アメリー・ノートン
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アメリー・ノートン (Amélie Nothomb、1967年8月13日 - ) は、ベルギー人の小説家。フランス語圏で活動する有力な作家のひとりであり、数多くの文学賞を受けている。
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[編集] 経歴
ベルギーの外交官の娘として神戸に生まれる。5歳まで日本で育った後、父親の転勤によって中国・ニューヨーク・バングラデシュ・ビルマ・ラオスと移り住む。17歳の時にベルギーに帰国。それまでずっと外国を転々としていたたため、ベルギーに帰ってきても「自分が外国人のような感じがした」という。ブリュッセル自由大学に進み、文献学を学んだ。
23歳で再来日し、住友商事に1年間勤務する。その後ベルギーに戻り『殺人者の健康法』で作家デビュー。以来、年に1作ほどのペースではあるがコンスタントに作品を発表し続けている。生き生きとしたトーン、語彙の正確さ、独創的なテーマなどが評価を得ている。
[編集] 『畏れ慄いて』
日本での就業経験をもとに、1999年にノートンが発表した自伝的小説が『畏れ慄いて』(おそれおののいて)である。外国人である主人公が日本の大企業で、理不尽ともいえる体験をする様子を面白おかしく描き、フランスでは50万部を売るベストセラーとなった。さらにこの年のアカデミー・フランセーズ小説賞も受賞している。
その一方、話の舞台となっている当の日本では、日本の会社組織や文化の誇張された表現が、外国では誤解を呼ぶのではないかと懸念する声も聞かれる。実際に、大企業の社長がこの作品を評して「嘘のかたまりだ」と批判したこともある。
2003年に、アラン・コルノー監督、シルヴィ・テステュー主演で映画化された。日本では同年のフランス映画祭横浜で上映されたが、一般公開には至っていない。
[編集] 家系
ノートン家は代々続く政治家の家系であり、ベルギーの元首相ジャン=バプティスト・ノートン(fr:Jean-Baptiste Nothomb)、外務大臣を務めたシャルル=フェルディナン・ノートン(fr:Charles-Ferdinand Nothomb)は親類に当たる。
父パトリック・ノートン(fr:Patrick Nothomb)は、アメリーが生まれた頃は大阪のベルギー領事を務めていた(1968年-1972年)。1988年、今度は大使として再び日本に赴任している。2004年に自伝『Intolérance zéro, 42 ans de carrière diplomatique』を出版した際は、娘アメリーが序文を書いた。
[編集] 作品リスト
年表記はフランスにおける出版年を表す。
- Hygiène de l'assassin 殺人者の健康法(1992年)
- Le Sabotage amoureux(1993年)
- Légende un peu chinoise
- Les Combustibles(1994年)
- Les Catilinaires 午後四時の男(1995年)
- Péplum(1996年)
- Attentat 愛執(1997年)
- Mercure 幽閉(1998年)
- Stupeur et tremblements 畏れ慄いて(1999年)
- Le Mystère par excellence
- Métaphysique des tubes(2000年)
- Brillant comme une casserole
- Cosmétique de l'ennemi(2001年)
- Aspirine
- Sans nom
- Robert des noms propres(2002年)
- Antéchrista(2003年)
- L'Entrée du Christ à Bruxelles(2004年)
- Biographie de la faim
- Acide sulfurique(2005年)
- Journal d'Hirondelle(2006年)