イェンス・バイスフロク
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男子 スキージャンプ | ||
金 | 1984 | 70m級 |
金 | 1994 | 90m級個人 |
金 | 1994 | 90m級団体 |
銀 | 1984 | 90m級個人 |
イェンス・バイスフロク(Jens Weißflog, 1964年7月21日 - )は、ドイツ(旧東ドイツ)のスキージャンプ選手である。
1984年のサラエボオリンピックでは70m級で金メダル、90m級で銀メダルを獲得し、一躍世界のトップジャンパーに躍り出たが、続くカルガリーオリンピック、アルベールビルオリンピックでは目立った成績を挙げることができず、既に彼の時代は終わったと思われていたが、リレハンメルオリンピック前年に当時主流になりつつあったV字型飛行へのフォーム改良に成功し、本番のリレハンメルオリンピックではラージヒル個人、団体で2個の金メダルを獲得し、見事復活した。団体では日本の原田雅彦が飛ぶ前に大ジャンプを見せた。そのジャンプを持ってしても、原田が最後に大失敗しない限り日本の金メダルは揺るがなかったのだが原田は大失敗、ドイツに金メダルがもたらされた。原田がジャンプする前にバイスフロクが「おめでとう」と言って(悪気があってではないよう)、そのため原田が失敗したのではという報道もあったが、原田はそのことを否定している。
1983年-84年シーズン、19歳の時に彼は「ジャンプ週間」で総合優勝した。同じシーズンのサラエボオリンピック70m級(現在のノーマルヒル)でも優勝するとその勢いのままにW杯でも総合優勝した。 次のシーズン、バイスフロクはジャンプ週間で2連覇を果たす。
彼は12年の間、世界のトップレベルで戦いつづけた。しかし1990年-91年シーズンの後半、3度目のジャンプ週間総合優勝のあと、東ドイツから統一ドイツへの移り変わり及びV字型飛行の技術によって1993年まで低迷した。1994年のリレハンメルオリンピックで彼は個人ラージヒルと団体ラージヒルの2つの金メダルを獲得、これは最初のオリンピックでの優勝から10年経っていた。彼は1995年-96年シーズンに4度目のジャンプ週間総合優勝を果たしたのちこのシーズン限りで引退した。(他に4回総合優勝した選手はフィンランド人のヤンネ・アホネンがいる。)
ワールドカップ通算33勝(2位19回、3位21回)。
1989年、1990年には the ski jumping competition at the Holmenkollen ski festival(ホルメンコーレン国際スキー大会) でも優勝している。
FISノルディックスキー世界選手権では金メダルを2個(1985年個人ノーマルヒル、1989年個人ノーマルヒル)、銀メダルを2個(1989年個人ノーマルヒル、1984年団体ラージヒル)、銅メダルを5個(1991年個人ラージヒル、1993年個人ラージヒル、1985年団体ラージヒル、1991年団体ラージヒル、1995年団体ラージヒル)獲得している。
今日では、バイスフロクは地元でホテルを経営しながら、ドイツのZDF TVのスポーツ解説者をしている。