R-7 (ロケット)
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R-7 (ロシア語 Р-7) ロケットは、旧ソ連のセルゲイ・コロリョフが率いるOKB-1が開発した世界最初の大陸間弾道弾(ICBM)である。 世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに使われたことで知られる。 ソ連側での愛称はセミョールカ (Семёрка, Semyorka) でありロシア語で数字の 7 を意味する。 またNATOコードネームではサップウッド (Sapwood, 白太の意) と呼ばれている。米国国防総省の識別番号 (DoD番号) はSS-6。
[編集] 開発
設計作業はカリーニングラードのOKB-1 (コロリョフが率いるコロリョフ設計局、現在のS.P. Korolev Rocket and Space Corporation Energia)とその他の部局によって1953年に開始された。政府からの要求仕様は重量3,000kg分離式弾頭を備えた射程8,000kmの170トンの二段式ミサイルというものだった。同年10月3日には、セミパラチンスクでの核実験の結果から仕様が変更され、射程を変えずに弾頭重量は5,500kgに増やされた。このため設計は大きく変更された。1953年の終わりの最初の地上テストに続いて大規模な設計変更が行われ、最終設計が承認されるのは1954年5月20日となった。
1956年後半からミサイルの製作がクイビシェフの第一航空工場「プログレス」(進歩)で開始された。最初のミサイルはカリーニングラードの第88工場で製作された部品によって組立てられている。1957年3月には最初のミサイルR-7 M1-5が発射準備施設に送られ、同年5月5日には発射施設へ送られている。
8K71の番号が与えられた新型ミサイルの最初のテストは、バイコヌール宇宙基地で1957年5月15日19:01(モスクワ時間)に行われた。サイトから400km離れた時、ストラップオンブースターの配管からの燃料漏れによる推力低下によりミサイルは安定を失い、ミサイルは破壊された。続く6月11日に予定された発射テストは、事前の試験によってブースターBの酸素配管のバルブ凍結によって発射が中止された。三回目の発射テストでは発射直前に燃料系統の故障により発射は中止され、ロケットは発射台から降ろされて再点検される事になった。7月12日、再度三回目の発射試験が行われたが、発射から33秒後に制御回路の故障からロケットは安定性を失った。8月21日の四回目の発射テストでは、初めて6,000kmの長距離飛行に成功した。この成功は8月26日にタス通信によって配信されている。
8K71を改修した8K71PSロケットは、バイコヌール基地から10月4日にスプートニク1号を、11月3日にスプートニク2号を軌道に投入し、世界最初の衛星打ち上げロケットとなった。
これらの最初のテストにより設計の部分修正の必要が認識されたため、テスト飛行は1959年12月まで終了しなかった。
追加の開発の結果、新しくなった8K74ロケットは従前の8K71に比べてより軽く、より優秀な誘導装置を備え、より強力なエンジンを搭載し、燃料の増載が可能になって射程が伸びた。弾頭はノヴァヤゼムリャにて1957年10月と1958年にテストされ、威力2.9Mtを発揮した。8K71と8K74は、それぞれR-7とR-7Aとして製造されている。R-7は31基が発射され、うち11基が失敗している。
[編集] 配備
最初の戦略ミサイル部隊はロシア西部のプレセツクで1959年2月9日に作戦可能になった。プレセツクには最初の発射台(Launch Complex)LC41が建設され、1959年12月15日には、R-7Aミサイルを初めてテストしている。プレセツクの四基(LC41、LC16、LC43、???)と、緊急時の代替基地であるカザフスタンのバイコヌール(チュラタム)の二基(LC1、LC31)、合計六基の発射サイトのみが運用された。クラスノヤルスクの基地は計画のみで終わった。プレセツクには二つのR-7Aミサイル連隊が置かれ、四基のミサイルはそれぞれニューヨーク、ワシントンD.C.、ロサンゼルス、シカゴを目標としていた。1962年10月のキューバ危機のときには実用弾頭を備えたミサイルがLC41発射台で発射準備態勢に置かれている。R-7Aは21基が発射され、3基が失敗した。
キューバ危機の当時、米国では国内に配備された100基あまりのアトラス大陸間弾道弾、タイタンI、試験配備が始まっていたミニットマンI、英国に配備された60基のソアー中距離弾道弾、及びトルコ、イタリアに配備された45基のジュピター中距離弾道弾がアラート態勢に入った。一方で旧ソ連では最初の量産ICBMであるR-16(SS-7)の配備が始まったばかりであり、実際に開戦となった場合はキューバに配備した約40基のR-12を加えても、ミサイル戦力だけを見れば旧ソ連が圧倒的に不利な状況だった。
システムのコストは巨大で、たいていのリモートエリアで必要な巨大な発射サイトを建設する事は困難であった。個々の発射サイトの建設には当時のソビエト連邦の防衛予算から5億ルーブル(全予算の5%)が投じられた。しかしながらこれらの莫大なコストは第一世代ミサイルに共通で、米国でも同様の問題を生じているほか、英国はミサイルサイロ建設コストの高額さから、彼等のブルーストリーク弾道ミサイル開発計画を放棄した。
コスト以外にも運用上の弱点があった。巨大なR-7の発射基地はU-2偵察機による上空からの偵察から隠すことができず、どのような核戦争においても迅速に破壊する事が期待できた。巨大なR-7には発射準備に約20時間が必要で、極低温燃料システムのため、燃料を注入したままのアラート態勢を数日以上取ることができなかった。従って、ソ連軍は恒久的なアラート態勢を維持できず、彼らがアメリカのICBMに対抗するチャンスを与えずに米軍爆撃機によって発射前に破壊することができた。
R-7ミサイルの射程はアメリカ国内の主要な目標に到達できず、兵器システムとして失敗であると考えられた。アメリカは旧ソ連周辺の同盟国に短射程の初期の核ミサイルを配備する事ができたが、当時の旧ソ連にはこの方法が使用できなかったため、旧ソ連国内からアメリカ全土を射程に収めるミサイルがどうしても必要とされたのである。R-7/R-7Aの失敗は旧ソ連をして実用的な兵器システムである第二世代のミサイルを急遽開発させることとなった。
全てのミサイルは1962年までに配備され、1968年には退役した。しかしロケットや発射台は宇宙開発のために転用され、8K72Kボストークや後の11A511ソユーズの基礎として大きな成果を上げた。R-7から直接派生した技術は21世紀に入った現在でも依然として使用されている。2003年2月1日に発生したスペースシャトル-コロンビア号の墜落事故の影響でスペースシャトルの飛行が停止されている間、ISSへの物資輸送の中心は、R-7の直系の子孫であるソユーズが担った。
[編集] 要目
R-7は全長34m、直径3m、発射重量は280トンで、液体酸素とケロシンをロケットエンジンの推進剤として用いる二段ロケットであり、射程は8,800km、CEPは5,000mであった。R-7Aは全長が28mと短くなったが、射程は9,500kmに伸びている。R-7Aに搭載された弾頭はRDS-37、またはRDS-46A再突入体と威力3Mtの46A核爆弾を組み合わせた単一弾頭であった。軽量化弾頭を装備した射程12,000kmのR-7A改修型はテストのみで終わった。
発射の初期段階では、ロケットは四基のRD-107ストラップオンブースターと中央にあるRD-108メインエンジンの合計五基のエンジンによって加速される。RD-107とRD-108は基本的に同じエンジンで、OKB-456(V. P. グルシコ(Glushko)が率いる設計局)によって設計された。その大きさは鉄道による輸送が考慮されて決定されている。一台の燃料ポンプが四基の燃焼室/ノズルへ燃料を送っている点が特徴である。これは燃焼室の大型化を避け、震動を避けるための工夫であるといわれる。第二段に相当するRD-108エンジンは四基のノズルと四基の姿勢制御用バーニアノズルを備えており、第一段に相当するRD-107ブースターは四基のノズルと二基のバーニアノズルを備えていた。中心のRD-108ロケットの周りを取り囲むように、また各ブースターのバーニアノズルが外側になるように四基のブースターが接続される。各ブースターは円錐形状をしており、このためブースターが取りつけられたミサイルは全長の中ほどから下に向かって末広がりに大きくなる独特の外観を持つ事となった。
誘導システムはR-5R(SS-3 Shyster)の無線司令システムを元にしたもので、バーニアロケット制御付き慣性誘導であった。
軽量化の結果、ブースターの重量をロケット本体が支えることが出来ないため、自立して発射される西側のミサイルと異なり、R-7はロケットの中ほどからトラス構造の頑丈な支柱に吊り下げられた状態で発射される。この方式はチュルパン(Tyulpan、チューリップ)発射方式と呼ばれ、レニングラード金属鋳造工場(LMZ)で設計された。ロケットのエンジンが点火され、出力がロケットの重量を支えられるようになると、支柱が切り離されて花が開くように四方へ倒れこむ。この光景は旧ソ連/ロシアのロケット発射に固有の風景である。
ボストーク 8K72K | ||
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ステージ | 二段+弾頭 | |
ストラップオンブースター | エンジン | RD-107-8D74-1959 四基 |
推力 | 970.86 kN×四基 = 3,883.4 kN | |
燃焼時間 | 118秒 | |
燃料 | 液体酸素/ケロシン | |
メインエンジン | エンジン | RD-108-8D75-1959 一基 |
推力 | 912 kN | |
燃焼時間 | 301秒 | |
燃料 | 液体酸素/ケロシン | |
最終段 | エンジン | RD-0109 一基 |
推力 | 54.5 kN | |
燃焼時間 | 365秒 | |
燃料 | 液体酸素/ケロシン | |
Launch Vehicle | 第一回発射 1960年12月22日 | |
ペイロード 低軌道(LEO) 65度 | 4,725 kg | |
ペイロード 月探査機 | 500 kg |
カテゴリ: ソ連・ロシアの対地ミサイル | 弾道ミサイル | ロケット