日立造船
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | Hitz |
本社所在地 | 〒559-8559 大阪府大阪市住之江区南港北1丁目7番89号 |
電話番号 | 06-6569-0001 |
設立 | 1934年5月29日 |
業種 | 機械 |
事業内容 | 環境装置、プラント、精密機械、産業機械、鉄構・建機、機械・プロセス機器、防災機器など |
代表者 | 古川実(取締役社長) |
資本金 | 45,422百万円(2006年10月27日) |
売上高 | 単独:196,596百万円(2006年3月期) 連結:333,881百万円(2006年3月期) |
従業員数 | 単独:1,308人(2006年9月30日) 連結:7,416人(2006年9月30日) |
決算期 | 3月末日 |
関係する人物 | E.H.ハンター(創業者) |
外部リンク | www.hitachizosen.co.jp |
日立造船株式会社(ひたちぞうせん)は、環境装置・プラント・精密機械・産業機械・鉄構・建機などを製造している日本の企業である。
目次 |
[編集] 概要
かつての主要事業が造船であったために商号の中に「造船」の文字が含まれるが、2002年にNKK(当時、現・JFEエンジニアリング)との合弁で両社の船舶・海洋部門を切り離して統合した持分法適用会社のユニバーサル造船を設立したことで本社から造船を手放し、2006年には子会社の内海造船の株式を売却したことにともなって2007年度決算からは連結決算においても造船事業が無くなる見通しである。ただ、造船業こそ撤退したような形になっているが船舶用のディーゼルエンジンなどは製造している。また、かつて日立製作所の傘下にあったために「日立」の名を冠した商号となっているが、戦後の財閥解体によって現在では日立グループからは離脱している。もっとも、日立製作所とは完全に縁が切れたわけではなく、日立製作所は2006年9月30日現在で日立造船の第8位の大株主となっている。「日立造船」という社名からすれば「日立製作所グループの造船会社」だと思われかねないが、その実「日立グループではなく、造船会社でもない」のである。
造船不況の打開策として手掛けた事業の多角化によって、一時期は造船会社のイメージとはかけ離れた杜仲茶の製造や旅行予約ウェブサイト「旅の窓口」の運営を行っていたこともあったが、杜仲茶は小林製薬へ、「旅の窓口」は楽天へ事業売却した。また、子会社に東証二部上場の日立造船富岡機械があったが、今後の事業展開が見込めないとして2004年に通常清算(経営破綻していない会社の資産を売却し残余金を株主に分配し解散させること)している。上場会社の通常清算はきわめて珍しいケースである。ちなみに、日立造船の創業以来の拠点であった桜島工場(大阪市此花区)は、閉鎖された後、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン™の敷地として使用されている。
株式は、東京証券取引所および大阪証券取引所に上場しており(証券コード:7004)、日経平均株価の算出基準となる225銘柄の1つに指定されている。
[編集] 沿革
- 1881年(明治14年) イギリス人実業家・E.H.ハンターにより、「大阪鐵工所」(Osaka Iron Works)として創業。
- 1900年(明治33年) 桜島工場(大阪市此花区)が操業開始。
- 1907年(明治40年) 日本初の洋式捕鯨船「第二捕鯨丸」を建造。
- 1908年(明治41年) 日本初のタンカー「虎丸」を建造。
- 1911年(明治44年) 因島工場(広島県尾道市)が操業開始。
- 1914年(大正3年) 「株式会社大阪鐵工所」に改組。代表者は、E.H.ハンターの子である範多竜太郎。
- 1927年(昭和2年) 堂島大橋(大阪市)を建設。
- 1930年(昭和5年) 日本郵船向け氷川丸型貨客船「平安丸」を建造。
- 1934年(昭和9年) 5月29日 現在の日立造船となる存続会社にあたる「株式会社日本産業大阪鐵工所」が新たに発足。7月1日に株式会社大阪鐵工所は日本産業に吸収されて解散。8月1日に日本産業大阪鐵工所は「株式会社大阪鐵工所」に改称。
- 1936年(昭和11年) 3月23日 大阪鐵工所の全株式を日立製作所が取得し、同社の傘下に入る。
- 1943年(昭和18年) 3月11日 「主力を造船に注ぐため従来の名称ではあらゆる部面で不完全であり、また日立系の旗幟を明確にする」という理由から、商号を「日立造船株式会社」に変更。9月に向島工場(広島県尾道市)が操業開始。
- 1946年(昭和21年) 12月7日 財閥解体の第2次指定に該当。日立製作所グループから離脱させられることになる。
- 1965年(昭和40年) 東洋運搬機(現在のTCM)に資本参加。(ただし、その後2003年に日立建機ローダ(日立建機の子会社)へ持株を譲渡し、現在は資本参加していない。)堺工場(大阪府堺市)が操業開始。
- 1966年(昭和41年) 桜島工場の造船事業を廃止。機械工場に特化。
- 1971年(昭和46年) 舞鶴工場(京都府舞鶴市)が発足。
- 1973年(昭和48年) 有明工場(熊本県長洲町)が操業開始。
- 1995年(平成7年) 桜島工場閉鎖を発表。跡地に2001年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が開業。
- 2002年(平成14年) 10月1日 創業以来の中心事業であった造船事業を切り離し、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)と共同で設立した会社「ユニバーサル造船」にその事業を移管。同日、長らく使用していた「OIW」(前述した「Osaka Iron Works」の略)の文字を組み合わせた社章の使用を廃止し、新たに「Hitz」(ヒッツ)を社章として導入。将来的に「Hitz株式会社」に社名変更する予定があるといわれている。
- 2006年(平成18年) 3月28日 情報システム系の子会社、日立造船情報システムの全株式をNTTデータに売却。