オハイオ州立大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オハイオ州立大学(ーしゅうりつだいがく、Ohio State University)は、オハイオ州コロンバスのダウンタウンの北約4kmに位置する州立総合大学。学生数は学部生・大学院生合わせて50,000人を超え、全米最大の規模を誇る。U.S.News&World Report誌の大学ランキングでは、同校は全米の大学で第57位、州立大学の中では第20位にランクされている。
目次 |
[編集] 沿革
1870年に「オハイオ農工大学」として創立され、1878年に現在の「オハイオ州立大学」に改称、総合大学となった。
[編集] 学問分野
全米有数の規模を誇る総合大学であるオハイオ州立大学は専攻の幅が広く、あらゆる学問分野において教授陣が充実している。特に評価が高い分野としては、オハイオ農工大学からの伝統である農学や、大学独自の空港を持つ航空学が挙げられる。また、経営学の分野にも秀で、特にロジスティクス研究においては全米でも屈指の高い評価を得ており、ロジスティクス業界に多数の人材を輩出している。消費者行動研究で著名なマーケティング・エキスパート、ロジャー・ブラックウェル博士も同校教授として教鞭をとっていた。
[編集] スポーツ
オハイオ州立大学のスポーツチームは"Buckeyes"(バックアイズ)と呼ばれている。Buckeyeとは「トチノキ」の意味で、オハイオ州を別名"Buckeye State"と呼ぶことからこの名がついている。
同校はカレッジフットボールの名門として知られ、これまで7度のハイズマン賞(最優秀選手賞)受賞、7度の全米優勝に輝いている。NFLにも多数の出身者を輩出している。1950-60年代は「伝説のコーチ」と称されるウッディ・ヘイズ監督に率いられ、同校の黄金時代であった。1968年にはローズボウルでO・J・シンプソンを擁する南カリフォルニア大学トロージャンズに勝ち、全米優勝の栄冠を手にした。最近の優勝は2002年で、2003年正月にアリゾナ州テンピ(フェニックス郊外)で開かれたフィエスタボウルで2度の延長の末マイアミ大学ハリケーンズを31-24で破って連勝を34で止め、32年ぶりの優勝を果たした。この試合はSports Illustrated誌、ESPN The Magazine誌、The Sporting News誌など主要スポーツ誌の多くで「カレッジフットボール史上最高の名勝負」と言われている。
同校が所属するビッグ・テン・カンファレンスはフットボール最激戦区のひとつである。特にミシガン大学ウルヴァリンズとのライバル関係は熾烈を極めている。同カンファレンスには、その他にも名将ジョー・パターノ監督率いるペンシルバニア州立大学ニタニー・ライオンズや、ランに定評のあるウィスコンシン大学バッジャーズなど実力校が揃う。
同校フットボールチームのホームスタジアムは、オハイオ・スタジアムである。上空から見ると馬蹄形をしていることから、Horseshoeとも呼ばれる。同スタジアムはキャンパス内に所在する。収容人数は100,000人を超えるが、ホームの試合は毎試合売り切れで、特に対ミシガン大学戦のチケット入手は極めて困難である。
同校のフットボールチーム応援歌は"Across The Field"という。試合で勝利すると、"Carmen Ohio"と呼ばれる同校の美しい校歌が流れ、選手・監督・観客全員で斉唱する。また、"OH"という呼びかけに対して"IO"と答えるのが、同校およびコロンバスでの伝統的なあいさつになっている。
[編集] 日本とのかかわり
大学の国際化の一環として、オハイオ州立大学は米国外の有力大学と提携し、選抜された優秀な学生を相互に留学生として派遣・受け入れを行っている。日本の大学では、慶應義塾大学・筑波大学・神戸大学・静岡県立大学・国際基督教大学(ICU)の5校が同校と提携している。また、郊外のメアリスビル市に本田技研工業を抱えるためコロンバス都市圏には日本人の人口が比較的多く、同校にも多数の日本人学生が在学する。