アラン・ジュペ
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アラン・マリー・ジュペ(Alain Marie Juppé、1945年8月15日 - )は、フランスの政治家。ジャック・シラクの側近として知られ、1995年から1997年にかけて首相を務めたほか、与党共和国連合総裁、国民運動連合(UMP)の初代総裁などを歴任した。2006年からボルドー市長。
1945年8月15日ランド県モン=ド=マルサンに生まれる。1964年高等師範学校(École normale supérieure エコール・ノルマル・シュペリウール)を卒業する。アグレガシオンを取得し、1968年パリ政治学院を、1972年フランス国立行政学院(ENA、エナ)をそれぞれ卒業する。
1970年ジャック・シラクの演説草稿起草者となり、ここから、シラクとの強い結びつきが生まれた。1988年から1995年までパリ市長であったシラクの下で、パリ市財政担当助役を務め、その後、1995年から2004年までボルドー市長。
1993年エドアール・バラデュールを首相とする第2次コアビタシオンが成立すると、バラデュール内閣の外務大臣に就任する。1995年のフランス大統領選挙で保守陣営は分裂し、シラクとバラデュール首相が対立することとなった。決選投票の末、シラクは大統領に当選し、ジュペは首相に就任する。
ジュペ内閣は、シラク大統領主導でムルロア環礁における核実験を強行したことが契機となり、さらに付加価値税の税率上昇による増税や公務員給与の凍結、行財政改革、規制緩和の結果、失業率が増加し内閣支持率も低下していった。1997年シラクは政治状況の不利を改善するために下院国民議会を解散するが、総選挙の結果、社会党が第一党となり、左翼陣営が勝利したため、ジュペ内閣は総辞職し、後任には社会党第一書記のリオネル・ジョスパンが選出された。
2002年共和国連合、フランス民主連合、自由民主党など保守中道諸政党が糾合して結成された大統領多数連合(後の国民運動連合)の初代総裁となるが、2004年7月15日不正政治資金疑惑に関与した責任を取り、国民運動連合総裁を辞任した。2007年の総選挙にも立候補を表明している。
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