INOKI BOM-BA-YE
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INOKI BOM-BA-YE(イノキボンバイエ)は、かつて開催された総合格闘技とプロレスの興行。
通称・猪木祭(いのきまつり)。アントニオ猪木がプロデュースし、2000年から2003年にかけて毎年12月31日の大晦日に開催された。地上波の民放の他、SKY PerfecTV!がPPVで放送。
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[編集] 概要
[編集] 2000年
大阪ドームで開催。当時PRIDEのプロデューサーを務めていたアントニオ猪木がプロレスと格闘技の融合を目指して開催。翌年以降の大会と違ってエキシビジョンを除く全試合がプロレスルールで行なわれたが、ケンドー・カシン対桜庭和志戦で桜庭がコーナーの上で極めた腕固めで勝利するなどルールについては不備な部分が散見された。また、武藤敬司が初めてスキンヘッドで試合を行なった興行である。
主催者は、毎日放送と大阪ドームと関西系のイベント会社である株式会社ステージア。後援にSKY PerfecTV!とFM802がつき、PRIDEを運営するドリームステージエンターテインメント(以下DSE)がイベントの運営協力を行った。
この年のみ、当日の地上波テレビ中継はなく、後日の録画中継であった。全国ネットでなく、毎日放送(関西地区ローカル)、テレビ朝日(関東地区ローカル)、中部日本放送がそれぞれ別個に深夜に放送を行なった。なお、毎日放送とテレビ朝日のオンエア内容はそれぞれ別であり、毎日放送版はその後、同社系列のGAORAでも放送された。
- 主な対戦カード
- アントニオ猪木 vs ヘンゾ・グレイシー(エキシビジョン)
- 武藤敬司&高田延彦 vs ドン・フライ&ケン・シャムロック
- 桜庭和志 vs ケンドー・カシン
- 小川直也 vs 安田忠夫
- 橋本真也 vs ゲーリー・グッドリッジ
[編集] 2001年
さいたまスーパーアリーナで開催。同年8月に日本テレビで放送されたK-1JAPANシリーズの決勝戦で始まったK-1軍と猪木軍の対抗戦を引き継ぐ形で開かれ、これをコンセプトとして打ち出した。この大会から運営にK-1が加わるとともに、TBSが放送することになり、大晦日の当日放送となった。
猪木軍の大将には同年8月の対抗戦でミルコ・クロコップに敗れていた藤田和之がアキレス腱を断裂し不出場となり、当初、出場予定だった小川直也(UFO)に代わり、藤田と同じ猪木事務所の安田忠夫がジェロム・レ・バンナの対戦相手に指名された。一般的には無名に近い安田をメインに据えるため、安田の転落人生からの再生ストーリーの演出。圧倒的不利の下馬評を覆して安田がバンナから勝利を奪った事で興行は大成功を収め、NHK『紅白歌合戦』の裏で視聴率は14.9%[1]と健闘した。対抗戦の戦績は猪木軍の2勝1敗4引き分け。
主催はTBS。運営と制作がDSE、協力が猪木事務所とK-1となり、この布陣は、翌年のDynamite!とINOKI BOM-BA-YEまで継続した。
- 対戦カード
- △ マイク・ベルナルド vs 高田延彦 △
- △ サム・グレコ vs 佐竹雅昭 △
- △ エベンゼール・フォンテス・ブラガ vs ゲーリー・グッドリッジ △
- △ 子安慎悟 vs 石澤常光 △
- ○ アントニオ猪木&ザ・グレート・サスケ vs 紅白仮面&ジャイアント・シルバ ×
- × シリル・アビディ vs ドン・フライ ○
- ○ ミルコ・クロコップ vs 永田裕志 ×
- × ジェロム・レ・バンナ vs 安田忠夫 ○
[編集] 2002年
さいたまスーパーアリーナで開催。サブタイトルは「猪木軍vsK-1vsPRIDE全面対抗戦完全決着」。これまで「PRIDEは場である」としてPRIDE軍というあり方が否定されていたが、今回からPRIDEも加わる形での対抗戦となった。同年の夏に国立競技場で10万人動員とも言われた格闘技イベントDynamite!の成功の勢いもあり、当時アイドル的存在だったボブ・サップの参戦が話題となり、前年以上の16.7%という視聴率を獲得。
- 対戦カード
- × 安田忠夫 vs ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ ○
- × 中邑真輔 vs ダニエル・グレイシー ○
- × 滑川康仁 vs ヴァリッジ・イズマイウ ○
- × ゲーリー・グッドリッジ vs マイク・ベルナルド ○
- ○ クイントン"ランペイジ"ジャクソン vs シリル・アビディ ×
- × 藤田和之 vs ミルコ・クロコップ ○
- ○ 吉田秀彦 vs 佐竹雅昭 ×
- ○ ボブ・サップ vs 高山善廣 ×
[編集] 2003年
神戸ウイングスタジアムで開催。サブタイトルは「馬鹿になれ、夢を持て」。
前年までのINOKI BOM-BA-YEの好視聴率と興行の成功を受けて、各テレビ局が放映権の獲得に動いたこと、K-1では石井和義館長が、PRIDEでは森下直人社長が不在となり、格闘技界で権力の変動が起こったことを背景として、これまで協力関係が築いて開催していたINOKI BOM-BA-YEは、日本テレビが放送するアントニオ猪木のINOKI BOM-BA-YE、TBSが放送するK-1のK-1 PREMIUM Dynamite!!、フジテレビが放送するPRIDEのPRIDE男祭りの3つに事実上、分裂する。K-1、PRIDEは以降もINOKI BOM-BA-YEに関わることがなく、独自の大晦日興行を打ち出していく事となってしまう。
この年から中継権が日本テレビに移った。運営会社もDSEやK-1ではなく「ケイ・コンフィデンス」というそれまでK-1の運営に関わっていた川又誠矢が代表の会社に移った。主催はこのケイ・コンフィデンスの他、日本テレビと読売テレビとなっており、後援に読売新聞大阪本社と報知新聞社がついた。
日本テレビとケイ・コンフィデンスは年間八億円で3年契約を結び、INOKI BOM-BA-YEとは違う形で年3回のペースで格闘技イベントを開催していく予定であった。[2]
大晦日に3つの格闘技イベントが開催されることから、選手の争奪戦も生じ、PRIDEの王者だったエメリヤーエンコ・ヒョードルを出場させようとしたことで、当時PRIDEに参戦していたセーム・シュルトの出場を認めていたPRIDEとの関係が悪化。K-1からはマイケル・マクドナルドが派遣されたと言われるものの、主力選手を抱え込まれ、目玉となるはずだったミルコ・クロコップは欠場。開催直前になってもカードが決まらず、日本テレビは当初の約束と違うと不満を漏らす結果となってしまった。
そして、民放キー局3局が『紅白歌合戦』の裏で視聴率を争い合う形となったがその結果は、瞬間最高で43.0%を獲得して平均でも19.5%と話題になったK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!に対して、INOKI BOM-BA-YEは5.1%と低迷。観客動員共に伸び悩み興行としては大失敗に終わった。これにより、日本テレビは当初の3年契約を破棄して、8億円を6億円に減額。主催者であった川又誠矢は選手へのファイトマネーやイベント運営の下請けを行った会社に費用を払わないまま海外へ渡航。不払いの選手が所属する新日本プロレスから2004年11月に訴訟を起こされて、川又側は出頭しないために2005年1月に敗訴。INOKI BOM-BA-YEを主催したケイコンフィデンス側は、日本テレビの契約破棄を認めず2004年5月に民事訴訟を東京地方裁判所に起こしたが2006年に棄却された。さらに2006年になって、川又は「週刊現代」などで、PRIDEと暴力団との関係があるとし[3]、これが原因であるとは明言していないもののフジテレビがPRIDEの放送契約を打ち切るなど、2003年の大晦日格闘技戦争と言われた騒動の余波は後々まで続いた。
- 対戦カード
- × 安田忠夫 vs レネ・ローゼ ○
- ○ LYOTO vs リッチ・フランクリン ×
- ○ エメリヤーエンコ・アレキサンダー vs アンジェロ・アロウージョ ×
- ○ ジョシュ・バーネット vs セーム・シュルト ×
- × 天田ヒロミ vs マイケル・マクドナルド ○
- × 村上和成 vs ステファン・"ブリッツ"・レコ ○
- ○ エメリヤーエンコ・ヒョードル vs 永田裕志 ×
- ○ 藤田和之 vs イマム・メイフィールド ×
- ○ アマール・スロエフ vs ディン・トーマス ×
- × 橋本友彦 vs アリスター・オーフレイム ○
- ○ 辻結花 vs カリオピ・ゲイツイドウ ×
[編集] その後
2003年を最後に2006年現在までINOKI BOM-BA-YEは開催されていない。この結果、アントニオ猪木もそれまでINOKI BOM-BA-YEやPRIDEプロデューサーという立場を通じて、影響力を行使してきた格闘技界での影響力が低下した。
なお、当初、この日本テレビで放送するINOKI BOM-BA-YEは別のイベント名になることが予定され、視聴者からイベント名の募集も行なわれたが、結局INOKI BOM-BA-YEのイベント名で開催された。
[編集] 脚注
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