アベル・タスマン
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アベル・タスマン(アベル・ヤンセン・タスマン、Abel Janszoon Tasman、1603年 - 1659年10月10日)はオランダの探検家。
特にオランダ東インド会社の元で行った1642年と1644年の航海が有名。 1643年には現在のタスマニアとニュージーランド、フィジー等を発見した。
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[編集] 略歴
フローニンゲン州の小さな村であるLutjegastで誕生。
[編集] 航海
[編集] 1642年の航海
オランダによって現在のオーストラリアの西海岸が発見されており「New Holland(新オランダ)」と名付けられていたが、そこが「Terra Australis」という大陸であるかという調査をオランダ東インド会社によって依頼されていた。
まず、最初の処女航海(1642年~1643年)はジャカルタ(当時はバタビア)からヘームスケルクおよびモーリシャスへと航海する。オーストラリア大陸沿岸を離れずに航海し、11月24日にタスマニアを発見する。 最初それを自分の故郷の名を取って「Van Diemen's Land(ファンディーメンズランド)」と命名したが、後にイギリスの移住民によってタスマニア島と改名された。
その後、さらに東に航行してニュージーランドを発見。彼は最初それが南米大陸の陸続きの先端だと考え、それを「Staten Landt」と命名した。 彼はそのままニュージーランドの西海岸に沿って北に航行し、南部島の北端で停泊中原住民族であるマオリ族に遭遇し、襲撃と勘違いされた原住民にそこで4人の船員が殺されている。ちなみにそこは「Murderers湾」(現在のGolden湾)と命名し、さらに北に航行したが、クック海峡をただの湾と間違え「Zeehaen湾」と命名して、ニュージーランドが一つの島でオーストラリア大陸の一部であると信じていた。
バタビアへ回航し、1643年1月21日にトンガ諸島を越えて航海を終了した。またニュージーランド航海の目印として名づけた名前は現在も残っており、「en:Cape Maria van Diemen」やスリーキングズ諸島等がある。
[編集] 1644年の航海
二回目の航海は1644年に行われ、ニューギニアの東~南海岸へと周り、ニューギニアとオーストラリアの間のトレス海峡を周り、オーストラリア北海岸に沿って航海した。
しかし、この航海では有益な大陸や島は発見できず、この後オーストラリア南東のタスマニアやニュージーランド辺りへは、ジェームズ・クックによる発見まで1世紀以上本格的な航海は行われなかった。