Battle of the Year
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Battle of the Year (バトル オブ ザ イヤー)は1990年から毎年10月にドイツ・ブラウンシュヴァイクで行われているブレイクダンスの世界大会である。通称BOTY(ボティー)。
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[編集] 概要
ブレイクダンスの世界大会として有名であるが、近年では招待としてLockingやPoppingのショーも行われており、さらにBeatbox、Rapなどのショーケースもあるので、まさに世界のヒップホップの祭典と呼ぶにふさわしいイベントである。観戦ツアーもありヒップホップを愛する人たちが世界中から集まる。参加国も年々増えており、その規模はどんどん拡大している。
大会の主催者はBackspinが努めている。
会場のフォルクスワーゲンホールは約1万人もの観客を収容可能である。まだ一般的にはアンダーグラウンドな存在であるストリートダンスのイベントにおいてこの人数は驚異的である。ブラウンシュヴァイクに住む人たちにも馴染みが深く、イベントの開催時期には参加者が一般の人に声をかけられたりすることもあり、またそういった一般の人も観戦に訪れるという点でも、BOTYはダンスシーンでは珍しいメジャーな大会であると言える。
[編集] 大会システム
[編集] 本戦
各地区で行われる予選と区別して、ドイツで行われる本戦のことをInternational Battle of the Yearと呼ぶ。各地区で開かれる予選(後述)で優勝したチーム+前年の優勝チームが参加資格を有する(事情により予選の優勝チームが本戦に参加できない場合は準優勝のチームが繰り上がりで本戦に進む)。2002年以降、チームの人数は10人までに制限されている。
大会は'Show side'と'Battle side'に分かれており、'Show side'の上位4チームが'Battle side'へ進む。ジャッジは5人おり、各チームのショーを見てそれぞれが個別に順位をつける。全てのチームのショーが終わった段階で、チーム毎に各ジャッジのつけた点数を足していき、合計点数の低い方が上位となる(理論上の最高点は5人全員が1位とした場合の5点である)。それぞれのジャッジがつけた順位は匿名で公表される。
'Battle side'は、2005年までは'Show side'の1位と2位のチームで優勝決定戦、3位と4位のチームで3位決定戦を行っていたが、2006年からは上位4チームによるトーナメント方式に変更となった。
なお、一番素晴らしいShowを披露したチームには'Best Show'という賞が与えられる。この賞は'Battle side'の結果と共に決定されるため、'Show side'の一位のチーム='Best show'とは限らない。以前には個人賞もあったが、現在は廃止されている。
過去の大会の結果は公式HP(英語)を参照のこと。
[編集] 予選
大会は国単位で行われるのが基本であるが、バルカン半島、スカンディナビア半島、ベネルクス三国のように地域ごとに行われる場合もある。予選が行われる時期は特に定められておらず、それぞれの国や地域ごとに異なる。参加資格は特になく、参加したいという気持ちさえあれば誰でも挑戦可能である。予選は国単位で行われるものの必ずしも自分の国の予選に参加する必要はなく、どこの国の予選にもエントリー可能である(ただしその年にエントリーできるのは一回だけ)。つまり厳密に言えば、~国代表=~予選を勝ち抜いてきたチーム、ということであり、国の代表ということではない。だが他の国の予選を勝ち抜いて出場したチームは今のところいない(またメリットもない)。上記の事項とも関連するが、チームのメンバーが全員同じ国籍である必要はなく、多国籍チームも珍しいことではない。1999年にBest Showを獲得したSpartanic Rockersは、日本人とスイス人の混合チームである。
大会のルールはほぼ本戦に準ずる。
[編集] 日本予選
1998年、1999年に招待枠で出場した日本のSpartanic Rockersが、2年連続で'Best Show'を獲得したことで日本のダンサーの実力が世界に認知され、2000年から日本予選「Battle of the year Japan」が始まった。2000年と2005年のみ、Battle sideを優勝決定戦と3位決定戦という形式で行ったが、それ以外の年は全てShow side上位4チームによるトーナメント方式である。日本予選の主催や本戦での日本代表のバックアップは、ADHIPが担当している。
現在は先着順で20チームのみ参加できる。それ以降のエントリーはキャンセル待ちとなる。日本のチームはまだ本戦のBattle sideで勝利したことがないが、毎年大歓声で迎えられ、そのショーはさらなる歓声を巻き起こす。2000年~2005年の6年間で日本のチームは3回も'Best Show'を獲得しており、そのショーのレベルは間違いなく世界でもトップクラスである。
[編集] 特徴
他のブレイクダンスのイベントとの相違点は、規模が大きく、有名である、バトルだけでなくショーでも順位をきめる、どちらかというとお祭りに近くバトルイベントのようなチーム間の緊迫感はない、といったことが挙げられる。イベント開催時には、前夜祭、後夜祭が行われ、あらゆる場所でサークルができ、イベントに参加する人もしない人も自由気ままに踊る。国籍、ダンスのジャンル、上手いか下手かなど関係なく、老若男女が純粋に踊りを楽しむ。そこでは言葉が通じない世界中のダンサーと踊りを通じてコミュニケーションをとることができ、その瞬間はまさにダンサーにとっての最高の喜びであるといえるであろう。
そのような大会の雰囲気から、大会に出場しないB-boy B-girlもいる。またメンバーの予定が合わずショーの練習時間が十分にとれない、仕事でドイツに行けないなどの現実的な理由からエントリーを見送らざるを得ない人も多い。世界大会ではあるが、本戦出場者の宿舎の環境は決していいとは言えないものである。
なお、日本予選は本戦のお祭りの雰囲気とは違い、非常に緊迫感のある雰囲気の中で行われることで知られる。大会の詳細は、ADHIPが発行しているフリーペーパー「DANCE DELIGHT MAGAZINE」で知ることができる。
2003年以降は本戦の内容を収めたDVDがBACKSPINから発売されており、このDVDにはサブイベントの模様なども収められている。2002年までのイベントを収めたVHSも存在するものの、現在日本国内での入手は困難である。また毎年公式サウンドトラックも発売されている。BOTY JAPANの模様を収めたDVDもADHIPより発売されているが、日本における著作権に関する法律により別のトラックが被せられている。
[編集] 大会中の出来事
2004年には、新たに参加することになったイスラエル代表に対し、一部のオーディエンスからブーイングが起こるという事態が起こった。根底にあるのは中東情勢に関する国家間や人種の問題である。MCであるTrixが「ヒップホップの存在する意味は世界の人々が平和になるためのものではないのか?、そこに国同士の問題や人種の問題を持ち込むな!!」といった趣旨の発言をしてその場を収め、イベント自体は問題なく進行した。ブレイクダンスが様々な地域で行われており、またBOTYに世界中から観客が訪れているからこその出来事であるといえる。
同じく2004年、BOTYの名物DJであったDJ LEACY(以下、レイシー)が大会前に事故で亡くなるという事件があった。イベントではレイシーの追悼セレモニーが開かれ、偉大なDJの死を惜しんだ。またこの年のShow sideのトリをつとめた前年度の優勝チームPOKEMON(仏)のメンバーが、ショーの後にレイシーへの追悼メッセージを掲げた。
一時期アメリカチームが出場しなくなったことがあったが2005年より再び復帰した。