エフタル
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エフタル(Ephthal)は、古代中央アジアで活動した遊牧民の国家。民族系統はイラン系とする説が有力であるが、テュルク系とする説もある。インドやヨーロッパでは「白いフン」と呼ばれ、中国名は嚈噠(えんたつ、嚈は口偏に厭、噠は口偏に達)であるが、「白いフン」に対応する白匈奴の名でも記録された。
5世紀中頃に現在のアフガニスタン東北部に勃興し、周辺のクシャーナ朝後継勢力を滅ぼしてトハラ(バクトリア)、ガンダーラを支配下に置いた。これによりサーサーン朝と境を接するようになるが、その王位継承争いに介入してサーサーン朝より歳幣を要求するほどに至り、484年には逆襲をはかって侵攻してきたサーサーン朝軍を撃退した。さらにインドへと侵入してグプタ朝を脅かし、その衰亡の原因をつくった。
6世紀の前半には中央アジアの大部分を制覇する大帝国へと発展し、東はタリム盆地のホータンまで影響力を及ぼし、北ではテュルク系遊牧民の鉄勒と境を接し、南はインド亜大陸北西部に至るまで支配下においた。これにより内陸アジアの東西交易路を抑えたエフタルは大いに繁栄し、最盛期を迎えた。
しかしその後6世紀の中頃に入ると、鉄勒諸部族を統合して中央アジアの草原地帯に勢力を広げた突厥の力が強大となって脅かされ、567年に突厥とサーサーン朝に挟撃されて滅ぼされた。その領土は両者の間で分割されたが、やがて全域が突厥のものとなり、突厥は中央ユーラシアをおおいつくす大帝国に発展する。
エフタル国家の滅亡後も、エフタルと呼ばれる人々が存続していたが、8世紀ごろまでに他民族に飲み込まれて消滅した。
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