ミソジニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
記事の正確さ:この記事の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です。詳しくは、この記事のノートを参照してください。 |
ミソジニー (Misogyny) とは女性に対する蔑視や偏見、憎しみを指す語である。女性嫌悪。ギリシア語のmisos「憎しみ」gyne「女性」から由来し、ミソジニーの傾向がある男性をミソジニストと呼ぶ。
目次 |
[編集] 概要
イギリス文学研究者のイヴ・セジウィックは、同性愛に対する恐怖感・嫌悪感 ホモフォビア (Homophobia) と必然的な関係があるとした。ミソジニーという概念自体が主観的・内面的な感情や価値観を問題にしているため、ミソジニーの範囲を明確にすることは難しい。
[編集] 男性側のミソジニー
男性側のミソジニーの例として、女性に対する性的暴力やセクシャルハラスメント、経済的差別などに加え、広告や映画、文学テクストなどにおける女性を貶める表現、などがミソジニーの例として挙げられる。
[編集] 女性側のミソジニー
一方、女性側においてミソジニーは、女性の体に対する羞恥心、拒食症などの摂食障害、性的機能不全、鬱病、女性であることに起因する劣等感や無価値感といった感情の形をとって表れるとされる。
女性から女性に対するミソジニーもしばしば見られる。 事務職の女性が、総合職女性などに対して「肩肘張って仕事をしている」などと陰口を叩くのもその一例である。
[編集] 社会におけるミソジニー
また、広く父権制的な社会においては、その社会構造に所以する必然的なミソジニーが見られる。また、その社会構造を補強するための論理としてのミソジニーも考案される。キリスト教やイスラム教のような父権制的な宗教では、大地信仰を行うような母権制的社会における宗教のテクストに比べ明らかなミソジニーが見られる。こうした宗教社会では、女性はネガティヴな要素の象徴として、あるいはその元凶として描かれることが多く、こうした記述はミソジニーの表れであると評価される。
現代日本では、30代以上の独身者のうち、女性のみを「負け犬」などと呼称するのもその典型例といえよう。
[編集] ミソジニーと映画作品
女性嫌悪的な映画作品として、『危険な情事』(1987) 、『ローズ家の戦争』 (1989)、『氷の微笑』(1992)、『ディスクロージャー』(1994) などが挙げられる。これらの作品は女性(特にキャリアウーマン)を一方的な悪役として描いており、米国フェミニスト達の批判を受け、内容を詳細に分析されている。
最近では『プラダを着た悪魔』(2006)もこの類の作品である。
[編集] 宗教・神話・昔話・芸術・小説などにおけるミソジニー
- 旧約聖書の創世記にある、「アダムが動物の中で自分に合うふさわしい助け手をみつけらなかったので、神はアダムを眠らせ、あばら骨の一部をとって女(イヴ)をつくった」「アダムは女を見て喜び、男(イシュ)からなったものという意味で女(イシャー)と名づけた」などの記述がある。
- スラブ神話に登場する雌雄2体のドラゴンは農耕神とされているが、メスのドラゴンが人類を憎んでおり、天候を荒らしたり作物を枯らしたりすると考えられているのに対して、オスのドラゴンは人を愛し、作物を守るとされている。[要出典]
- 日本の民話の「舌切り雀」においては、心やさしいお爺さんと欲深いお婆さんとの対比がなされている。
- モーツァルトのオペラ、魔笛では、モーツァルトが所属していたとされる男性のみの秘密結社「フリーメイソン」の教義に沿った「男性は愚かな女性を導くもの」とする歌詞が散りばめられ、徳の高い男性である高僧ザラストロと、嫉妬深くヒステリックな夜の女王の対決が描かれている。[要出典]
- 世界人口の4割を占めるキリスト教では、神や天使(神の使い)が男性であるというイメージが保持されており、カトリックでは聖職者の特定の地位になることが男性にしか許されていない。
- 世界人口の6%を占める仏教においては法華経という経典で、女性は男性に変化することで成仏できると説かれた(変成男子)。
- 道教では、陰と陽はそれぞれ女性と男性の属性であり、女性は月に、男性は太陽に支配されていると考えられている。
- 村上春樹『海辺のカフカ』では、主人公の少年が身を寄せている図書館にフェミニストの女性二人がチェックに訪れ、トランスジェンダーの青年に撃退される。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 正確性 | 出典を必要とする記事 | スタブ | ジェンダー