鹿児島県立鹿児島工業高等学校
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鹿児島県立鹿児島工業高等学校 | |
過去の名称 | 鹿児島郡立工業徒弟学校 鹿児島県立工業学校 鹿児島県立鹿児島工業学校 鹿児島県鹿児島高等学校第一部 鹿児島県鹿児島工業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 | 鹿児島県教育委員会 |
校訓 | 精進 創造 誠実 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | なし |
分校 | なし |
課程 | 全日制の課程 |
二部以上の授業 | なし |
単位制・学年制 | 学年制 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒890-0014 |
鹿児島県鹿児島市草牟田二丁目57番1号 | |
電話番号 | 099-222-9205 |
FAX番号 | 099-222-9206 |
外部リンク | 公式サイト |
鹿児島県立鹿児島工業高等学校(かごしまけんりつかごしまこうぎょうこうとうがっこう) は、鹿児島県鹿児島市にある同県立の工業高等学校。男女共学だが生徒の約9割は男子である。また、卒業生は2万人を超えている。
通常、「○○工業高等学校」は「○工」と略称されることが多いが、鹿児島工業の場合「かこう(鹿工)」と言うと私立鹿児島高校と紛らわしくなるため、地元では鹿児島工業を「工業」、鹿児島高校を「鹿高(かこう、ろっこうと読むこともある)」と呼ぶ。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 年表
- 1908年(明治41年) 鹿児島郡立工業徒弟学校として設立。
- 1919年(大正8年) 鹿児島県に移管し、鹿児島県立工業学校に改称。
- 1927年(昭和2年) 鹿児島県立鹿児島工業学校に改称。
- 1948年(昭和23年) 学制改革により高等学校となり、鹿児島県鹿児島高等学校第一部に改称。
- 1949年(昭和24年) 分離独立し、鹿児島県鹿児島工業高等学校に改称。
- 1956年(昭和31年) 鹿児島県立鹿児島工業高等学校に改称。
[編集] 教育組織
1年次は類別に、2年・3年次は類ごとに設置された「系」によって学級を分けて、授業を行っている。所属する「系」は1年の2学期末に選択する。
[編集] 設置類・系
- 工業I類
- 電子機械系
- 電気技術系
- 情報技術系
- 工業化学系
- 工業II類
- 建築系
- 建設技術系
- インテリア系
[編集] 教育方針
[編集] 校訓
精進 創造 誠実
[編集] 校歌
- 作詞:片山松次郎
- 作曲:前田久八
[編集] 部活動
[編集] 野球部
2006年、野球部が同校初の、県内の県立高校としては1953年(第35回大会)の甲南高等学校以来53年ぶりの甲子園出場を果たした。2回戦の高知商業戦において3-2で勝利し、初出場初勝利をマーク。その後3回戦の香川西戦で9-3、準々決勝の福知山成美戦で3-2(延長10回)と勝ち進み、ベスト4に進出した。なお、準決勝でこの年優勝した早稲田実業と対戦し、0-5で敗れ惜しくも決勝進出は成らなかったが、好投手、榎下陽大や代打の切り札、今吉晃一を筆頭に明るいチームカラーで甲子園に旋風を巻き起こした。なお、この活躍から2007年3月31日には鹿児島放送で特集番組が放送された(大会詳細)
[編集] サッカー部
全国高等学校サッカー選手権大会に4回出場している。2回戦進出が最高。(1970年度、1971年度、1975年度、1998年度)
[編集] ラグビー部
全国高等学校ラグビーフットボール大会に10回出場しており、県内では鹿児島実業高等学校と並ぶ強豪。3回戦進出が最高。(1985年度、1988年度、1990年度、1991年度、1993年度、1994年度、1997年度~1999年度、2003年度)
[編集] バレー部
全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)男子の部に7回出場しているがすべて初戦敗退。県内では鹿児島市立鹿児島商業高等学校に次ぐ強豪。(1989年、1990年、1994年、1995年、1997年、2002年、2003年)
[編集] 水泳部
末広杯に三年連続出場。総体でも100Mバタフライ個人1位などの成績をおさめている
[編集] 通学手段など
[編集] 通学区
鹿児島学区に位置するが、専門学科のため鹿児島県全域から受験が可能。
[編集] 鹿児島工業高校出身の有名人
- 川崎宗則(プロ野球選手、福岡ソフトバンクホークス)