イヴォンヌ・ルフェビュール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
イヴォンヌ・ルフェビュール(Yvonne Lefébure, 1898年6月29日 - 1986年1月26日)はフランスのピアニスト、音楽教育者。ルフェブールの表記もある。生年には、1904生まれを初めいくつか異説がある。
明晰なタッチで感興豊かな表現を聴かせる、20世紀を代表するフランスの奏者のひとり。しかし、生涯の多くを教育活動に注ぎ、演奏活動やメジャー・レーベルへの録音が一時的なものに留まっているため、その実力が正当に評価されているとは言い難い。門下に、ディヌ・リパッティ、サンソン・フランソワ、カトリーヌ・コラール、イモージェン・クーパーらがいる。
[編集] 略歴
- エルモン生まれ。4歳でピアノをはじめ、驚異的な才能を示したことから、アルフレッド・コルトーの推薦によってパリ音楽院に入学。
- パリ音楽院ではシャルル=マリー・ヴィドールに対位法、モーリス・エマニュエルやジョルジュ・コーサード、コルトーにピアノを師事する。
- 12歳のときにベートーヴェンの「熱情」ソナタを弾いて一等賞を獲得、カミーユ・シュヴィアール指揮ラムルー管弦楽団とサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番を演奏してデビューを果たす。
- 1924年、エコール・ノルマルでコルトーの助手として教鞭を執り、その後パリ音楽院教授となる。
- 1934年、ウィーン国際ピアノ・コンクールでリパッティが2位にとどまり、これに抗議したコルトーは審査委員を辞退する。コルトーはリパッティをパリに招待し、ルフェビュールがリパッティを教えた。
- 1950年、プラドに隠棲中のパブロ・カザルスのもとで開催されたプラド音楽祭に参加、バッハの平均率クラヴィーア曲集を弾く。翌1951年にもペルピニャンで開かれた音楽祭に参加、カザルス指揮ペルピニャン音楽祭管弦楽団と共演し、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番の録音を残す。
- 1965年、サン・ジェルマン7月音楽祭を創設。
[編集] 録音
- メジャーレーベルでは、1954年にルガノにおいてフルトヴェングラーと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲第20番のライヴ録音(EMI)がとくに知られる。その他は非常に少ない。
- 最晩年の1970年代から1980年代になって、フランスのSOLSTICE及びFYに、ポール・パレー指揮フランス国立放送管弦楽団とのシューマンのピアノ協奏曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調の協奏曲録音のほか、バッハ、ベートーヴェン、シューマン、 フォーレ、デュカス、ラヴェルなどのピアノ作品を録音した計12枚のCDが残されている。また、2005年末にDVDが発売され、映像が見られるようになった。
カテゴリ: フランスのピアニスト | 1898年生 | 1986年没