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バトゥ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バトゥ (Batu, 1207年 - 1256年) は、ジョチ家の第2代当主(ハン:在位1225年 - 1256年)で、キプチャック・ハン国ジョチ・ウルス)の実質的な創設者。チンギス・ハーンの長男・ジョチの次男である。漢語では抜都、巴禿、八都罕。ペルシア語ではباتوbātūと書かれる。

目次

[編集] 系譜

彼は、父ジョチと、コンギラト部族の首長デイ・セチェンの娘でチンギス・ハーンの正妃筆頭であるボルテの兄、アルチ・ノヤンの娘オキ・フジンとの子である。ジョチの息子たちは総勢40人以上いたと言われているが、14世紀初頭までに子孫を残した有力な嗣子たちは、バトゥの他に長子で異母兄のオルダや、バトゥの死後にジョチ家の家督を継いだ三男・ベルケ、シャイバーニー・ハーン家などの遠祖となった五男シバン、アストラハン・ハン国とウルグ・ムハンマド・ハーンのカザン・ハン国クリミアのハージー・ギレイ家などの祖となった十三男・トカ・テムルなど14人が知られている。

また、バトゥは長子ジョチの後継者とされていたため、祖父チンギスの命によって孫の世代を総覧する任にあった。

[編集] バトゥの嗣子たち

バトゥには4人の息子たちがいたことが知られている。サルタク、トクカン、エブゲン、ウラクチである。長子サルタクはバトゥが死去したときモンケの宮廷にいたため、モンケは彼にジョチ家の家督を認証したが、ジョチ・ウルスへ帰投する途中で病没し、かわりに4男で幼少の末子のウラクチに家督を継がせるよう勅が下った。しかしウラクチは程なく夭折し、実質的にウルスを統括していたバトゥの次弟ベルケへの家督継承が勅によって認証された。以後のバトゥの血筋は次男トクカンと3男エブゲンに引継がれ、ベルケの死後にトクカンの次男モンケ・テムルがジョチ・ウルスを相続することとなる。

また、バトゥには多くのハトゥンや妻妾がいたといわれているが、東西の文献双方でで名前が確認できるのは、バトゥの正妃筆頭であったアルチ・タタル部族のボラクチン・ハトゥン(Burāqchīn Khātūn)ただひとりである。他にオイラト部族の首長トレルチの娘であったベキ・ハトゥンがいたことが分かっている。このベキ・ハトゥンの姉妹には、チャガタイ家の当主カラ・フレグに嫁いだオルクナ・ハトゥンや、フレグの第四正妃オルジェイ・ハトゥン、バトゥの次男トクカンに嫁ぎ、モンケ・テムルトデ・モンケの母となったコチュ・ハトゥンがいる。

[編集] 生涯

1224年、父・ジョチの死によりジョチ家の当主となる。異母兄オルダは病弱がちだったため、次男で母の家柄もよかったバトゥが当主となった。オルダの母もバトゥの母も同じコンギラト部族の出自であったが、恐らくバトゥの家督継承には彼の母がコンギラト部族の宗主アルチ・ノヤンの娘であったことも大きく関係していると思われる。

[編集] バトゥの西方遠征

1236年春2月、モンゴル帝国第2代ハーン・オゴデイの命を受けてヨーロッパ遠征軍の総司令官となり、四狗の一人であるスブタイやチンギスの四男・トルイの長男であるモンケ、そしてオゴデイの長男であるグユクらを副司令として出征した。 『元朝秘史』によれば、各王家の長子クラスの皇子たち、また領民を持っていない皇子たち、さらに

万(戸)の、千(戸)の、百(戸)の、十(戸)のノヤンたち、多くの人は誰であっても
己が子の兄たる者(長子)を出征させよ。王女たち、(その)婿どのたちは同じようにして
己が子の兄たる者(長子)を出征させよ。

とあって、帝国全土の王侯、部衆の長子たち、すなわち次世代のモンゴル帝国の中核を担う嗣子たちが出征するという甚だ大規模なものだった。バトゥは遠征軍に参軍する皇子たちを統括し、グユクはそのもとで皇帝オゴデイの本営軍(qol)から選抜された部隊を統括するよう勅命によって定められていたことが続けて述べられており、加えて『集史』によれば、チンギス・ハンの功臣筆頭のボオルチュの世嗣ボロルタイがこのバトゥの本営・中軍(qol)の宿将としてこれを率いていた。

この遠征では前述のとおり各王家の当主クラスの皇子たちが出征したが、すなわちジョチ家からは総司令バトゥを筆頭に、その異母兄オルダと異母弟ベルケ、シバン、タングト。チャガタイ家からはチャガタイの長子モエトゥゲンの次男ブリ、その叔父にあたるチャガタイの六男バイダル。オゴデイ家からは長子グユク、その末弟カダアン・オグル。トゥルイ家からは長子モンケと七男ボチェク。そしてチンギス・ハンとその次席皇后クラン・フジンとの子であるコルゲンらである。この時バトゥが率いた兵力は、4個千戸隊(約1万人)だったと推定される。遠征軍の征服目標はジョチ家の所領西方の諸族、アス、ブルガル、キプチャクの諸勢力、ルースィ、ポーランド・ハンガリー方面であり、ケラルと称される恐らくさらに西方のドイツ、フランス方面までも含まれていたと思われる。

[編集] ブルガール、キプチャク方面の征服

遠征軍はこの年の夏中を移動で過ごし、秋までに当時のジョチ家のオルドがあったイリ方面にまで到着した。1236年から1237年までの冬季に、遠征軍はまずアス人とブルガル人の征服に取掛かった。宿将スブテイはブルガル地方に入るとブルガル市を攻撃。その首長バヤン、ジクらが一度遠征軍のモンゴル王侯らに帰順を表明したきたが、まもなく離反しスブタイがこれらの服属工作を任され、これを達成した。 1237年の春、遠征軍はキプチャク草原全体に囲い込み作戦を実施し、左翼をモンケに任せた。モンケの左翼軍はカスピ海沿岸を進軍し、キプチャクの有力首長バチュマンアスの首長カチャル・オグラと交戦、捕殺した。遠征軍はこれによりカスピ海沿岸地域で夏営した。この時期にカスピ海沿岸からカフカス北方までの地域にいたブルタス族、チェルケス族、サクスィーン人(アストラハン周辺)などが帰順・征服された。

[編集] ルースィ諸国の征服

1237年秋、ルースィ方面に侵攻。12月下旬にはリャザンコロムナが劫略された。1238年に入り2月にはウラディーミル公国を攻略し3月にはウラディーミル大公ユーリー2世と交戦しこれを捕縛した後処刑した。ルースィ北部諸国の多くが征服される一方でノヴゴロド公国アレクサンドル・ネフスキーやガリーチ公ダニイルらの帰順を受けている。この征服戦でまだ小村であったモスクワも攻略されたと見られている。その後遠征軍は南に進路を転じてコゼリスクを陥落させ、カフカス北部方面へ一時撤退、諸軍を休養させた。この年の4月から翌1239年にかけてはカフカス北部の諸族の征服を行った。このころ総司令官バトゥはグユク、ブリらと論功行賞などで激しく対立。その報告を受けたオゴデイの帰還命令によってグユクとモンケは1239年の秋には遠征軍を離れてモンゴル本土へ出発した。

1240年初春にはルースィ南部に侵攻し、キエフを包囲して同地を攻略・破壊した。当時キエフは大公位を巡ってルースィ諸国全体が争奪を激しくしており、モンゴル軍の侵攻に対処できなかった。 またモンゴル側ではコルゲンがコロムナの包囲戦で戦死している。

[編集] ハンガリー、ポーランド、中欧の征服

1240年春、バトゥはカルパチア山脈の手前で遠征軍を5つに分け、ポーランド方面とワラキア方面、カルパチア正面からトランシルヴァニア経由でハンガリー王国へ侵攻した。

まず西方では右翼のオルダの支軍がポーランド王国ピャスト朝)に侵攻し、3月にはクラクフを占領。続いてバイダル率いる前衛軍が1241年4月にはワールシュタットの戦いでポーランド軍を破ってポーランド王ヘンリク2世を処刑した。シレジアモラヴィア地方もペタなる人物の侵攻を受けたようだが、これはバイダルのことと考えられている。カダアン、ブリ率いる軍はカルパティア山間に居住していたサーサーン人(恐らくザクセン人)を破り、ボチェクの軍は山脈のワラキア人と思われる集団を撃破している。

一方同年3月にはバトゥの本隊はトランシルバニアからハンガリーに侵入し、ベーラ4世に降伏勧告を行った。やがてモラヴィアからバイダル、カダアンおよびスブタイが合流し、ペシュト市を陥落させている。ティサ川流域のモヒー平原でハンガリーベーラ4世と対峙、宿将スブタイおよびシバンの前衛部隊が夜半にベーラ4世の幕営を急襲して破り、ベーラ4世はオーストリア経由でアドリア海へ敗走した。こうしてモンゴル軍はハンガリー全土を支配・破壊するに至った。まさにバトゥの行くところ、敵無しの状況だったのである。

続く1241年はカダアンらによるトランシルバニア全域の征服や、クマン人マジャール人などのハンガリー王国の残存勢力の掃討などが行われた。夏から秋にかけてはバトゥの本隊はドナウ川河畔に幕営したのち、冬には凍結したドナウ川を渡ってエステルゴム市を包囲攻撃した。

[編集] オゴデイの訃報とハンガリー以西からの撤退

しかし1241年12月21日にオゴデイが死去すると、ほどなくバトゥの本陣にもその訃報が届いた。1242年3月にバトゥはオゴデイの死去にともなう遠征軍全軍の帰還命令を受けると、直ちにエステルゴムを陥落させ、カダアンにベーラ4世の追撃を命じた。モンゴル軍の一部はウィーン近郊のノイシュタットまで迫ったようだが、この地域の征服は諦めドナウ流域を経由してキプチャク草原へ撤退したようである。こうしてバトゥ指揮下のモンゴル帝国西方遠征軍は、ハンガリー支配を放棄して帰国することを余儀なくされた。しかし、バトゥの支配したカルパチア山脈以東のルースィ諸国を中核とする東欧の領土は、その後のジョチ・ウルスの基盤となったのである。

[編集] トゥルイ家との協同とチャガタイ・オゴデイ家との対立

オゴデイ死後、バトゥとルースィ遠征中に険悪な仲となったグユクが第3代ハーンになろうとすると、これに強行に反対してモンケを擁立しようとした。グユクの生母・ドレゲネはグユクの推戴を狙いモンゴル帝国全土の王族たちに、オゴデイ没後の摂政として自らの主導でクリルタイの開催を執拗に説いて回った。バトゥはオゴデイが後継者と指名していたのはシレムンであったことを主張し、帝国西方の重鎮として不参加を表明してこのドレゲネの動きを牽制した。このため帝国は5年近く大ハーン位が空位のままという状態に陥った。

1246年ついにソルコクタニ・ベキをはじめとするトルイ家の皇子たちや東方のオッチギンらがドレゲネのクリルタイ開催の要請を承諾して参加を表明したため、バトゥも急ぎクリルタイへの参加を表明した。しかしオゴデイ、チャガタイ、トルイ家の王族たちの殆どが参加し帝国各地の諸侯や帰順王侯が参加するココ・ノウルで開催されたクリルタイに間に合わず、ジョチ家は既にモンゴル本土に来着していたオルダやシバン、ベルケ、トカ・テムルら兄弟たちの参加のみで当主バトゥの不在のまま、グユクが第3代大ハーンに推戴された。

このため、バトゥはクリルタイの決定に不満を抱き大ハーンに即位した後も、グユクから再三にわたり臣従の誓約に赴くようのモンゴル本土への召還命令を受けていたが、病気療養を理由に拒み続けた。一時、グユクの宿敵として危険視され窮地に追い込まれたが、ソルコクタイ・ベキらがモンゴル中央の動静を逐一彼に伝えてグユクとの対処を進言していた。

1248年、以前から患っていたリューマチの療養のためエミル近辺のオゴデイの放牧地へ行幸すると称し、グユク自ら遠征軍を率いて討伐しにやって来たが、同年4月にグユクがビシュバリクで急死したため、モンゴル帝国は最有力王族とモンゴル皇帝との内戦という最悪の事態を回避することが出来た。これには、グユクが父同様に過度の酒色がたたったためとも言われているが、一説にはバトゥによる暗殺説も有力視されている。

[編集] モンケの推戴および晩年

グユク死後はモンケを新たなハーンとして推挙し、モンケを強行的に即位させた。このとき、バトゥが次代のハーンになることを望む声もあったが、バトゥはあくまで帝国の影の実力者に徹して、遂にハーンになることは無かった。その後はジョチ・ウルスの領土の統治に尽力し、ボルガ河下流域のサライを首都として定めた。さらに兄弟を白帳汗・青帳汗に任じて帝国東部・北部の統治を任せた。1256年、48歳で死去。

バトゥが死去する前年の1256年は、春にモンケが第2回のクリルタイを開催していたため、嫡子のサルタクはこのクリルタイに派遣されていた。訃報はただちにモンケの宮廷に伝えられ、モンケはサルタクをバトゥの後継者に任命した。しかしながらサルタクはジョチ・ウルスヘ帰還中に病没し、さらにモンケがその後継者に追認した末弟ウラクチもその半年後に夭折したため、最終的にはバトゥの次弟であるベルケが継いだ。

[編集] 評価

バトゥは智勇兼備の名将で、軍事においては天才的な才能を持ち、彼の行くところ、敵は無かった。モンゴル帝国が短期間でヨーロッパにまで勢力を拡大できたのは、バトゥの功績によるところが大きい。さらに、為政者としても優れた人物で、人民に対しては寛大で宗教に対しても融和的な政策を採用して国家の安定を図り、モンゴル人からは「サイン・ハン Ṣāyn khān/ 」(偉大なる賢君)とまで称された。モンゴル人以外の史家からも、バトゥは軍人としても為政者としても高く評価されている。

しかし、プラノ・カルピニは、「偉大なる君主であるが、都市を容赦なく破壊する暴君でもある」と評している。また、ヨーロッパ遠征中にオゴディ家のグユクやチャガタイ家の諸子らと犬猿の仲になったことが、後のモンゴル帝国分裂の一因を成してしまったのである。

先代:
ジョチ
ジョチ・ウルス
1225年 - 1256年
次代:
サルタク
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