預言者
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預言者(よげんしゃ)とは、神と直接接触・交流・対話し、直に聞いた(とされる)神の言葉を人々に伝え広める者のこと。語源や用字については後述を参照のこと。
唯一神との契約を重んじるアブラハムの宗教に特徴的な存在であり、旧約聖書に登場するモーセをはじめとするヘブライ人(ユダヤ民族)の宗教的指導者たちが、原初の預言者たちである。彼らユダヤ教で認められた預言者たちに続いてあらわれた預言者が、キリスト教やイスラーム教などの基礎を打ち立てていった。
目次 |
[編集] ユダヤ教における預言者
ディアスポラ後のユダヤ教徒たちは、西暦70年にエルサレム神殿が破壊されて以来、預言者はユダヤの民に下されなくなったのだと考えている。
この世に預言者がなくなれば、神との契約は更新されることはありえないから、ユダヤ教徒はモーセの「旧い契約」に対して神と結んだ「新しい契約」と主張される新約聖書の内容を認めていない。
[編集] ヘブライ聖書における預言者の書の配列
ヤムニア会議によってユダヤ教正典と決定されたヘブライ語聖書式の配列では、「トーラー」「ケスービーム(諸書)」の間に「預言者(ネビーイーム)」がくる。「預言書」という表記も見られるが、厳密ではないという意見もある。
ネビーイーム(預言者) Nəbhī'īm, nevi'im |
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[編集] キリスト教における預言者
キリスト教はユダヤ教の伝統から出現したナザレのイエスの活動から始まる宗教であり、旧約聖書に記された預言者たちをユダヤ教と同様に預言者と認める。ニカイア・コンスタンティノポリス信条では、「聖霊は……預言者をもってかつて語った」と告白する。
キリスト教ではイエス自身を預言者とは看做さず、神の子にして救世主(メシア)(この場合はイエス・キリスト)であると信じる。先の信条の引用から伺えるように、カトリックやプロテスタントなど一般のキリスト教派にとって、預言者とは過去のもの、すなわちイエス以前のものである。したがってこれらの教会は、旧約聖書の預言者や新約聖書に「預言者」として言及されるイエス以前に活動していた若干名以外に、預言者をたてない。預言の活動自体はキリスト教内にも行われ、預言を行う信徒たちは、当時、預言者と呼ばれていたことが、新約聖書文書から伺えるが、教会の慣習としては、それらイエス以降に預言を行うものを預言者とは呼んでいない。
一方、キリスト教から派生したモルモン教などの新興宗教では、自派の指導者(大管長)を預言者とするものがある。
[編集] イスラーム教における預言者
ユダヤ教とキリスト教を取り入れて誕生したイスラーム教においては、預言者(ナビー)は神の言葉を伝えて人々を正しい方向へ導く者のことであり、使徒(ラスール)もほぼ同義に使われる。
イスラーム教は、旧約聖書の預言者たちや、新約聖書のイエス(イーサー)も歴代の預言者として認めるが、イスラームを説いたムハンマドが最高最後の預言者であり、ムハンマドが神から預かり伝えた言葉がすなわちクルアーン(コーラン)であるとみなす。クルアーンはアラビア語によってアラビア人に伝えられた聖典であると同時に神自身の言葉をそのまま伝える唯一の聖典であるから、アラビア人だけでなく全ての人類が受け入れるべき最良の聖典であると考えられている。
[編集] バハーイーの預言者
イスラーム教シーア派の十二イマーム派から分かれたバハーイー教は、ムハンマドに至るまでのすべてのアブラハムの宗教の預言者たちを認め、バハーイー教の始祖であるバハーウッラーも預言者の列に連なるひとりであるとする。
バハーイー教は、さらにブッダのようなアブラハムの宗教以外の宗教の始祖たちも唯一神の預言者であると説いており、アブラハムの宗教の潮流のみに留まらない普遍的世界宗教の性格を有している。
[編集] 語源
旧約聖書で預言者に対応する最も一般的なヘブライ語はナービー (nabi) である。この語源には様々な説が提示されているが、有力なのはアッカド語起源で「与えられた者」もしくは「語る者」を意味したという説である[1]。
古典ギリシア語では、プロフェーテース (προφήτης, Prophetes) の語があてられた。本来これは「代わりに語る者」の意味であり、この場合は「神の代弁者」の意味を持つ[2]。なお、接頭辞προ- には「代わりに」のほかに「前に」の意味もあることから、「前もって語る人」を語源的意味とする論者もいるが、その場合でも聖書の文脈では「神の代弁者」の意味で用いられていたと断っている[3]。
とはいえ、聖書の預言には、未来を対象とするものも少なくなからずあるため、「前もって語る人」の側面を含むのも事実である。結果として、この語から派生した英語の"Prophet"やフランス語の"Prophète"は、「神の代弁者」と「(聖書と結びついているかに関わらず)未来を語る者」の二通りの意味を持っている(ただし、「未来を語る者」については、英語では"Foreteller"なども、フランス語では"Prédiseur" などもそれぞれ用いられる)。
[編集] 訳語の問題
現在の日本語でProphetに対応しているのが、「預言者」である。これは漢訳聖書の訳語に由来する。清代には、西洋の宣教師らによって複数の漢訳聖書が作られた。18世紀書初頭のジャン・バセ訳(『四史攸編』)や1813年のロバート・モリソン訳(『新遺詔書』)では「先見」の訳があてられたが、19世紀半ばには「預言者」の語をあてるものもあったようであり、1860年代初めに日本人向けに作成されたヘボン訳『新約聖書』(四福音書のみ)では後者に基づいて「預言者」が採用された。[4]
ただし、本来の「預」は「豫」(「予」の旧字体)の俗字とされ、中国では「預(あらかじ)め語る者」の意味でしかなかった。しかし、現在の日本では、「預」には「預かる」という、本来の用法にはなかった意味が付与されていることから、神の言葉を「預かる」者が「預言者」、未来や人の運勢などを予め語る者を「予言者」と区別することが一般的となっている。
「預」という字の本来の用法からすれば誤用であることから、これを問題視する見解もあるが[5]、他方で上記のような誤用の経緯をきちんと踏まえた上で、「神の代弁者」と「未来を語る者」とを区別する便宜的な訳し分けとして存続してもよいとする専門家もいる[6]。
現在のウィキペディア日本語版では、「預言」と「予言」の区別は上記の通り本来誤用であることを認識しつつも、辞書類などでも採用されている広く人口に膾炙した区別であることや、上記の通り専門家の中にも是認する者がいることから、「預言者」を「神の代弁者」、「予言者」を「未来を語る人」の意味に用いている。
なお、現代の日本語での一般的な区分は以上の通りであり、この区別を踏まえて、「予言」を信奉する人々の中には、ある予言者(例えばノストラダムス)は神の言葉を聞いて予言したのだと見る場合に、あえて「預言者」を用いるなどといったことも行われている。
[編集] 注
- ^ 『キリスト教大事典・改訂新版』教文館、1968年;馬場嘉市『新聖書大辞典』キリスト新聞社、1971年 等。
- ^ H. G. Liddell & R. Scott, An intermediate Greek-English lexicon, Oxford, 1889 ; La Grande Encyclopédie, Lib. Larousse, T.16, 1975 ; 玉川直重『新約聖書ギリシア語辞典』キリスト新聞社、1978年;ルメートルほか『図説キリスト教文化事典』原書房、1998年 など。
- ^ 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年;織田昭『新約聖書ギリシャ語小事典』教文館、2002年 など。
- ^ 鈴木範久『聖書の日本語 - 翻訳の歴史』岩波書店、2006年
- ^ 高島俊男『お言葉ですが…11』連合出版、2006年
- ^ 織田昭『新約聖書ギリシャ語小事典』教文館、2002年
[編集] 関連項目
- 預言
- 士師
- ユダヤ教史関連人物の一覧
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