イーゲー・ファルベン社
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イーゲー・ファルベン(IG Farbenindustrie AG、もしくはInteressen -Gemeinschaft Farbenindustrie AG)は、かって存在したドイツの企業。第二次世界大戦前のドイツ化学産業を独占したトラストである。
[編集] 概略
1925年、バーデン・アニリン・ソーダ(BASF)、フリードリッヒ・バイエル、ヘキスト、アニリンファブリカツィオン(アグファ)、レオポルト・カセラ、カレ、グリースハイム・エレクトロン、ワイラー・テル・メールの8社が合同して、フランクフルト・アム・マインを本社所在地とし、資本金11億ライヒスマルクで発足した。グリースハイム・エレクトロンとワイラー・テル・メールを除く6社は「ドイツ染料タール利益共同体」(Interessengemeinschaft der deutschen Teerfarbenfabriken)を構成していたが、一種のカルテルである利益共同体形態ではアメリカのデュポンに対抗出来ないとの判断から、8社は単一の会社となることを決断した(ただし、社名には「利益共同体」を意味するIGという表現は残された)。
なお、IGファルベンの発足に危機感を持ったイギリス化学産業界は、翌1926年にインペリアルケミカル(ICI)を設立。ここに世界の化学産業は三分される事になる。
ナチス政権下のドイツでは積極的に戦争協力を行った。強制収容所での大量虐殺に使われたとされる有毒ガス「チクロンB」はIGファルベン製(正確にはそのライセンス生産を行ったグループ企業製)である。
第2次世界大戦後の1947年、連合軍によって役職員23人が戦争犯罪の嫌疑で起訴され(イーゲー・ファルベン社裁判)。翌1948年、13人に有罪判決が下された。
1951年、連合軍の財閥・トラスト解体政策により解散。ソ連占領地区(のちの東ドイツ)の工場は人民企業(VEB)に改組されるか戦時賠償として接収され、アメリカ・イギリス・フランス各占領地区では翌1952年にはバイエル、ヘキスト、BASF、アグファなどの11社が第二会社として発足した。
[編集] 外部リンク
IG-Farben-Prozess ドイツ語版WikipediaのIGファルベン裁判の記事