初上陸(相手は長州力/馳浩組)。程なくスコット・ノートン/トニー・ホーム組を破りIWGPタッグ王座を奪取。1993年8月に奪取されるまで40連勝という、プロレス界の最高連勝記録を打ち立てた。このホークとのタッグはファン公募により『ヘルレイザーズ』と命名され、1990年代の新日を代表する名タッグチームとなった。
パワー・ウォリアー単独としては、1997年と2000年にザ・グレート・ムタと対戦。ムタの十八番である毒霧を吹いたこともある。
フリーとなった後はレスラーとしての幅が広がり、闘龍門ジャパン/DRAGON GATE限定で、フロリダブラザーズの一員の「博多生まれのアメリカ人」『ケンスキー佐々木』、みちのくプロレス限定の覆面レスラー『マスクド・ボルケーノ』など普段のファイトスタイルとは全く違った一面をリング上で発揮するようにもなっている。
[編集] 外部リンク
- 健介office(12月14日に株式会社化)
- 佐々木健介「嫁バカ日誌」(佐々木健介のブログ)