首里
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首里(しゅり)は沖縄県那覇市の一地域。那覇市の北東部を占める。
かつては首里市(市制施行前は首里区)として存在していた。さらに以前は琉球王国の王都として栄えた。
目次 |
[編集] 歴史
- 三山時代頃 現在の首里城付近の高台に城が築かれる。
- (当初の城域は、現・首里城内の「京の内」と呼ばれる範囲だったとされる。)
- 1406年 南山の佐敷按司尚巴志が中山王武寧を攻撃して察度王朝を滅亡させ、中山国の首都を浦添から首里に遷都するとともに、首里城を王城とする。
- 1429年 中山王尚巴志が南山王他魯毎を滅ぼして三山を統一し首里は琉球王国の首都となる。
- 尚巴志王代 首里城を拡充整備した。
- (拡充後の城域は、現在の城の内郭部分に相当)
- 尚金福王代 当時離れていた那覇と首里をむすぶ長虹堤を建設。
- 尚真王代 首里城を拡張整備し、ほぼ現在の大きさとする。国内の諸按司を首里に集居せしめる。
- 以降、琉球処分まで、高級官吏の住む街「首里親国」(シュイウェーグニ)として栄える。
- 1879年 廃藩置県により沖縄県が設置され、県庁が那覇に置かれる。これ以降、行政の中心は首里から那覇に移った。
- 1880年 現在の首里高校の前身となる首里中学校(後の沖縄県立第一中学校)が開校。
- 1896年4月1日 郡区制が施行され、首里区となる。
- 20世紀初頭 西原間切の一部が首里区に編入される。(下記参照)
- 1921年5月20日 首里区に市制が施行され、首里市となる。
- 1945年 4月から6月にかけての沖縄戦で国宝の首里城が破壊される。
- 1950年 首里城跡に琉球大学が開学。
- 1954年9月1日 首里市が小禄村とともに那覇市と合併する。
- 1957年 沖縄キリスト教短期大学が開学。
- 1958年 守礼門が復元される。以来首里城正殿が復元するまで沖縄のシンボルとなる。
- 1974年 旧首里市時代は市営バスだった「首里バス」が那覇交通(現・那覇バス)に吸収合併。
- 1979年 首里城跡にあった琉球大学が西原町千原に移転。
- 1986年 首里城跡の近くに沖縄県立芸術大学開学。
- 1987年10月 沖縄自動車道が那覇インターまで開通。那覇市内~名護の所要時間は従来の半分以下の1時間余りに。
- 1989年 沖縄キリスト教短期大学が西原町へ移転。
- 1992年11月 首里城正殿が復元される。守礼門に替わって沖縄のシンボルとなる。
- 2000年12月 首里城とその周辺一帯が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として世界遺産に登録される。
- 2003年8月10日 沖縄都市モノレールが開業。
[編集] 地理
首里の地勢と地域について。 隆起石灰岩を基礎とする高台。最高地点は弁ヶ嶽。あちこちに名水があり、泡盛の産地としても名高い。
[編集] 地勢
首里という地域自体が海抜100メートル程度の高台の上に位置する。
- 高地:虎頭山、ハンタン山(~上の毛、現首里城域)、弁ヶ岳(那覇市最高点)、御殿山
- 河川:真嘉比川(→安里川)、安里川、安謝川
[編集] 地域を構成する町
- 那覇市首里真和志町(まわしちょう) ← 真和志(マーシ)村 (真和志之平等)
- 同 首里池端町 (いけはたちょう) ← 町端(マチバタ)村 (真和志之平等)
- 同 首里山川町 (やまがわちょう) ← 山川(ヤマガー)村 (真和志之平等)
- 同 首里金城町 (きんじょうちょう) ← 金城(カナグシク)村 (真和志之平等)
- 同 首里寒川町 (さむかわちょう) ← 寒水川(スンガー)村 (真和志之平等)
- 同 首里桃原町 (とうばるちょう) ← 桃原(トーバル)村 (南風之平等)
- 同 首里大中町 (おおなかちょう) ← 大中(ウフチュン)村 (南風之平等)
- 同 首里当蔵町 (とうのくらちょう) ← 当之蔵(トーヌクラ)村 (南風之平等)
- 同 首里鳥堀町 (とりほりちょう) ← 鳥小堀(トゥンジュムイ)村(南風之平等)*1
- 同 首里赤田町 (あかたちょう) ← 赤田(アカタ)村 (南風之平等)*1
- 同 首里崎山町 (さきやまちょう) ← 崎山(サチヤマ)村 (南風之平等)*1
- 同 首里赤平町 (あかひらちょう) ← 赤平(アカフィラ)村 (西之平等)
- 同 首里儀保町 (ぎぼちょう) ← 儀保(ジーブ)村 (西之平等)
- 同 首里汀良町 (てらちょう) ← 汀志良次(ティシラジ)村 (西之平等)
- 同 首里久場川町(くばがわちょう) ← 久場川(クバガー)村 (西之平等)
- 同 首里平良町 (たいらちょう) ← (西原間切平良村)*2
- 同 首里大名町 (おおなちょう) ← (西原間切大名村)*2
- 同 首里末吉町 (すえよしちょう) ← (西原間切末吉村)*2
- 同 首里石嶺町 (いしみねちょう) ← (西原間切石嶺村)*2
*1 これら地域は特に「三箇」(さんか)と呼ばれ、首里の中でも気性や言葉遣いの勇ましさで知られる。
*2 これら地域は明治の末頃、首里区へと編入された。
[編集] 隣接する自治体(首里市当時)
[編集] 行政
[編集] 歴代首里区長
- 齊藤 用之助
- 朝武士 干城
- 知花 朝章
[編集] 歴代首里市長
- 高嶺 朝教
- 仲吉 朝助
- 久高 友輔
- 太田 朝敷
- 高安 玉兎
- 伊豆見 元永
- 仲吉 良光
[編集] 教育
以下に挙げる学校が首里にある。
- 小学校:6校
- 中学校:3校
- 高等学校:2校
- 大学:1校
また、予備校・学習塾の数も多く、非常に教育熱心な地域であると言える。
[編集] 産業
首里で最も面積の広い石嶺地区では、近年まで住宅地の中に点々と畑がみられ、近郊農業が行われていたが、 次第に宅地化の波に呑まれ最近では見かけなくなってきた。
現在の首里は那覇市中心部のベッドタウンであるため、住宅街が主であり、特筆すべき産業はないが、 首里城をはじめとする歴史的遺産が多く、沖縄県の観光産業に大きく貢献している(下記参照)。 このような背景から、紅型や首里花織といった伝統工芸が見受けられる。
また、「三箇」(上記参照)は王国時代より戦前まで泡盛の一大生産地であった。戦後、酒造業は県内各地に分散したが 現在でも数軒の酒造所がある。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 沖縄自動車道
- 沖縄県道29号那覇北中城線(主要地方道)
- 沖縄県道28号線
- 沖縄県道49号線
- 沖縄県道50号線
- 沖縄県道82号那覇糸満線(主要地方道)
- 沖縄県道153号線
- 沖縄県道155号線
- 沖縄県道236号玉城那覇自転車道線(沖縄のみち自転車道・予定)
- 沖縄県道241号宜野湾南風原線
[編集] 路線バス
- 1番・首里牧志線(那覇バス市内線)
- 8番・首里城下町線(沖縄バス)
- 9番・小禄石嶺線(那覇バス市内線)
- 11番・安岡宇栄原線(那覇バス市内線)
- 15番・寒川線(那覇バス市内線)
- 17番・石嶺(開南)線(那覇バス市内線)
- 25番・普天間空港線(那覇バス)
- 33番・糸満西原(儀保経由)線(那覇バス)
- 46番・糸満西原(鳥堀経由)線(那覇バス)
- 91番・城間(新川経由)線(東陽バス)
- 97番・琉大(首里)線(那覇バス)
- 191番・城間(一日橋経由)線(東陽バス)
- 那覇インターで高速道路に入る路線
- 111番・高速バス(琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス・東陽バス4社共同運行)
- 113番・具志川空港線(琉球バス交通)
- 123番・石川空港線(琉球バス交通)
- 180番・屋慶名(首里駅・国場経由)線(沖縄バス)
[編集] かつての交通機関
[編集] 名所旧跡や祭など
首里城近辺は名所旧跡が特に多い。
名所・旧跡
- 琉球王国のグスク及び関連遺産群
- 龍潭(世持橋・龍淵橋)
- 円鑑池-弁財天堂-天女橋
- 円覚寺跡(総門・放生橋)
- 金城町石畳道
- 金城町の大アカギ
- 御茶屋御殿石獅子
- 金城大樋川
- 宝口樋川
祭り
- 首里文化祭
- 首里城祭
[編集] 首里出身の有名人
(編集中)
[編集] 関連項目
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