イヴィツァ・ヴァスティッチ
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イヴィツァ・ヴァスティッチ(Ivica Vastić、1969年9月29日 - )は、クロアチア、スプリト出身の元オーストリア代表サッカー選手。愛称はイヴォ(Ivo)。
クロアチアで生まれ育つが、1991年から始まった内戦の混乱によりクロアチアを離れてオーストリアに帰化し、代表に選出され活躍を見せた。シュトルム・グラーツに在籍時はイヴィツァ・オシムが指揮を執るチームの下で活躍。2002年からは名古屋グランパスエイトに在籍した。
もともとフォワードの選手だが、オシムにより攻撃的MFとして使われだしてから飛躍的に成長した。器用な選手で、代表チームではリベロとして使われたこともある。
オーストリア・ブンデスリーガ屈指のテクニシャンで、強烈なシュートを思わせての絶妙のタイミングの切り返しのフェイントを得意としており、キーパーを含む相手DF全員を地に這わせてからゴールするというのを何度か魅せた。遠い位置からのシュートや、フリーキックからのゴールも量産し、テレビのサッカー番組の編集する月間最優秀ゴールの候補の常連であった。
ヘディングが苦手だった。
接触プレーではすぐに倒れこみ、フリーキックを得る技術も非常に高かったが、あるとき敵チームのサポーターから「ヴァスティッチにバイアグラを-より長く立っていられるために」という横断幕を持ってこられた。しかしながら、飛ばされた瞬間に体を半回転させ、髪を振り乱して体ごと落ちるプレーを美しく魅せることができる数少ない選手であったことは確かである。
数多い帰化したクロアチア出身のサッカー選手の中では飛び抜けてドイツ語がうまい。
[編集] 経歴
- アドリアケム・スプリト(旧ユーゴスラビア)
- NKスプリト(旧ユーゴスラビア)1990/1991
- ファースト・ヴィエンナ(オーストリア2部) 1991/1992
- VSEザンクト・ペルテン(オーストリア1部) 1992/1993
- アドミラ・ヴァッカー(オーストリア1部) 1993/1994
- デュイスブルク(ドイツ) 1994
- シュトルム・グラーツ(オーストリア) 1994/1995-2001/2002
- 名古屋グランパスエイト(日本) 2002-2003
- FKアウストリア・ウィーン(オーストリア1部) 2003/2004-2004/2005
- LASKリンツ(オーストリア2部) 2005/2006-
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | J1/J2 | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 |
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2002年 | 名古屋 | J1 | 9 | 18試合10得点 | 0試合0得点 | 3試合0得点 |
2003年 | 名古屋 | J1 | 9 | 9試合3得点 | 2試合0得点 | - |
通算 | J1 | 27試合13得点 | 2試合0得点 | 3試合0得点 |
[編集] 代表歴
- オーストリア代表(46試合12得点)1996-2005
J1記念ゴール | ||
前回: 8000ゴール 崔龍洙 |
8500ゴール ヴァスティッチ 2003.5.18 |
次回: 9000ゴール 斎藤大輔 |