JFEスチール
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JFEスチール株式会社は、大手鉄鋼メーカーで、JFEホールディングス(東証一部上場)傘下の、鉄鋼事業会社である。本社は東京都千代田区内幸町に所在。登記簿上の名称は「ジェイ エフ イー スチール株式会社」である。
社名のJFEは、Japan、Fe(鉄の元素記号)、Engineeringと、Japan Future Enterpriseとをかけたものである。英文名称はJFE Steel Corporation。
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[編集] 沿革
- 1912年 日本鋼管株式会社(にほんこうかん。以下、NKK)が川崎市に設立。
- 1950年 川崎重工業が製鉄部門を分離して、川崎製鉄株式会社(かわさきせいてつ。以下、川鉄)を神戸市中央区に設立。
- 2000年4月 NKKと川鉄の千葉(千葉市)、川崎(川崎市)、水島(倉敷市)、福山(福山市)の4製鉄所の立地条件を活用した製鉄所運営の効率化を推進するため、物流・補修・購買関連分野の協力について検討。9月に合意。
- 2000年10月 NKKのLSI設計事業、電子デバイス事業を富士通に譲渡し撤退。
- 2001年4月 製鉄及びエンジニアリング事業をコア事業とした、グループ会社も含めた全面的な経営統合を行なうことについて両社が基本的に合意。
- 2001年4月1日 NKK、住友重機械工業、日立造船の製鉄プラント部門を統合し、スチールプランテックとなる。(その後、川崎重工の製鉄プラント部門も統合)
- 2001年12月 経営統合について基本合意書を締結。グループ名を「JFEグループ」とする。2002年5月に統合契約書調印。
- 2002年1月 NKKの米国子会社ナショナル・スチールを、米国USスチールに売却。
- 2002年3月 川鉄のリース子会社を東京リースに売却。
- 2002年9月26日 NKK 1,000株に対し、JFEホールディングス75株、川鉄1,000株に対し、同100株の比率で株式を移転。翌日、JFEホールディングス設立登記。
- 2002年10月1日 NKKの造船部門を分離して日立造船と合併、ユニバーサル造船となる。
- 2003年4月1日 NKK、川鉄の両社を分割、鉄鋼事業をJFEスチール(継承会社は川鉄)、エンジニアリング事業をJFEエンジニアリング(継承会社はNKK)、化学事業を新設のJFEケミカル、NKKの都市開発事業を新設のJFE都市開発、NKKの基盤技術研究所を新設のJFE技研に再編。川鉄子会社の川崎マイクロエレクトロニクスをJFEホールディングスの子会社とする。
JFEの誕生には、日産自動車のカルロス・ゴーン社長のゴーン・ショックが遠因となったという見方をされている。日産自動車は調達コスト見直しのために、鉄鋼材料についても仕入先の見直しを行うことになったが、その際にNKKが外れてしまったことが、川崎製鉄との合併に踏み切った理由だというものである。NKKは日産自動車とおなじ芙蓉グループであった点からみても、日産のドラスチックな判断が、産業界を代表する大企業の合併につながったといえる。 経緯を振り返ると、経営難に陥った多角化企業NKKの分割解体と、NKK鉄鋼部門の川崎製鉄による吸収という見方ができる。本当の意味でのリストラクチャリングを成功させた。
JFEスチール誕生後の同社の戦略は、リストラによる財務環境の良化と人事融合が挙げられる。人事の融合に関しては、NKK出身者(社内では旧Nと呼ぶ)と川鉄(同じく旧川と呼ぶ)の人事はよくあるたすきがけではなく、完全な”相手の理解”を狙ったところはこれまでの経営統合の事例では異色である。互いの製鉄所においては同じ部門の責任者は、他方の工場の責任者へと異動したり昇進人事の凍結を行うなどした。2004年期の業績好調を受け、首脳陣の交代が決まった。
[編集] 製鉄所・製造所

[編集] JFEスチールグループ
- JFEケミカル
- JFE鋼板
- JFE鋼管
- JFE物流
- JFEミネラル
- JFEメカニカル
- JFE電制
- JFEテクノリサーチ
- JFEシステムズ
- ガルバテックス
- JFE建材
- JFE炉材
- JFEジーエス
- JFE環境
[編集] 諸問題
- 公害発生の隠蔽(コンプライアンス違反・企業犯罪)