カディマ党
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カディマ(ヘブライ語:קדימה, 英語:Kadima)はイスラエルの前首相アリエル・シャロンによって2005年11月21日に創設された「中道主義」を掲げるシオニスト政党。日本語ではカディマとも呼称される。シャロンが脳卒中により意識不明となった後はエフード・オルメルトが党首を務めている。党名はヘブライ語で前進を意味する。
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[編集] 政策
カディマの政策はシャロン首相による対パレスチナ政策を受け継いでいる。ガザ地区からは植民者、軍部隊を完全撤退させ、その代わりにヨルダン川西岸の大規模入植地アリエルやマアレ・アドゥミームを維持することを目的としている。オルメルト首相(党首)は現在西岸で建設が進んでいる防護フェンス(「分離壁」) 内部の大規模入植地を併合、それ以外の小規模入植地を撤退させ、分離壁を国境とすることを主張している。また、治安上の観点からヨルダン渓谷とその周辺の入植地保持の必要性も訴えている。 2006年9月4日、オルメルト首相は、国会の外交防衛委員会で、ヨルダン川西岸からの追加撤退を凍結する考えを表明。政権公約は事実上破られたことになり、レバノン侵攻で傷ついた政権への威信にさらに追い打ちをかけることとなった。
[編集] 2006年の総選挙
2006年3月28日に行われたイスラエル議会(クネセト)総選挙では、事前の予想通り他党を抑えて第一党となるものの、最終的には29議席の獲得にとどまる。この数字は1999年の労働党に次ぐ、戦後ワースト2という結果である。 イスラエルがかかわったすべての戦争に従事し、抜群の指導力と政局を読みきる洞察力を兼ね備えたシャロンと異なり、オルメルトの軍歴と指導力に国民が不安感を抱いたものと思われる。
同年5月4日、オルメルトを新首相とする連立政権が発足した。労働党、年金者党、シャスなどが参加している。
[編集] 近況
イスラエル国会は2006年10月30日、オルメルト首相が率いるカディマと労働党の中道左派連合政権に極右政党「我が家イスラエル」が参加した新内閣を賛成多数で承認した。中道政党カディマ(29議席)を中心とする政権は「我が家」(11議席)の参加で5党連立となり、国会定数120のうち78議席を確保した。「我が家」リーバーマン党首は、イランの脅威への対応を担当する新設閣僚を兼任する。
2007年1月16日イスラエル検察当局は警察当局に対し、大手銀行の民営化に絡む不正疑惑で当時財務相だったオルメルト首相に対する捜査に着手するよう指示した。オルメルト政権はカツァブ大統領のレイプ疑惑のほか、最近では国税当局の収賄疑惑が発覚するなどスキャンダルが相次いでおり、昨夏のレバノン戦争での不手際も重なって同首相の支持率は急落している。
オルメルト首相は財務相を務めていた05年、国内2位の「レウミ銀行」民営化の際の政府保有株の売却を巡り、知人2人に入札の便宜を図るなどした疑いが持たれている。最終的には米国の企業グループが落札した。 オルメルト首相は一貫して不正行為を否定している。
[編集] 参加者
カディマにはイスラエルの二大政党であるリクードおよび労働党双方から多くの議員が参加している。下にあげた肩書きは総選挙前のものである。
リクードより参加
- アリエル・シャロン 首相
- エフード・オルメルト 首相代行 産業貿易労働大臣
- シャウル・モファズ 国防大臣
- ティピィ・リブニ 外務大臣 司法大臣
- ツァヒー・ハネグビ リクード党首代行
- ギデオン・エズラ 国内治安大臣
- アブラハム・ヘルシェンソン 観光大臣
- メイール・シトリト 運輸大臣
- オムリ・シャロン アリエル・シャロンの息子
労働党より参加
- シモン・ペレス 元首相
- ハイム・ラモン 前大臣
- デリヤ・イティズク 前大臣
[編集] 関連項目
- イスラエルの政治
- イスラエルの政党
[編集] 外部リンク
- www.kadimasharon.co.il カディマ公式ページ(ヘブライ語)
- www.knesset.gov.il クネセト公式ページ