鳥居忠政
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鳥居 忠政(とりい ただまさ、1566年(永禄9年) - 1628年10月2日(寛永5年9月5日))は徳川氏の家臣。鳥居元忠の子。三河国渡村(現在の愛知県岡崎市)出身。通称新太郎。正室は滝川雄利の娘。子に忠恒、忠春、井伊直勝室、奥平忠昌室、酒井忠勝室、前田利次室、真田信重室らがいる。
慶長5年(1600年)、父の元忠が伏見城攻防戦で討死したため、その家督を継ぎ下総矢作藩主となる。忠政は父とは別行動をとって徳川家康に従って関ケ原の戦いにも参加し、戦後にその戦功によって陸奥磐城平に10万石を与えられている。
大坂の陣では、江戸城の留守居役を務めた。元和8年(1622年)、最上氏が改易された後を受けて出羽山形22万石に加増移封され、妹婿で新庄藩主戸沢政盛、娘婿で鶴岡藩主酒井忠勝らと共に、徳川氏の譜代大名として伊達政宗などの東北諸大名の監視を命じられた。
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