名古屋グランパスエイト
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名古屋グランパスエイト | |
原語表記 | 名古屋グランパスエイト |
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愛称 | グランパス |
クラブカラー | 赤、黄 |
創設年 | 1991年 |
所属リーグ | Jリーグ |
所属ディビジョン | ディビジョン1 |
ホームタウン | 愛知県名古屋市 |
ホームスタジアム | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 |
収容人数 | 27,000 |
代表者 | 池渕浩介 |
監督 | セフ・フェルホーセン |
名古屋グランパスエイト(なごやグランパスエイト、Nagoya Grampus Eight)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
スポンサーが”トヨタ自動車”であることなのだろうか、資金力はJリーグ屈指で、多くの外国人選手をJリーグの舞台に招き入れている。
目次 |
[編集] クラブ概要
トップチームの母体となったのはトヨタ自動車工業サッカー部(1939年に創部)のコーチ・選手で、日本サッカーリーグにも参戦した東海の強豪だった。1991年にJリーグ加盟したのに伴い、プロとして活動する選手を名古屋市を拠点として新設したグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に専念する選手を静岡県裾野市にあるトヨタ自動車東富士FC(当時、東海社会人リーグ所属。1993年度ジャパンフットボールリーグ2部に参加も1年で撤退)にそれぞれ移籍させた。
ホームタウンは愛知県名古屋市。ホームスタジアムは名古屋市瑞穂公園陸上競技場と隣接する球技場、および豊田市の球技場・豊田スタジアムも併用する。(2001年までは岐阜・長良川陸上競技場も準本拠としていたが、豊田スタジアム完成に伴い撤退)練習会場は豊田市のトヨタスポーツセンター。チーム名は「グランパス(Grampus)」が英語の鯱(名古屋城の金鯱)、「エイト」は数字の八(名古屋市の記章)の英語訳を合わせたもの。
[編集] 歴史
Jリーグ創設時から加盟した10チーム(オリジナル10)のひとつ。Jリーグ開幕初年の1993年は1986年メキシコワールドカップ得点王のゲーリー・リネカーを擁して臨んだが下位に低迷。ガンバ大阪、浦和レッドダイヤモンズと共に「Jリーグのお荷物」と呼ばれてしまう。
1994年途中にユーゴスラビア代表主将ドラガン・ストイコビッチを獲得。当初は短期間の腰掛け移籍のつもりだったストイコビッチだが、結局2001年まで在籍してクラブの歴史に欠かせない存在となる。1995年にアーセン・ベンゲル監督を迎え、一躍台風の目となったグランパスは1995年度の天皇杯で優勝する。最初の黄金時代を築いた。
Jリーグでのリーグ戦タイトルこそまだないが、1996年は1シーズン制だったのでチャンピオンシップは開催されず、その代わりとして「サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル」と題する大会が開催される。その時はリーグ戦・ナビスコ杯の上位2チームが進出し、名古屋グランパスがリーグ戦2位で出場権を獲得。準決勝ではナビスコ王者の清水エスパルスをPK戦の末[3-1]で勝利。決勝戦ではその年のJリーグチャンピオンの鹿島アントラーズと対戦し、ストイコビッチの延長Vゴールにより[1-0]で下して優勝。Jリーグの初栄冠に輝き、1996年の事実上のJリーグ総合王者となる。翌1997年には前年までJリーグの年間総合優勝クラブが出場したサンワバンクカップの出場権が与えられた。 しかし1996年の半ばにベンゲル監督がイングランドのアーセナルへ引き抜かれ、それ以降はチームは徐々に弱体化する。
1999年度にはジョアン・カルロス監督が就任し、横浜マリノスと合併した横浜フリューゲルスから楢崎正剛、山口素弘、ベルマーレ平塚から呂比須ワグナーを獲得し、優勝候補の筆頭に上がったが、第1ステージはまさかの8位と低迷する。その後、第2ステージでは息を吹き返し2位と好成績を残し、天皇杯では再び優勝した。
2000年には小宮好雄副社長のトップダウン人事でチームの顔であった平野孝、望月重良、大岩剛をシーズン途中に突如解雇する。小宮氏によると「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と解雇の理由を説明したが、未だにこの決断はファンの間に物議を醸している。
2001年の1stステージでは、8年の長きに渡り、ファンタジーあふれるプレーで、チームを支えてきたストイコビッチが現役を引退。チームは新たな過渡期を迎える。
2002年シーズンに、前ジェフユナイテッド市原監督のズデンコ・ベルデニック監督が就任し、チームの潜在能力を引き出した。
2003年の2ndステージでは、勝ちきれない体質を改善するため、ネルシーニョ監督を招聘した。チームは8位に終わったが、ウェズレイがJ1得点王を獲得した。
2005年シーズンは、序盤戦では2位に乗るなど幸先良いスタートを切ったが、マルケスが退団するとチームの勢いは失速した。元ブラジル代表FWルイゾンを補強したが、成績不振でネルシーニョ監督が解任されるとルイゾンも退団し、J2への降格すら現実味を帯びるほど不振をきわめた。しかし、11月20日の首位ガンバ大阪戦を2-1で勝利すると、つづく23日の東京ヴェルディ1969戦を0-0で引き分けJ1残留を果たした。
2006年シーズンは、オランダ人監督のセフ・フェルホーセン氏が就任。さらに、開幕前に日本代表FW玉田圭司を柏レイソルより完全移籍で獲得すると共に、韓国代表MF金正友らを獲得した。しかし、DFの古賀正紘をFWで起用せざるを得ない深刻な得点力不足に悩まされ、ナビスコカップを含めると公式戦16試合勝ち星が無いと言う苦しい状況が続いた。だが、シーズン途中にノルウェー代表FWフローデ・ヨンセンを獲得してからようやくチームも上昇気流に乗りだした。その後、ホームでFC東京に敗戦してからフェルホーセンと選手との間で練習方法を巡ってのトラブルが発生した事もあったが和解。終盤に好調を維持して賞金圏内に滑り込んだ。
2007年シーズンは、古賀正紘が柏レイソルへ、川島永嗣が川崎フロンターレへ、秋田豊が京都サンガへ移籍した。その一方で米山篤志を川崎フロンターレから、櫛野亮をジェフユナイテッド市原・千葉から、さらには日本代表FW巻誠一郎の弟である巻佑樹らを獲得した。
[編集] エピソード
[編集] 名古屋の『中位力』
トヨタ自動車をスポンサーとした強力な資金力を背景に毎シーズン積極的な戦力補強を行っているが、結果には結びついていない。昨今では大物選手が移籍を匂わすと、必ずと言っていいほど名古屋の名前が挙がる。それでもなかなか優勝争いにも加われない状態が続き、「万年中位」とも言われる。また、上位のクラブに勝利しながら下位のクラブにあっさりと敗戦してしまうことも多い。その象徴として言えるのが、2006年にリーグ優勝した浦和レッズ相手に敗戦を喫していない唯一のチームであること。しかしともに記録的な成績の最下位で降格した2002年のコンサドーレ札幌、2005年のヴィッセル神戸に、J1全クラブ中、名古屋のみが2連敗(いずれも無得点)を喫している。他クラブのサポーターからは「名古屋はわざと中位を狙っている」「名古屋は中位になる力、即ち中位力を持っている」「グランパス8(エイト)位」「弱きを助け強きをくじくJリーグのバランサー」「トヨタ・ハイブリッド・(ランキング)・システム」「世界中どのリーグで戦っても中位」などと揶揄をされることもある。
落合監督の就任以降毎年優勝争いをする中日ドラゴンズに比べれば、応援のし甲斐の無さや情報量の少なさといった点で地元名古屋でのグランパスの人気は伸び悩んでいる感がある。
[編集] カシマスタジアムで勝てない
グランパスはJリーグ開幕以来、カシマスタジアムでまだ1度も勝っておらず、引き分けも1つもない。グランパスは93年のJリーグ開幕戦、カシマスタジアムで鹿島アントラーズと対戦し、ジーコにハットトリックを決められ大敗して以来、天皇杯、ナビスコ杯含めて20連敗と不名誉な記録を作ってしまっている。
[編集] Jリーグ年度別成績
年度 | リーグ | J1/J2 | 順位 | 成績 |
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1993年 | サントリー | J1 | 9位(10) | 7勝11敗 |
〃 | ニコス | J1 | 8位(10) | 5勝13敗 |
1994年 | サントリー | J1 | 8位(12) | 9勝13敗 |
〃 | ニコス | J1 | 12位(12) | 6勝16敗 |
1995年 | サントリー | J1 | 4位(14) | 15勝11敗 |
〃 | ニコス | J1 | 2位(14) | 17勝9敗 |
1996年 | 年間 | J1 | 2位(16) | 21勝9敗 |
1997年 | 1st | J1 | 12位(17) | 6勝10敗 |
〃 | 2nd | J1 | 5位(17) | 10勝6敗 |
1998年 | 1st | J1 | 3位(18) | 12勝5敗 |
〃 | 2nd | J1 | 6位(18) | 11勝6敗 |
1999年 | 1st | J1 | 8位(16) | 7勝7敗1分 |
〃 | 2nd | J1 | 2位(16) | 11勝3敗1分 |
2000年 | 1st | J1 | 12位(16) | 7勝7敗1分 |
〃 | 2nd | J1 | 7位(16) | 7勝7敗1分 |
2001年 | 1st | J1 | 3位(16) | 10勝3敗2分 |
〃 | 2nd | J1 | 6位(16) | 7勝7敗1分 |
2002年 | 1st | J1 | 3位(16) | 10勝5敗0分 |
〃 | 2nd | J1 | 13位(16) | 5勝9敗1分 |
2003年 | 1st | J1 | 7位(16) | 5勝2敗8分 |
〃 | 2nd | J1 | 8位(16) | 6勝5敗4分 |
2004年 | 1st | J1 | 8位(16) | 5勝5敗5分 |
〃 | 2nd | J1 | 5位(16) | 7勝5敗3分 |
2005年 | 年間 | J1 | 14位(18) | 10勝15敗9分 |
2006年 | 年間 | J1 | 7位(18) | 13勝12敗9分 |
合計 | - | J1 | - | 229勝201敗46分 |
※カッコ内はチーム数
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内タイトル
- 1995年 天皇杯
- 1996年 ゼロックス・スーパーカップ
- 1996年 サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル優勝
- 1997年 サンワバンクカップ優勝
- 1999年 天皇杯
- 2000年 第五回東海チャンピオンシップ優勝
[編集] 個人別タイトル
- 2003年 ウェズレイ
[編集] 歴代監督
平木隆三(1992年-1993年)
ゴードン・ミルン(1994年-同年11月)
三浦哲郎(1994年11月-同年末、監督代行)
アーセン・ベンゲル(1995年-1996年9月)
ジョゼ・アルベルト・コスタ(1996年9月-同年10月、監督代行)
カルロス・ケイロス(1996年10月-1997年11月)
田中孝司(1997年11月-1999年4月)
ダニエル・サンチェス(1999年4月-同年8月)
マザロッピ(1999年8月)監督代行
ジョアン・カルロス(1999年9月-2001年8月)
三浦哲郎(2001年8月-同年末)
ズデンコ・ベルデニック(2002年-2003年8月)
ネルシーニョ(2003年8月-2005年9月)
中田仁司(2005年9月-同年末)
セフ・フェルホーセン(2006年-現在)
[編集] チームカラー
- チームカラーは赤、オレンジ
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[編集] ユニホームスポンサー
- (練習着 明治乳業)
[編集] 過去のスポンサー
- 豊田自動織機(背番号 2005,2006年)
- UCC(練習着 -2006年)
- トヨタ自動車は創設当初から1999年まで袖部分のスポンサーだった。2000年に「TOYOTA」のロゴを入れるまで、胸部分はグランパスのチームロゴを入れていた。
[編集] ユニホームサプライの遍歴
[編集] マスコットキャラクター
マスコットキャラクターはチーム名の「グランパス(Grampus)」にちなみシャチをモチーフにしている。
現在グランパスファミリーは4匹。 (※参照マスコットキャラクター一覧)
・グランパスくん ・グランパコちゃん(妻) ・グランパスくんJr.(息子) ・グララ(娘)
[編集] グランパスの試合を中継する放送局
グランパスのホームの試合は、NHKと名古屋の民放(東海テレビ、中京テレビ、名古屋テレビ)が多く中継をする。またごく稀に、CBC、テレビ愛知が中継をする。
しかし、ほとんどが深夜の録画中継もしくは、中継なしの場合のため、J SPORTSをはじめとしたSKY PerfecTV!、衛星放送を視聴する、または現地観戦が勧められる。
また、ラジオは国際試合やJリーグの放送権を持つニッポン放送の系列局である東海ラジオが、ホーム戦をごくごくたまに生中継する(タイトルは、東海ラジオ ワイルドサッカーとして)。しかし、試合結果等を伝える場合に、ホーム戦のみ、中継なしの試合録音実況音声を使用するため、生中継こそはないがホームスタジアムに実況アナウンサーと解説者を派遣しているとみられる。
[編集] 関連項目
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- スポーツスタジアム (中京テレビ)
- どらぐら
- グランパスエキスプレス
- グランパスR
- ケン・マスイ(1998年から2006年までオフィシャルスタジアムDJを務めた)
[編集] 外部リンク
名古屋グランパスエイト - 2007 |
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1 楢崎正剛 | 3 スピラール | 4 大森征之 | 5 米山篤志 | 7 中村直志 | 8 金正友 | 9 ヨンセン | 10 藤田俊哉 | 11 玉田圭司 | 13 山口慶 | 14 吉村圭司 | 15 鴨川奨 | 16 増川隆洋 | 17 巻佑樹 | 18 中島俊一 | 19 杉本恵太 | 20 金古聖司 | 21 櫛野亮 | 22 筑城和人 | 24 本田圭佑 | 25 須藤右介 | 26 津田知宏 | 27 片山奨典 | 28 渡邊圭二 | 29 小川佳純 | 30 竹内彬 | 31 阿部翔平 | 32 青山隼 | 33 和田新吾 | 34 吉田麻也 | 35 井上渉 | 36 広野耕一 | 37 長谷川徹 | 38 新川織部 | 39 福島新太 | 監督 フェルホーセン | クラブ | |
Jリーグ 2007 | |
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J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
|
J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
|
過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |