カッセル
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紋章 | 地図 |
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基本情報 | |
連邦州: | ヘッセン州 |
行政管区: | カッセル行政管区 |
郡: | 郡独立市 |
面積: | 106.79 km² |
人口: | 194.427人 (2006年1月現在) |
外国人: | 12.2 % (2006年1月現在) |
人口密度: | ~ 1,812 人/km² |
失業率: | 15.9 % (2006年9月現在) |
標高(海抜): | 132.9 m(フルダ渓谷北部) 166 m(市内) 615 m(グラス丘陵) |
郵便番号: | 34001–34134 (旧: 3500) |
市外局番: | 0561 |
ナンバープレート: | KS |
自治体コード: | 06 6 11 000 |
街区数: | 23 地区 |
市庁舎の住所: | Obere Königsstraße 8 34117 Kassel |
公式ウェブサイト: | www.stadt-kassel.de |
E-Mail: | info@stadt-kassel.de |
行政 | |
上級市長: | ベルトラム・ヒルゲン (Bertram Hilgen) (SPD) |
多数派政党: | SPD |
ヘッセン州における位置 | |
カッセル(Kassel)はドイツの都市、ヘッセン州に位置する。交通の要衝にあり、ヘッセン=カッセル方伯が拠点とし、選帝侯宮廷都市として栄えた。人口は約20万(2003年末)。グリム童話集やドイツ語辞典で知られる言語学者、グリム兄弟が長くこの地にとどまったことでも知られる。
目次 |
[編集] 地勢
フルダ川沿いに位置する工業都市。近隣の都市としては、約40キロ北東にゲッティンゲンが位置している。
[編集] 歴史
選帝侯とフランスとの婚姻関係により、カッセルにはフランス文化が流入した。旧市内および離宮の建築はフランス・ロココ文化のドイツ圏への流入のよい例である。1720年、ヘッセン=カッセル伯子のフリードリヒはスウェーデン王に迎えられてフレドリク1世として即位し、ヘッセン王朝(1720年 - 1751年)を創始した(1代限り)。1730年にカッセル伯を継承し、51年まで同君連合となった。
[編集] 文化
[編集] ロココ文化
[編集] 近代
[編集] 現代
1955年以来、現代美術ドキュメンタリー展「ドクメンタ」の開催地として、世界的な現代美術の情報発信地となっている。
当初はナチス・ドイツ時代に「退廃芸術」とされた芸術家の名誉回復と、戦犯国家呼ばわりされるドイツ自体の名誉回復をも図って開催され、2回目以降は世界(西側諸国)から集めた現代美術の先端を、あるテーマを設けて紹介するというグループ展となった。特に、隣接する東ドイツに対して西側芸術をアピールする役割を果たした上、世界最大の美術展「ヴェネツィア・ビエンナーレ」が「美術界のオリンピック」として国同士のメダル争いの場と化し美術の動向を考える場として有効に機能しなくなったため、ドクメンタの重要性が非常にアップした。
しかし冷戦後、対東側の美術戦略拠点の役割を終え、現代美術自体が欧米だけでなく旧東側やアジア・アフリカなど多様な国から発信されるようになり、それらを一堂に集めて方向付けることは困難になり意義が薄らいできたといわれた。形骸化が指摘される「ドクメンタ」であるが、2002年は初めてアフリカ出身者を総合プロデューサーに指名し、他都市での巡回展との共催・インターネットの公式サイトでの会期前後を通じたフォローアップなど、新しい試みがなされた。次の2007年の「ドクメンタ」に期待したい。