洪吉童
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
洪吉童(ホン・ギルトン)は朝鮮時代の小説『洪吉童傳』の主人公。 同書はハングルで書かれた現存する最古(1607年ごろ)の小説。作者は学者で文人許筠(竹かんむりに均、きょいん、ホ・ギュン)。日本で言う桃太郎のように韓国、北朝鮮の人で知らない人はいないというほど一般的なヒーロー。 韓国では銀行などで書類の記入例に(日本なら『山田太郎』のように)よく使われる名前でもある。
目次 |
[編集] 物語
李氏朝鮮の時代、圧政に庶民は苦しめられていた。両班(貴族)の子でありながら庶子であるために虐げられてきた洪吉童は家を出、道術を使う不思議な老人に弟子入りする。学問、道術、兵法を学んだ洪吉童は、風を起こし雲を呼び、神出鬼没の遁甲術を身に着ける。その力で金剛山の山賊を従えて活貧党を結成し、権力に戦いを挑む。不正をはたらき庶民を苦しめる貴族や役人を懲らしめ、奪った金品を貧しい人々に分け与える義賊となる。国王は洪吉童の力を認め、兵曹判書(国防大臣)に任命しようとするが、洪吉童はその要請を断って、部下とともに新天地を求めて海を渡る。珒島国にたどり着き、やがて身分差別のない理想郷を作り上げた。
日本で言えば石川五右衛門や鼠小僧次郎吉といった義賊、あるいは海を渡ってジンギスカンになった源義経か、水戸黄門のような庶民の味方。李氏朝鮮時代の身分制と貧富の格差を風刺しているといわれる。映画や子供向けのアニメなどにたびたび採りあげられている。
[編集] 実在の洪吉童
ソウル延世大学の薛(ソル)教授によると『朝鮮王朝実録』の燕山君六年(1500年)に洪吉童という匪賊が義禁府に逮捕されたと記されている。
ただし、名前が同じというだけで、これが物語としての洪吉童その人という証拠はない。義賊という点で言えば黄海道で反乱を起こした白丁出身の盗賊林巨正の方がスケールは大きくモデルにふさわしい(1559年林巨正の乱)。同じく義賊で民衆のヒーローとして張吉山がいる。洪吉童、林巨正、張吉山の3人はともに実在の義賊とされ、繰り返しドラマなどに採り上げられる民衆のヒーローだが歴史的な検証はこれからである。むしろそのイメージは重複し、すりかえられ膨らんでいく傾向にある。
たとえば、洪吉童が逮捕されたのが本当ならこのあと処刑されたか、何らかの刑罰をうけたはずだが、最近では洪吉童が生き延びて物語と同じく海を越え、日本までやってきたという説まである。国民的ヒーローだけに興味は尽きないが史実の検証と文学的ロマンは別問題である。
[編集] 背景
1446年世宗が、訓民正音を公布した。のちのハングルである。このときまで朝鮮人は固有の文字を持たず漢字を利用していた。それが知識階級と一般庶民を隔てていた。訓民正音の序には世宗がそのことを憂えている表現がある。それから150年あまり後、詩歌や儒学の書籍はすでにハングルによって著されていたが、庶民が親しむ小説はまだなかった。許筠が庶民のヒーロー『洪吉童』を著したのは一般大衆に訓民正音(ハングル)が十分浸透したことを窺わせる。
実在の洪吉童が活躍した時代の燕山君は朝鮮史上最悪の暴君といわれるが、許筠の仕えた朝鮮王光海君もまた暴君として知られ、時代背景に共通点がある。作者がみずから感じた社会の矛盾や政治への不信を小説に仮託して表現したと考えることが出来る。
また物語としては水滸伝の影響が見られる。許筠は中国(明)に駐在したこともある政府の高官だから15世紀に成立した水滸伝を知っていたのは間違いない。不遇の主人公が盗賊の首領に迎えられ、正義のために権力と戦うというプロットはほぼ同じである。
[編集] 洪吉童を扱ったフィクション
義賊であった点から考えると当然大人なのだが、キャラクターイメージは日本の桃太郎と同じく少年で表されることが多い。
- 「ホンギルトン」(映画1967年韓国) 韓国初の長編アニメーション。
- 「快傑・洪吉童」(映画1986年北朝鮮) 北朝鮮初の本格アクション時代劇。悪役は全て日本の忍者の扮装をして日本語を話している。テコンドーを用いた派手なワイヤーアクションが見物。
- 「帰ってきた英雄洪吉童」(TVアニメ1995年韓国) 作画は日本のプロダクションが担当している。
- 「新暗行御史」(漫画2001年-連載中 日本)原作・作画ともに韓国の漫画家が携わり日本で連載するという異色作。