オゴデイ
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オゴデイ(Ögödei、Ögedei. 1186年 - 1241年 在位1229年 - 1241年)はモンゴル帝国の第2代大ハーン。漢語表記では窩闊台、ペルシア語表記では اوگتاى قاآن Ūgtāy Qā'ān と綴られる。オゴタイは俗称である。また井上靖著の「蒼き狼」ではエゲデイと書かれている。元によって贈られた廟号は太宗。チンギス・ハーンの三男。ジョチ、チャガタイの弟で、トルイの兄に当たる。
父・チンギスに従ってモンゴル統一や金遠征、大西征に従った。特に大西征においてはホラズム・シャー朝の討伐で戦功を挙げ、その功績によりナイマン部の所領を与えられた。オゴデイにはジョチとチャガタイという2人の有能な兄がいたが、ジョチは出生疑惑をめぐるチャガダイとの不和から、チャガタイは気性が激しすぎるところからチンギスから後継者として不適格と見なされていた。オゴデイは温厚で、一族の和をよくまとめる人物であったため、父から後継者として指名されたのである。
1227年の父の死後、モンゴル内部では末子相続の慣習に従ってオゴデイの弟でチンギスの末子に当たるトルイを後継者に求める声があった。これは、慣習だけではなくトルイ自身が智勇兼備の名将であったうえ、周囲からの人望も厚かったこと、父時代に立てた多数の武勲などが要因であるが、トルイはこれを固辞してあくまで父の指名に従うと表明し、1229年のクリルタイでオゴデイはチャガタイやトルイの協力のもと、第2代ハーンに即位することとなったのである。
その後、オゴデイは父の覇業を受け継ぐべく、積極的な領土拡大を行なった。1232年にはトルイの活躍で金の名将・完顔陳和尚率いる金軍を壊滅させ、1234年までに金を完全に滅ぼした。さらに南宋、高麗に対しても軍勢を派遣する一方で、1236年からは甥のバトゥを総司令官としたヨーロッパ遠征軍を派遣し、東欧の大半までを制圧するに至った。しかし、南宋に送り出した遠征軍は、皇太子のクチュが陣中で没したために失敗に終わった。
内政面においては父時代からの大功臣・耶律楚材とウイグル人チンカイを重用し、全国に駅伝制を導入して領土が拡大した帝国内の連絡密度を高めた。またオルホン河畔に首都・カラコルムを建設し、農耕地、都市部の管轄のために中書省を設けた。しかし相次ぐ対外遠征や新首都建設などからの財政悪化、さらには急激に拡大しすぎた領土間の連絡が密に取れず、次第に帝国の一族間における分裂などが顕著になったこと、そして何よりもオゴデイの長男・グユクとバトゥの対立が決定的となって一族間に不和が生まれたことなどが、オゴデイの晩年には大きな癌となってしまった。
さらに、オゴデイはチンギスのように後継者を明確に指名することなく、1241年に過度の酒色で健康を害して死去してしまったのである。オゴデイは生前、後継者としてはグユク以外の息子を考えていたが、不幸にもグユク以外の息子のほとんどは早世してしまった。このため、甥にあたる、トルイの長男モンケを後継者として考えていたらしい。しかしオゴデイの死後、皇后のドレゲネによる巧みな政治工作でグユクが第3代ハーンに選出されたのである。
ちなみに、グユク・ハンがローマ教皇インノケンティウス4世に宛てた1246年11月上旬の日付けを持つ親書がバチカンに現存するが、書簡中でグユクは祖父チンギスと自らを「 Chingiz khān(チンギス・ハン)」と「 khān(ハン)」とそれぞれ称しており、父オゴデイには「 Qā'ān(カアン)」という称号で呼んでいる。同様の書き分けはジュワイニーの『世界征服者史』やラシードゥッディーンの『集史』などのモンゴル帝国時代のペルシア語資料にも見られ、さらに華北の漢語やパスパ文字などによるモンゴル語碑文資料にもこの種の書き分けが見られる。恐らくオゴデイはチンギス・ハン以前の一般的な王号「ハン/カン」に優越する「皇帝」号に類する称号として新たに「カアン」号を採用したと思われるが、次代のグユクはこれを父オゴデイの専用と考え自らは「ハン/カン」のままに留めたと考えられる。しかしモンケは再び「モンゴル皇帝」としての「カアン」号を復活させたようで、以後クビライ家の独占するところとなったチンギス・ハン家の宗主である「モンゴル皇帝」=大ハーン位にあった全ての人物は「 Qā'ān(カアン)」の称号で呼ばれている。
すなわちオゲデイはモンゴル皇帝で「カアン」号を称した最初の人物と目される。詳細はハンに関する項目に譲るが、「オゴデイ・カアン」ないし「オゴデイ・ハーン」は正しいと言えるが、「オゴデイ・ハン」ないし「オゴデイ汗」などの記述は誤りである。
オゴデイの治世晩年は後の帝国分裂の要因となる癌が多く発芽したが、あれほど急激に帝国領を拡大し、偉大なる父の覇業を見事に受け継ぐことにも成功している。まさに、2代目としては成功者といえるであろう。
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