ヘッセン州
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- ヘッセン州
- Land Hessen
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州旗 州の紋章 -
州都 ヴィースバーデン 面積 21,114.88 km² (第7位) 人口
- 総計
- 人口密度(2005/12/31)
6,092,354 人 (第5位)
288.5 人/km²ISO 3166-2 DE-HE 公式サイト ヘッセン州政府 政 治 州首相 ローラント・コッホ (CDU) 与党 CDU 前回選挙 2003年2月2日 次回選挙 2008年 連邦参議院(上院)
での投票権数5 地 方 市町村数
* 独立市426
5備考欄
ヘッセン州 (Land Hessen) は、ドイツに16ある連邦州のひとつ。州都は、州南西部に位置するヴィースバーデン。経済の中心都市は州南部に位置するフランクフルトである。グリム兄弟の生地ハーナウを起点として北へ、グリム童話ゆかりの地を結ぶドイツ・メルヘン街道や、木組み建築の町、アルスフェルトなどの観光地がある。
目次 |
[編集] 地理
ヘッセン州はドイツ中央西部に位置し、北はニーダーザクセン州、北西はノルトライン=ヴェストファーレン州、南西はラインラント=プファルツ州、南はバーデン=ヴュルテンベルク州、南東はバイエルン州、東はテューリンゲン州と隣接している。
ライン川が南西のラインラント=プファルツ州との境界をなし、州南部をライン川の支流のマイン川が横断する。この2つの川の流域に挟まれた地域は、南のバーデン=ヴュルテンベルク州へと続く緩やかなオーデンヴァルト山地を除き、平野となっており、ここに州の人口が集中している。この地域の主な都市は、フランクフルト・アム・マイン(フランクフルト)、オッフェンバッハ・アム・マイン(オッフェンバッハ)、ヴィースバーデン、ダルムシュタットなどがある。
州北部・中部は、ゆるやかな山地と丘陵が広がり、フルダ川などの河川の流れに沿って狭い盆地が点在する。州北部のカッセル、フルダ、州中部のギーセンといった都市は、このような盆地に形成されている。
[編集] 歴史
今日ヘッセン州となっている地域の大部分は、中世はじめ、フランク王国・東フランク王国の下で、フランケン大公の統治する領域の一部であった。その後、神聖ローマ帝国の時代の1222年にテューリンゲン方伯領の一部となった。1247年にテューリンゲン方伯ハインリヒ・ラスペ (Heinrich Raspe) が嗣子なく死去すると、後継をめぐり甥と姪の間で戦争となるが、1264年、方伯領西部のヘッセン地方を分離し、姪の子がヘッセン方伯に、甥がテューリンゲン方伯を継ぐことで決着した。
ヘッセン方伯は、1277年にカッセルに居を定め、1292年には帝国諸侯の地位を獲得する。その後、徐々に南方へ領土を拡張し、15世紀にダルムシュタットなどの都市を領土に加える。最盛期は、フィリップ寛大伯(在位: 1509年-1567年)の時代であった。彼は、ドイツの宗教改革において、プロテスタントを支持し、女婿のザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒと共にシュマルカルデン同盟の指導者となり、皇帝カール5世と戦った(シュマルカルデン戦争)。フィリップの死後、領土は遺言に従い4人の息子に分割相続され、ヘッセン=カッセル、ヘッセン=マールブルク、ヘッセン=ラインフェルス、ヘッセン=ダルムシュタットの4つに分かれた。ラインフェルスは1583年に断絶しカッセルに併合され、マールブルクは1604年に断絶し、この領土をめぐりカッセルとダルムシュタットの間で論争と武力衝突がおき、1627年に分割によって一応の解決を見た。しかし、三十年戦争の終盤において再びこの領土をめぐり、皇帝側についたダルムシュタットと、スウェーデンおよびフランス側についたカッセルとの間で戦争となった。このヘッセン戦争(1645年-1648年)で、兵士のみならず一般市民にも多くの犠牲者を出し、人口が激減した。
ヘッセン=カッセル方伯は、1720年にスウェーデン・ヘッセン朝を輩出し、1775年にアメリカ独立戦争が起きると、イギリスとの間で傭兵提供契約を締結し、ヘッセン兵1万7000が戦場へ送られイギリス陸軍の主力となった。1803年にヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世は選帝侯の地位を獲得し、以後「ヘッセン選帝侯」(クールヘッセン、Kurhessen)を称するが、1806年に帝国が解散したため、1度もその権限を行使することはなかった。1807年にナポレオンによって、ヴェストファーレン王国に統合され、いったんは消滅したが、ナポレオンの没落により再興され、「ヘッセン選帝侯国」という時代錯誤な国名でドイツ連邦に加盟した。一方、ヘッセン=ダルムシュタットは、ナポレオンの支持を得て大公国に昇格し、ライン同盟に加盟、ナポレオン没落後はマインツ、ヴォルムスを獲得してドイツ連邦に加盟した。1866年の普墺戦争では、両者ともオーストリア側についたが敗れ、ヘッセン選帝侯国はフランクフルト自由都市、ナッサウ公領と共に、プロイセン王国に併合され、ヘッセン=ナッサウ州となった。これに対し、ヘッセン=ダルムシュタットは領土の一部をプロイセンに割譲することで存続を許され、その後、1870年に北ドイツ連邦に加盟(マイン川以北のみ)、1871年にドイツ帝国を構成する邦の1つとなった(ヘッセン=ダルムシュタット大公)。
第一次世界大戦の終わり近くの1918年に革命がおき、ヘッセン=ダルムシュタットは共和政へ移行したが、ライン川以西の領土は1930年までフランス軍の占領下に置かれた。第二次世界大戦後、再びライン川以西はフランス占領地域となった。ヘッセンの残りは、アメリカの占領地域となり、1945年9月に、ヘッセン=ナッサウ州とヘッセン=ダルムシュタットを併せて"大ヘッセン"を創設、1946年12月4日にヘッセン州に改称した。ライン川以西は、1946年8月30日にラインラント=プファルツ州の一部となった。
[編集] 州の政治
[編集] 州議会
州議会 (Landtag) の定数は110で、2003年2月2日に行われた前回選挙での政党別議席配分は以下の通りである。
- ドイツキリスト教民主同盟 (CDU) 56
- ドイツ社会民主党 (SPD) 33
- 緑の党 (B90/G) 12
- 自由民主党 (FDP) 9
[編集] 歴代州首相
- 1945年: ルートヴィヒ・ベルクシュトレッサー (Ludwig Bergsträsser)
- 1945年-1946年: カール・ガイラー (Karl Geiler)
- 1946年-1950年: クリスティアン・シュトック (Christian Stock) SPD
- 1950年-1969年: ゲオルク=アウグスト・ツィン (Georg-August Zinn) SPD
- 1969年-1976年: アルベルト・オスヴァルト (Albert Osswald) SPD
- 1976年-1987年: ホルガー・ベルナー (Holger Börner) SPD
- 1987年-1991年: ヴァルター・ヴァルマン (Walter Wallmann) CDU
- 1991年-1999年: ハンス・アイヒェル (Hans Eichel) SPD
- 1999年- : ローラント・コッホ (Roland Koch) CDU
[編集] 地方行政
ヘッセンの州政府は、1981年以来、州内を3つの行政管区 (Regierungsbezirke) に分けて、その地域にある地方自治体の活動を監督する。行政管区は自治体ではなく、議会をもたない行政官庁である。
- ダルムシュタット行政管区(南部): 管轄は、右下の地図の1-10,DA,F,OF,WI
- ギーセン行政管区(中部): 11-15
- カッセル行政管区(北部): 16-21,KS
州の下級行政単位は、21の郡 (Landkreis) と、郡には属さない5つの独立市 (kreisfreie Stadt) から成る。郡にはその下級行政単位として、177の市 (stadt) と、244の町村(ゲマインデ、Gemeinde)が属する。市も含めた広義の「ゲマインデ」(基礎自治体)の総数は、426である。
[編集] 郡
- ベルクシュトラーセ郡 (Kreis Bergstraße)
- ダルムシュタット=ディーブルク郡 (Landkreis Darmstadt-Dieburg)
- グロス=ゲラウ郡 (Kreis Groß-Gerau)
- ホッホタウヌス郡 (Hochtaunuskreis)
- マイン=キンツィヒ郡 (Main-Kinzig-Kreis)
- マイン=タウヌス郡 (Main-Taunus-Kreis)
- オーデンヴァルト郡 (Odenwaldkreis)
- オッフェンバッハ郡 (Kreis Offenbach)
- ラインガウ=タウヌス郡 (Rheingau-Taunus-Kreis)
- ヴェッテラウ郡 (Wetteraukreis)
- ギーセン郡 (Landkreis Gießen)
- ラーン=ディル郡 (Lahn-Dill-Kreis)
- リンブルク=ヴァイルブルク郡 (Landkreis Limburg-Weilburg)
- マールブルク=ビーデンコップフ郡 (Landkreis Marburg-Biedenkopf)
- フォーゲルスベルク郡 (Vogelsbergkreis)
- フルダ郡 (Landkreis Fulda)
- ヘルスフェルト=ローテンブルク郡 (Landkreis Hersfeld-Rotenburg)
- カッセル郡 (Landkreis Kassel)
- シュヴァルム=エーダー郡 (Schwalm-Eder-Kreis)
- ヴェラ=マイスナー郡 (Werra-Meißner-Kreis)
- ヴァルデック=フランケンベルク郡 (Landkreis Waldeck-Frankenberg)
[編集] 独立市
都市名の前のアルファベットは右の区分地図の記号。
- DA: ダルムシュタット (Darmstadt)
- F: フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)
- KS: カッセル (Kassel)
- OF: オッフェンバッハ・アム・マイン (Offenbach am Main)
- WI: ヴィースバーデン (Wiesbaden)
[編集] 飛び地
南のバーデン=ビュルテンベルクの州域に、ヘッペンハイムの街区、オーベル=ラウデンバッハがある。
[編集] シンボル
州の紋章に描かれているのは、立ち上がる獅子である。獅子は、青い背景に、白と赤のストライプ(横縞)で描かれる。この獅子は、今日のヘッセン州の地域を1247年まで領有していたテューリンゲン方伯の紋章に由来する。州旗は、紋章の獅子と同じく赤と白のストライプで、縦横比は3対5。このデザインは、元々は1820年以降ヘッセン大公国の時代に使用されていた旗のひとつで、1949年11月22日に州旗として正式採用された。州政府庁舎などで掲揚される政府旗には、中央に紋章が入る。
[編集] その他
[編集] 州名の綴り
ヘッセンは、一般に、ドイツ語では Hessen 、英語では Hesse と綴る。しかし、ヘッセン州に住む人々はドイツ語で Hesse と綴り、英語で Hessian と綴る。 英語で書かれた文章であっても、ドイツ語の綴りのまま Hessen と書かれることもある。さらに非常に稀ではあるが Hessia と綴られることもある。
[編集] 関連項目
- ドイツの連邦州
- ザクセン | ザクセン=アンハルト | ザールラント | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン | テューリンゲン | ニーダーザクセン | ノルトライン=ヴェストファーレン | バイエルン | バーデン=ヴュルテンベルク | ハンブルク | ブランデンブルク | ブレーメン | ヘッセン | ベルリン | メクレンブルク=フォアポンメルン | ラインラント=プファルツ