アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ
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アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ(Alexandre Tadeu Gallo、1967年5月29日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、前FC東京監督。
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[編集] 略歴
現役時代のポジションはボランチであった。プロ選手としての経歴はすべてブラジル国内のクラブであったが、所属した全てのチームでキャプテンを務めた。
2002年から指導者としての活動を始め、カルロス・アルベルト・パレイラの下でアシスタントコーチを務めた。その後もヴァンデルレイ・ルシェンブルゴに師事するなど国内でキャリアを重ね、2005年にはポルトゲーザにおいて監督に就任した。
2006年にはJリーグ・FC東京の監督に就任。ガーロにとっては初めての海外指導経験であり、またFC東京にとっても初の外国人監督であった。大熊清の堅守速攻、原博実のスピードを持った攻撃サッカーというように、それまでのFC東京は速攻型のチームであったが、ガーロはボールを保持すること(ボールポゼッション)で試合を優位に進めるサッカーを志向した。しかし選手への戦術浸透が進まず、負傷離脱選手の続出やシステム変更(4バック→3バック)なども伴って、チームは混迷した。ある程度の勝ち点は積み重ねたものの、試合内容についてサポーターからも批判の声が聞かれるようになり、同年8月には監督を解任されることになった。
[編集] 所属クラブ(選手時代)
- ボタフォゴFC(1986 - 1991)
- ヴィトーリア(1991)
- サントス(1992 - 1996)
- ポルトゲーザ・デスポルトス(1996)
- グアラニ(1997)
- サンパウロ(1997 - 1998)
- アトレチコ・ミネイロ(1999 - 2000)
- コリンチャンス(2001)
[編集] 指導者経歴
[編集] アシスタントコーチ
[編集] 監督
- ヴィジャ・ノヴァ(2003-2004)
- ポルトゲーザ・デスポルトス(2005)
- サントス(2005)
- FC東京(日本・Jリーグ)(2006)
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