イタリア戦役 (1796-1797年)
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イタリア戦役(いたりあせんえき)とは、1796年~1797年にイタリア北部で行われたフランス軍とオーストリア軍の諸戦闘のことである。多くの会戦でフランス軍はオーストリア軍を打ち破り北イタリアの諸都市を解放し、市民から歓迎を受けた。 1797年10月17日、カンポ・フォルミオで講和条約(カンポ・フォルミオ条約)が結ばれこの戦闘は終結した。
[編集] 背景
1793年12月22日、トゥーロン攻略の手柄によって師団長に昇進したナポレオンは、さらに翌年2月にイタリア方面軍砲兵隊司令官にまで昇進した。
このころのイタリア北部は大部分がオーストリアに占領されており、国境を接するフランスに脅威を与えていた。この不安を除去するためにフランス軍は北イタリアに侵攻していたが、3年間近く成果が上がらなかった。そこで1796年3月27日、トゥーロン攻略など名声のあったナポレオンがイタリア派遣軍司令官に任命された。
派遣されたフランス軍は40,000弱であり、オーストリア軍及び同盟国のサルディニア軍はそれぞれ40,000、20,000ほどであった。
なお、戦いに先立ちナポレオンは「兵士諸君、諸君は裸だ、食べ物はない。政府は諸君に何も与えてくれない。私は諸君を世界で最も肥沃な平原に連れて行く。諸君はそこで、名誉・栄光・富を得るであろう」と檄を飛ばし、軍服、軍靴だけでなく、弾薬や食料をも欠く貧相な兵の士気を向上させた。
[編集] 主戦闘
- モンテノッテの戦い
- ロディの戦い
- カスティリョーネの戦い
- アルコレの戦い
- リヴォリの戦い