イスラエル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- イスラエル国
- دولة اسرائيل(アラビア語)
מדינת ישראל(ヘブライ語) -
(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : ハ・ティクヴァ(希望)
-
公用語 ヘブライ語、アラビア語 首都 エルサレム 1 最大の都市 エルサレム 大統領 モシェ・カツァブ 首相 エフード・オルメルト 面積
- 総計
- 水面積率世界第149位
20,770km²
2.1%人口
- 総計(2006年)
- 人口密度世界第99位
7,026,000人
388人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
5,459億新シェケル (₪)GDP(MER)
- 合計(2005年)世界第39位
1,229億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第50位
1,206億ドル
19,700ドル独立
- 宣言イギリスより
1948年5月15日通貨 新シェケル (₪)(ILS) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ccTLD IL 国際電話番号 972 - 註1: 国連では認められておらず、テルアビブを首都とみなしている
イスラエルは正式名称イスラエル国(メディナット・イスラエル)で中東・西アジアの国。現代イスラエル国はヨーロッパにおけるシオニズム運動の結果、主としてユダヤ人によって、紀元前のイスラエル王国に因んだ「シオンの地」(パレスチナ)に建設された国家(以下イスラエルと記述)。 首都は西エルサレム(1950年にイスラエルが東西を総称して宣言したものの、国連では認められなかった。各国の公館はテルアビブに集中する)。北はレバノン、東はシリアやヨルダン、南はエジプト、西は地中海に接する。またパレスチナ自治区とは交錯している。
「イスラエル」の語源は、旧約聖書創世記32章24節~28節で、神と格闘したヤコブ (イスラエル)が神に与えられた名前に由来する(神と争った、神との契約をした共同体、神の王子、あるいは神は争われる、などの見解がある)。
目次 |
歴史
古代
- 紀元前11世紀頃 - パレスチナの地に古代イスラエル王国が誕生
- 紀元前922年 - 内乱のため南北に分裂
- 紀元前721年 - 北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされる
- 紀元前612年 - 南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされる
- 紀元前538年 - ペルシア王国が新バビロニアを滅ぼし、バビロニアの虜囚イスラエル人は解放される
- 紀元前334年~紀元前332年 - マケドニア王国のアレクサンドロス3世による東方征服でパレスチナの地が征服される。その後マケドニアは分裂しプトレマイオス朝、そしてセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入る。
- 紀元前143年 - セレウコス朝の影響を脱しユダヤ人がパレスチナの地の支配を確立する。(マカバイ戦争) その後ローマ帝国の属州となる。
- 66年 - ローマ帝国の属州であったユダヤの地でユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発、独立を目指すが、70年にローマ帝国により鎮圧され、民族の多くは各地に分散する
- 132年 - ユダヤ人バル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時イスラエルは政権を奪還したが、135年再びローマ帝国に鎮圧される。その後さらに多くの住民が各地に離散し、現代イスラエル国が誕生するまで長い離散生活が始る。(ディアスポラ)
- 313年 - 東ローマ帝国の支配下に入る (詳細は古代イスラエルを参照)
中世
- 614年 - ペルシアの侵攻
- 636年 - イスラム帝国軍、エルサレムを占領
- 639年 - シリア地方のヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗し、イスラエル地方がイスラム帝国軍に占領される
- 1099年~ 十字軍がイスラエル地方を支配
- 11世紀 - ガザのユダヤ人社会が繁栄
- 1291年~ マムルーク朝がイスラエル地方を支配
- 1591年~ オスマン帝国がイスラエル地方を支配
(詳細はイスラエルの歴史を参照)
近代から現代
- 1798年-1878年 - セルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者ラビ・イェフダー・アルカライが聖地での贖罪を前提とした帰還を唱える。
- 1856年 - 医者であり作家でもあるルートヴィヒ・フォン・フランクルが聖地巡礼。エルサレム・ユダヤ人学校(Lämel Schule)を設立。
- 1881年 - 古代ヘブライ語を復活させたエリエゼル・ベン・イェフダーがイスラエルの地に帰還、ヘブライ語の復興・普及運動を開始。この頃、パレスチナに47万人のアラブ人がいた。
- 1882年 - 第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオン(エルサレム)への帰還の意) - 東ヨーロッパからの大規模な帰還
- 1897年 - 第1回シオニスト会議:後にイスラエル国歌となるハティクヴァがシオニズム讃歌となる。
- 1901年 - 第5回シオニスト会議:シオニズムとは国家か、文化か、宗教復興か、何を優先するか鋭い対立の後、ヘブライ大学の創設を可決。
- 1902年 - ヘブライ語を話す家庭はわずかに10人。
- 1904年 - 第二次アリヤー:ベン・イェフダーへの賛同者が増え、ヘブライ語で授業を行う学校が増えていく。
- 1909年 - ルーマニアからの移民がテル・アビーブ建設
- 1917年
- 1920年2月8日 - 英国首相ウィンストン・チャーチル、"Illustrated Sunday Herald"紙でユダヤ人国家支持を表明。
- 1923年 - イギリス、ゴラン高原をフランス委任統治領(シリアの一部)として割譲
- 1925年
- ユダヤ・アラブ・ワーキンググループ「平和の契約 brīth šālôm」設立(ゲルショム・ショーレム、ユダ・マグネス、フーゴ・ベルクマン、エルンスト・ジーモン、ダヴィド・ベングリオンら参与)
- 4月1日 - ヘブライ大学開校式
- 1929年
- 1931年 - 第17回シオニスト会議:ダヴィド・ベングリオン、二つ以上の民族が、どちらが支配権を得るのでもない二民族共存国家構想を支持。
- 1937年
- 英国政府、ユダヤ人地区とアラブ人地区の分割を提案するが、アラブ側は拒否。
- ユダヤ教宗教哲学者マルティン・ブーバーが「アラブ・ユダヤ和解協力連盟」設立。(のちに「イフード」が分立)
- 1946年
- パレスチナにはパレスチナ人が130万人、ユダヤ人が70万人居住。
- ユダヤ人物理学者アルベルト・アインシュタイン、国連によるパレスチナの統治を提唱。
- 「アラブ・ユダヤ民族国家」建国を提唱していたパレスチナ人のシオニズム支持団体「新しいパレスチナ」代表、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニーが暗殺される。
この団体はイフードに共鳴し、「ユダヤ人とアラブ人が、ともに植民地主義と闘う」ことを表明していた。
- 1946年7月7日 - エルサレムで、キング・デイヴィド・ホテル爆破事件(ユダヤ勢力による英国へのテロ)
- 1948年
- 2月23日 - エルサレムで、アラブ人テロリストの爆弾テロにより、55名のユダヤ人が殺害される。
- 3月4日 - アタロトで、アラブ人が16人のユダヤ人を待ち伏せ攻撃し、虐殺
- 4月8日 - デイル・ヤシーン事件:シオニスト武装集団によりアラブ人の村民250人以上が虐殺される。
- 4月13日 - シェイフヤラ・ハダサー医療従事者虐殺事件(en):アラブ人テロリストによる護送車襲撃事件。エルサレム郊外にあるユダヤ系のハダサー病院へ向かう医師・看護婦・ ヘブライ大学教授・職員70人以上が殺害される。
- 5月12日 - クファール・エツィオンで、アラブ側により100人のユダヤ人が殺害される。
- 5月14日 - イスラエル国として独立宣言。ベングリオンが初代首相となる。
- 第一次中東戦争。国連決議より広範囲の土地をイスラエルが占領。
- 9月 - ユダヤ人過激派により国連調停官ベルナドッテ伯暗殺。
- 1949年5月11日 - 国際連合に加盟。
- 1956年 - 第二次中東戦争。エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻。米・ソの仲介により三国は撤退。
- 1967年 - 第三次中東戦争(六日間戦争)。エジプトのナセル大統領による紅海のティラン海峡封鎖が引き金となり、イスラエルが「先制攻撃」を実施。エジプトからシナイ半島とガザ地区を、同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンから東エルサレムとヨルダン川西岸全域を奪取。六日間でイスラエルの圧倒的勝利に終わる。
- 1972年 - ミュンヘンオリンピック事件。旧西ドイツでミュンヘンオリンピック開催中に、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手村を襲撃、選手・コーチを人質に収監パレスチナ人の開放を要求。最終的に選手・コーチ11人が死亡した。報復としてイスラエルはパレスチナゲリラの基地を空爆、さらに黒い九月メンバーの暗殺作戦(神の怒り作戦)を実行したと言われている。
- 1973年 - 第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)。エジプトのサダト大統領がシナイ半島奪還を目的としてユダヤ教の祝日「大贖罪の日(ヨム・キプール)」にイスラエル軍に攻撃を開始。イスラエル軍の不敗神話が崩壊する。その後アリエル・シャロン将軍(前首相)が復帰、スエズ渡河作戦を実行。形勢は逆転し、17日で停戦に至る。
- 1976年 - エンテベ人質救出作戦(オペレーション・ヨナタン)。一部のパレスチナ過激派がエールフランス機をハイジャック、ユダヤ人またはイスラエル人以外を解放し、ウガンダのエンテベ空港に着陸。同国のアミン大統領の庇護のもと膠着状態が続くが、イスラエルのラビン首相は特殊部隊を派遣し、人質奪回とハイジャッカーの全員射殺に成功。その際にイスラエルの実行部隊で唯一戦死したヨナタン・ネタニヤフ中佐の名前をとり、「オペレーション・ヨナタン」と名づけられている。なお、ヨナタンはベンヤミン(ビビ)・ネタニヤフ元首相の実兄であり、同氏の対パレスチナ強硬姿勢の原点になったといわれている。
- 1977年 - サダト大統領のエルサレム訪問。これまで仇敵であったエジプトのサダト大統領がエルサレム訪問を宣言し、クネセット(イスラエル国会議事堂)で演説を行う。二年後の平和条約締結の第一歩となる。
- 1979年 - イスラエル・エジプト平和条約締結。イスラエルが占領していたシナイ半島の返還に合意し、米国のカーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デーヴィッドにてエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が調印。イスラエルにとって初のアラブの隣国との平和条約となる。
- 1981年 - イラク原子炉爆撃事件。かねてからフランスからの技術協力を得て原爆の開発をすすめていたイラクのフセイン大統領(当時)の野望を阻止するため、イスラエル空軍はバグダッド郊外のオシラクで建設中だった原子炉を爆撃。
- 1982年 - レバノン侵攻(ガリラヤ平和作戦)。レバノン南部からのパレスチナ人によるイスラエル北部へのテロ攻撃を鎮圧し、レバノン国内の少数派キリスト教徒保護と親イスラエル政権の樹立、平和条約締結を目指すという目的で、レバノン侵攻を開始。アリエル・シャロン国防相に率いられたイスラエル軍は首都 ベイルートに入城。PLOのアラファト議長の追放に成功する。しかし、イスラエルの同盟軍であるマロン派キリスト教徒が、シリアによるリーダーのバシル・ジュマイル大統領暗殺に憤激し、パレスチナ人難民の居住区であったサブラ・シャティーラ・キャンプに侵入し、虐殺事件を引き起こす。アリエル・シャロン国防相は「虐殺を傍観した不作為の罪」を問われ、国防相を辞任。また、「キリスト教徒による親イスラエル政権の樹立、平和条約の締結」もならず、イスラエルにとっては後味の悪い結果に終わる。
- 1991年-湾岸戦争が発生し、テル・アヴィヴを標的としたイラクによるスカッドミサイルの攻撃を受ける。
- 1992年-米国の主導により、マドリッド会議開催。PLOとの顔合わせの機会となる。
- 1993年-オスロ協定成立。PLOによるヨルダン川西岸及びガザ地区の自治が始まる。
- 1995年-ユダヤ人過激派によりイツハク・ラビン首相が射殺される。
- 2006年-イスラム武装組織ヒズボラ鎮圧を目的にレバノンに再侵攻。
- (詳細はイスラエルの歴史を参照)
パレスチナ問題
国連によるパレスチナ分割決議
第一次世界大戦でユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と対決し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」はイギリスの委任統治領となった。
現在のパレスチナの地へのユダヤ人帰還運動は長い歴史を持っており、ユダヤ人と共に平和な世俗国家を築こうとするアラブ人も多かった。ユダヤ人はヘブライ語を口語として復活させ、 アラブ人とともに衝突がありながらも、安定した社会を築き上げていた。
しかし、1947年の段階で、ユダヤ人入植者の増大とそれに反発するアラブ民族主義者によるユダヤ人移住・建国反対の運動の結果として、ヨルダンのフセイン国王らの推進していたイフード運動(民族性・宗教性を表に出さない、平和統合国家案)は非現実的な様相を呈し、イギリスは遂に 国際連合にこの問題の仲介を委ねた。
ここで注意しなければならないのが、アラブ人過激派やその指導者の(あるいは双方の)過剰反応、アラブ民族主義・汎アラブ主義との衝突、列強の政策とのリンキング(→啓典の民、イェフーディーなど参照)、という側面である。
イスラエルはこの国連決議181 (通称パレスチナ分割決議、1947年11月29日採択)に基づき、1948年5月14日に独立宣言し誕生した「ユダヤ人」主導国家である。この決議は人口の三分の一に満たないユダヤ人に、国土の三分の二以上を与える内容であった。さらにその領域は第一次中東戦争の結果、国連決議よりも大幅に広いものとなっている。
土地の所有権
![]() |
パレスチナ問題 |
アラビア語:قضية فلسطينية |
ヘブライ語:פלשתינאי הסכסוך הישראלי |
戦争 |
---|
中東戦争 |
第一次 第二次 第三次 第四次 |
「国家」 |
イスラエル パレスチナ自治区 |
国際連合 アメリカ |
地域・都市 |
パレスチナ エルサレム テルアビブ |
宗教 |
イスラム教 サマリア人 キリスト教 ユダヤ教 |
主義 |
シオニズム イスラム原理主義 |
文書 |
バルフォア宣言 フサイン=マクマホン協定 |
サイクス・ピコ協定 パレスチナ分割決議 |
団体 |
ハマス リクード |
人物 |
パレスチナ人の一覧 イスラエル人の一覧 |
ナセル ラビン ヤセル・アラファト |
ユダヤ人国家を建国したものの「そこはシオニストの宣伝していたような無人の土地ではなかった」、という主張をする者もいる。アラブ人(パレスチナ人と同一とみなされることが多い)が住み、アラブ・イスラムを主体とした国家を作ろうとする者もいた、とする者もいる。そもそも、パレスチナ人やアラブ人というのは宗教上の区別に過ぎず、土着のユダヤ人とは人種的に同一といわれている。しかし、ユダヤ人とは事実上ユダヤ教徒を指すために事態がややこしくなった。
ただ、これらの点について「ユダヤ人とアラブ人は長期間に渡り血で血を洗う抗争を繰り広げてきた、従って譲歩はありえない」と言うような現在罷り通っている見解は、宗教や歴史・政治に無関心な者による大きな誤りの一つである。歴史的に見ても、イスラエルの地に住まうイスラム教徒・キリスト教徒とユダヤ人は共栄・共存を願ってきた。一言で単純に語ることができないほど長く複雑なバックボーンを持つことは明白である。
イスラエル独立宣言の当日から「アラブの土地」を奪うものとして、アラブ人を主体とする周辺国家が宣戦布告し、パレスチナのユダヤ人居住地域に攻め込むなどして「土地の領有を巡る」第一次中東戦争が勃発した(この時点では、国連の分割決議による「イスラエル領」の決議はあったものの、その全域を実効支配していたわけではなかった)。
人口の一割を失う激戦でイスラエルは戦争に勝利し、分割決議より多くの領土を獲得した。アラブ諸国は「国連分割案を上回る地域にまで侵攻し停戦後も占領し続けた」と主張した。イスラエル側は第一次中東戦争を独立戦争と呼び、戦争の目的を「アラブ人の過激派の攻撃を防ぎ、ユダヤ人と多民族が安心して暮らせる、ユダヤ人主導の国家を樹立すること」としていたとされる。
イスラエルは、一部のアラブ系住民に土地に残るよう勧めたとされ、これが現在の100万人以上のアラブ系イスラエル国民の祖先となっている。しかし、ダビッド・ベングリオンをはじめイスラエル首脳陣側に、アラブ人人口が少なくなったほうがユダヤ国家の建国に有利という考えがあったことは確かである。
戦闘やテロ・煽動の結果、1948年 の時点でパレスチナの地に住んでいたアラブ人が大量に周辺地域に移住し、「難民」と化した(パレスチナ難民)とされる。「パレスチナ「難民」」の多くは避難先のアラブ社会には吸収されず、アラブ過激派の煽動や活動(「抵抗運動」)などの結果、アラブ過激派(抵抗組織)の意図した反イスラエルの象徴とする作戦に包含されていたと考える場合もある。
また逆にイスラム世界に住んでいた多くのユダヤ系住民(セファルディム、ミズラヒム)が土地を追われて難民化し、イスラエルに逃げ込んだ。この時イスラエルは世界各地のディアスポラ住民を極力救おうとした(→イスラエルの作戦一覧)と主張する。それによるとアラブ人とユダヤ教徒の「住民交換」が起きたとする見方をとる。
停戦後、パレスチナには民族主義的ゲリラ(「抵抗組織」)が活動し、パレスチナ「解放」や「難民」の「帰還権」を訴えた。戦後50年以上経過しながら各地のアラブ社会に吸収されないパレスチナ難民は、初期の難民の人数60万から80万人に比べ現在の総数に膨れ上がっている。そのためパレスチナへの帰還はイスラエル政府からは非現実的と考えられている。
第三次中東戦争以降
エジプトによるチラン海峡封鎖宣言に端を発する第三次中東戦争によって、ヨルダン・エジプトによって占領されていたヨルダン川西岸地区・ガザ地区と、シリアの砲台があったゴラン高原はイスラエルの管理下に入り、ユダヤ教の宗教者はそれまで立ち入ることのできなかったエルサレム旧市街と嘆きの壁・ヘブロン市、ゴラン高原などに押しかけ、アラブ人居住区にあったシナゴーグも再建した。イスラエルのサマリア人はナブルスでの過ぎ越しの祭りを執り行うことができるようになった。スコープス山にあったヘブライ大学の建物も使えるようになった。
イスラエルの主張では国連決議181を拒否した時点でパレスチナ全土にユダヤ人国家による施政権が認められており、また占領は平和条約締結まで戦勝国に認められている合法的行為であるとしている。前者の立場に立つ場合、占領には当たらない([http: //krichely.mideastreality.com/J/Essays/westbank_gaza.html])。
イスラエル政府により電気・水道・経済などが向上し、急患はイスラエルで高度な治療を受けられるようになった。テロに関与せず安全と判断されたパレスチナ人(主として、若者ではない人々)はイスラエルで働くことができるようになった。ただし、占領統治行為に伴う、イスラエル治安維持部隊による発砲で犠牲になったパレスチナ人も少なくない。
しかし一部のパレスチナ住民は産業が形成されず、慢性的失業・貧困状態が続いており、また統治者のイスラエルに対する反発が大きいため、これもテロリズム(「抵抗運動」)の温床/要因の一つになっているといわれる。 パレスチナ問題とは、イスラエルの西岸・ガザなどにおける地位、あるいはイスラエルに敵対する一部アラブ諸国が、その手段としてパレスチナ人を利用している代理戦争だともいわれる。
パレスチナ問題には、書き切れない程の長く複雑な歴史・過程がある。アラブ諸国から見れば、2000年前に住んでいたという理由で勝手に押しかけてきたという主張がなされることもある。一方、ユダヤ人側からはこのような主張は共存への道をも否定しようとするものであるとの主張がなされる。
米国の政権は、政治的立場の維持に対し国内ユダヤ人の貢献が大きいため、イスラエル寄りの政策を続けている。たとえば、国際連合安全保障理事会でイスラエルを非難し、あるいは何らかの制約を求める提案が出されると、非常に高い確率で米国が拒否権を発動する。米国の拒否権により、イスラエルは国連などの国際的非難から守られていると言える。他方では、中東各国政府がパレスチナにおける紛争などを利用し、若者を初めとした様々な「不満・怒り」を一点に振り向け、過激派の矛先が自分達に向かわないようにしてきたためでもある。すなわち、イスラエル批判のストーリーを政治的問題への駆け引き、経済的問題への不満をかわすのに使われたと言える。中東の若者には貧富の格差による「不公平感」があるといわれる。また、経済は好調であっても、人口急増によって雇用が十分でない、などの問題があるとも言われる。
今日に至るまで、パレスチナ問題は解決の目処が立っていない。
ヨルダン川西岸地区・ガザ地区は、現在もイスラエルの占領下にある。なお、2005年にはガザ地区からイスラエル人および治安部隊は撤退したが、イスラエル占領軍はガザに対して攻撃を続けており、ガザ住民に対する攻撃は終わっていない。
パレスチナには1993年以降自治政府が設置され、自治領域は壁の建設によって徐々に縮小されている。将来の国家像については、未だイスラエルとの連合国家案、連邦案などもある。
- (詳細はパレスチナ問題を参照)
民族と忠誠(仮題)
イスラエル国籍を持つ者でも、アラブ人など非ユダヤ人は「二級市民」として扱われているという批判もある。2007年1月14日、アラブ系から初めて閣僚が入閣したが、与党の極右政党「我が家イスラエル」が猛反発した。同党のタートマン議員は「イスラエルのユダヤの国としての特性を損なう」と批判し、人種差別発言として問題となった。
同年1月10日、イスラエルは自国民が「国家への忠誠不履行を構成する行為」を行った場合、市民権を剥奪する内容の法案が可決された。「反テロ」を目的としており、細則は未だ決定していないが、少なくとも敵国への訪問やその市民権取得を行った場合、法に該当する行為になるという。
地理
![]()
テル・アビブのパレード
![]()
ナズラート・イッリート(ナザレ) Courthouse
![]()
エルサレム南部のラケルの墓
|
南北に長く狭い国土
国境及び休戦ライン内にあるイスラエルの地域は、パレスチナ人自治機関の管理地域を含め、27,800km²である。国土は小さく細長い。南北には470kmあるが、東西は一番離れた所でも135kmである。国は北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南西にエジプトと接する。西側は地中海である。ヨルダンとの国境付近に、世界的にも高濃度の塩湖である死海がある。
地理上の特徴
山脈や高原、肥沃な畑や砂漠、と景色は分刻みで変わる。国の広さは、西の地中海から東の死海まで車ならば90分ほどでドライブできる。ジュディアの丘陵にあるエルサレムから海岸沿いのテルアビブまでは1時間もかからないし、北のメトゥーラから最南端の町エイラットへは約9時間である。標高835mにあるエルサレムから海抜下398mの死海まで、走行時間は1時間とかからない。
地形
イスラエルは地理学的には4つの地帯に分けられる。その3つは同じように北から南に長く伸びる地帯で、残る1つは国の南半分にあたる広大な乾燥した地帯である。
都市、山名、水名など
- ハ=ツァフォン地域 hatzTzafon (北部地域:いわゆるガリラヤ地方、イズレエルの谷など)
- メトゥラ Metullah
- キリヤット・シュモナ Qiriyat Shemona
- フラ湖、フラ峡谷、(メロムの水) Hulah Valley
- スーシータ(ヒッポス) Hippos, Susita'(ガリラヤ湖の東)
- エン・ゲブ En Gev(ガリラヤ湖の東)
- メィロン (イスラエル) Meron :シモン・バル=ヨハイ、ヒレル、シャンマイらの墓
- メィロン山 Har Meron
- ツファット(サフェド):ユダヤ教の聖地の一つ。
- クファル・ナフム(カペルナウム、カペナウム) Capernaum
- ナハリヤ
- クファル・カナ
- ツィッポリ(セフォリス)
- ベィト・シェアリーム Beyth Shə‘arim :2世紀以降はユダ・ハ=ナシの住むサンヘドリンの町、3世紀以降はイスラエルの地とディアスポラからの帰還者のユダヤ人の共同のカタコンブとなる
- ナツェレット(ナザレ)
- ウーシャ Usha :2世紀後半以降のサンヘドリンのあった町
- ティベリア:ユダヤ教の聖地の一つ。
- アフラ(オフェル)
- ベト・シェアン(スキトポリス)
- メギドー(ハルマゲドン)
- ウーシャ
- ベート・シェアリーム
- ヘイファ地域(ハイファ地域)
- ハ=メルカズ地域 hamMerkaz (中部地域)
- テルアビブ地域
- ハ=ダロム地域 hadDarom (南部地域)
- ヨルダン川西岸地区(ユダヤ・サマリア地区)(パレスチナ自治政府が統治)
- ゴラン高原(旧クネィティラ県;イスラエルの法律が適用)
- カツェリン
- ミグダル・シャムス
- マスアデ
- 詳細はイスラエルの地理 Geography of Israel も参照
政治
詳細はイスラエルの政治を参照。
イスラエルは議会制民主主義を採用している。行政府(政府)は、立法府(クネセト)の信任をうけ、司法府(裁判所)は法により完全なる独立を保証されている。
立法
イスラエルの国会は一院制、議員総数120名でクネセトと称される。その名称と議員数は紀元前5世紀にエズラとネヘミヤによってエルサレムに招集されたユダヤの代表機関、クネセット・ハグドラ(大議会)に由来する。比例代表制。
行政
国の最高行政機関である政府は、国家の安全保障を含む内外の諸問題を担当し、クネセトに対して責任を有し、その信任を受けねばならない。政府の政策決定権には極めて幅がある。法により他の機関に委任されていない問題について、行動をとる権利を認められている。
- 官公庁
- 内閣
- 外務省
- 国防省
- 大蔵省
- 産業貿易省
- 法務省
- 教育省
- 国内治安省
- 通信省
- 内務省
- 運輸省
- 農林水産省
- 科学・文化・スポーツ省
- 国家基盤省
- 観光省
- 建設・住宅省
- 環境省
- 労働・社会省
- 宗教省(間も無く廃止の予定)
- エルサレム問題担当省
- 保健省
司法
司法の独立は法により完全に保証されている。最高裁判事3名、弁護士協会メンバー、政官界者(閣僚、国会議員など)で構成される指名委員会があり、判事はこの委員会の推薦により大統領が任命する。 判事の任期は無期(70歳定年)。
また、国家安全に対するスパイ行為を除き、死刑を廃止している。しかし、パレスチナ人に対する、超法規的な暗殺は日常的に行われている。テロリストと言えども、法によって死刑にされることはないが、裁判に掛けることなく殺しているのが実態である。予防拘禁など、治安立法も数多く制定されている。
大統領
大統領の仕事は儀式的性格が強いが、法によって規定されている。新国会の開会式の開会宣言、外国大使の信任状受理、クネセットの採択ないしは批准した法、条約の署名、当該機関の推薦するイスラエルの大使、裁判官、イスラエル銀行総裁の任命、法務大臣の勧告にもとづく受刑者の特赦、減刑が、仕事に含まれている。さまざまな公式任務のほか、市民の諸願の聴取といったインフォーマルな仕事もある。大統領としての威信をコミュニティ組織に及ぼし、社会合体の生活の質をたかめるキャンペーンに力をかす。
政党
詳細はイスラエルの政党を参照。
イスラエルの政府は伝統的に複数の政党による連立政権により運営されてきた。これは絶対多数の形成が生じにくい選挙制度に由来する。次の二党が連立政府の中心となってきた。
2006年3月28日に行われた総選挙では中道政党カディマが29議席と第1党に躍り出た。カディマは労働党などと連立政権を組んだ。
軍事
1948年建国と共に創設されたイスラエル国防軍(IDF)は、国の防衛の任にあたる。建国以来の度重なる周辺アラブ諸国との豊富な実戦経験により、世界でもアメリカ軍と共に最も練度の高い軍であるとされる。文字通りの国民皆兵国家であり、高校卒業後に男子は3年、女子も1年10ヶ月の兵役に服さねばならない。拒否した場合は3年の禁錮刑を受けることになるが、女子のみ条件は少し厳しいものの良心的兵役拒否が可能である。少数派のドルーズ教徒とベドウィンは兵役に服すが、超正統派ユダヤ教徒、アラブ系イスラエル人(ユダヤ教徒でないもの)は兵役が免除されている。現在の任務にはパレスチナ自治機関と協調しつつヨルダン川西岸及びガザの治安を保持すること、国内及び国境周辺で生じるテロ対策も担っている。
イスラエルは国土が縦深性に欠ける為、戦時には敵の領土内で戦闘することを戦略計画としている。兵器の多くは、建国初期は西側諸国からの供給や中古兵器の再利用に頼っていたが、その後主力戦車メルカバや戦闘機クフィルなど特別のニーズに応じた兵器を国内で開発・生産しており、輸出入も積極的に行われている。海外との軍事技術交流(下記の科学研究参照)も多い。なお同国の国産兵器は、人的資源の重要性から防御力・生存性に重点を置いた物が多い。
核兵器保有の有無について
核拡散防止条約(NPT)に加入していないイスラエルは核保有に関して肯定も否定もしていない。周辺国を牽制するための曖昧政策とも称されている。しかし、核技術者モルデハイ・ヴァヌヌの内部告発などの状況証拠から、国際社会においては核保有はほぼ確実視されており、アメリカも核保有を事実上認めている。アメリカがイスラエルの核開発を裏面で支援してきたという意見も(核弾頭自体を供与したと云う説も)存在する。イスラエルと、それ以外の諸国の核開発に対するアメリカ合衆国の姿勢の相違はダブルスタンダードであるとしてしばしば批判を受ける。
2006年12月5日、アメリカ元老院軍事委員会公聴会で、次期国防長官に決定したロバート・ゲーツが「(イランが核兵器開発を進めるのは)核保有国に囲まれているからだ。東にパキスタン、北にロシア、西にイスラエル、ペルシャ湾には我々(米国)がいる」と発言。米国側が初めてイスラエルの核保有を公言したことになるため注目された。イスラエルはペレス特別副首相が「イスラエルは核保有をこれまで確認したことはない」と従来の見解を繰り返した(イスラエル:秘密の核保有を米ゲーツ氏が“公表” 騒動に)。しかし、12月11日、ドイツの衛星放送テレビ局「SAT1」のインタビューで、オルメルト首相は「イスラエルは、他国を脅かしたりしない。しかし、イランはイスラエルを地図上から消滅させると公言している。そのイランが核兵器を保有しようとしていて、フランス、アメリカ、ロシア、イスラエルと同じレベルで話し合えるはずがない」と、核保有を認めたと取れる発言を行った(イスラエル首相、核兵器保有示唆で波紋広がる)。オルメルトは、翌日のドイツのメルケル首相との合同記者会見で核保有を否定したが、イランが非難声明を出すなど、波紋が広がっている。
2007年1月2日、リーバーマン戦略問題担当相は、新たに国連事務総長となった潘基文に、イランの国連除名を要求する手紙を送った。また、イギリスのタブロイド紙「サンデータイムズ」1月7日号によると、イスラエル軍筋の話として、イラン中部ナタンツのウラン濃縮施設を戦術核兵器で攻撃する計画を作成したと報じた。
経済
イスラエルはわずか人口650万人余りの小さな国ではあるが、農業、灌漑、そして様々なハイテク及び電子ベンチャー産業において長年にわたり世界各国で最先端をいき、過去20年間ではヨーロッパ諸国及びアメリカとの自由貿易地域協定により商品及びサービスの輸出を拡大し(2000年には年間450億ドルの輸出)、更に1990年代の加速度的な経済成長をもたらした国際的な企業活動への参加を促進した。そして、2000年にはGDP成長率6.4%という驚くべき成長率をとげたイスラエル経済活動の急成長が記録された。しかし、治安状況の悪化により、経済活動はほぼ全分野において著しい低迷が続いている。事実、過去50年で初めて、2001年にはGDPが減少。 また、イスラエルは中東のシリコンバレーともよばれ、インテルやマイクロソフトなどの世界的に有名な企業の研究所が軒を連ねる。ちなみに国際連合の中では先進国に分類される。
イスラエルの鉱業を支えているのは、カリ塩とリン鉱石である。2003年時点で、それぞれ世界シェア5位(193万トン)、同9位(102万トン)である。金属鉱物は採掘されていない。有機鉱物では亜炭、原油、天然ガスとも産出するものの、国内消費量の1%未満に留まる。
科学研究
イスラエルは専門資格をもった人材資源が豊富であり、自国がもつ科学的資源や専門知識を駆使して、国際協力において重要な役割を果たしてきた。イスラエルはいくつかの分野に限定して専門化し、国際的な努力を注ぎ、国の存亡に欠かす事ができない高度な民生技術・軍事技術成果を得ようと奮闘している。科学技術研究にたずさわるイスラエル人の比率、および研究開発に注がれる資金の額は、国内総生産(GDP)との比率でみると世界有数の高率である。
また労働力数との比率でみると、自然科学、工学、農業、医学分野における論文執筆者の数は世界一である。医学とその周辺分野、ならびに生物工学の分野では、極めて進んだ研究開発基盤を持ち、広範囲な研究に取り組んでいる。研究は、大学医学部、各種国立研究機関を始め、医薬、生物工学、食品加工、医療機器、軍需産業の各メーカーの研究開発部門でも、活発に行なわれている。イスラエルの研究水準の高さは世界によく知られており、海外の医学・科学分野・軍事技術の研究諸機関との相互交流も盛んである。イスラエルではまた、医学上のさまざまな議題の国際会議が頻繁に開催されている。さらに軍需製品の性能・品質は世界トップクラスと言われる。
主に軍事目的で独自に人工衛星も打ち上げている(余談だが、通常の人工衛星は地球の自転を利用して東向きに打ち上げられるが、イスラエルの衛星は全て西向きに打ち上げられている。これは東向きでは対立するアラブ諸国に機体が落下して思わぬ紛争の火種になる恐れがあるからである)。また2003年、イスラエル初の宇宙飛行士として空軍パイロットのイラン・ラモン大佐がアメリカのスペースシャトル・コロンビアで宇宙に飛び立ったが、大気圏突入時の空中分解事故により帰らぬ人となった。
交通
自動車・バス
イスラエルのような狭い国では、車やバス、トラックなどが主な交通機関である。近年、車の急速な増大に対応し、辺鄙な地域への交通の便をはかるため、道路網の拡充がはかられた。多車線のハイウェーは目下300キロの運営だが、2004年現在南のベエルシェバから北のロシュハニクラ、ロシュピナまでハイウェー網が整備されつつある。さらに、人口稠密地にはバイパスが設けられた。
鉄道
イスラエル鉄道は、エルサレム、テルアビブ、ハイファ、ナハリヤの間で旅客運送を行っている。貨物運送としては、アシュドッド港、アシュケロン市、ベエルシェバ市、ディモナの南部の鉱山採掘場など、より南部にまで及んでいる。貨物鉄道の利用は年々増加し、乗客の利用も近年増えている。テルアビブとハイファでは、道路の交通渋滞を緩和するため、既存の路線を改善した高速鉄道サービスが導入されつつある。また、2004年10月より、ベングリオン空港とテルアビブ市内を結ぶ空港連絡鉄道が運行されている。
航空
国際線を運行する航空会社として国営航空会社のエルアル・イスラエル航空とアルキア航空があり、テルアビブのベン・グリオン国際空港をハブとしてヨーロッパやアジア、アメリカ諸国に路線を設けている。なお、ハイジャックやテロの危険が高いこともあり、両社ともに武装私服警備員を搭乗させているほか、地対空ミサイルを避けるための装置を設置していると言われている。
国民
民族と言語と宗教
古代のイスラエルはヘブライ人(聖書においてはアブラハム・イサク・ヤコブ)を先祖とする、主としてセム系の言語を用いる民族。イスラエル王国は南北分裂後アッシリアによって滅び、指導層はメソポタミア北部に強制移住させられたためイスラエルの失われた十氏族などの様々な憶測を呼んだ。またアッシリアからの入植者と混血した者の子孫はサマリア人と呼ばれる。
宗教
現在、イスラエルは宗教的・文化的・社会的背景の異なる多様な人々が住む国である。古いルーツをもつこの新しい社会("Altneuland")は、今日もなお融合発展しつつある。人口550万の内、81%がユダヤ人(半数以上がイスラエル生まれ、他は70余ヶ国からの移住者)、17.3%がアラブ人(キリスト教徒・イスラム教徒、前者にはマロン派、後者にはベドウィンなどが含まれる)、残りの1.7%がドルーズ族、チェルケス人、サマリア人、バハーイー教徒、アラウィー派、その他の少数派である。比較的若い社会(平均年令26.9才)で、社会的・宗教的関心、政治思想、経済資力、文化的創造力などに特徴があり、これらすべてが国の発展にダイナミックなはずみをつけている。
- (詳細はイスラエル (民族)・ユダヤ人・ヘブライ人を参照)
言語
現代イスラエルの公用語のひとつであるヘブライ語は、古代ヘブライ語を元に20世紀になって復元された物である。一度滅んだ言語が復元されて公用語にまでなったのはこれが唯一のケースである。
上記の理由から、現代ヘブライ語の方言はない、とされる。あるとすれば、他国からの移住者のネイティブ言語の影響による「訛り」や、各コミュニティーでの伝統的(聖書やラビ文学の朗読、礼拝などに用いる音声言語化された文語としての)なヘブライ語の発音などだろう。
イスラエル中北部やヨルダン川西岸地区に多く住むアラブ人はアラビア語の「ヨルダン定住方言」(アラビア語方言学の名称と思われるが、多分に反シオニズム的表現であると思われる。「パレスチナ方言」「イスラエル方言」という表現も可能である)を、イスラエル南部に多いアラブ人は「ネゲヴ・ベドウィン方言」を、エルサレムのアラブ人は「エルサレム方言」を、ゴラン高原の住民は「ハウラン方言」を話し、全てシリアからシナイ半島にかけて話される「シリア・パレスチナ方言」の一部であるとされる。
なお、西岸地区ではサマリア語の新聞も出されている。
関連項目
- ウルパン
「ユダヤ人」の多様性
イスラエルのユダヤ人を単に宗教的集団(ユダヤ教徒)と定義するには問題があり、ひとつの民族といえるかどうかも問題がある。ただ、ユダヤ人とユダヤ教の歴史と本質から言っても、シオニズムの歴史と理想から言っても、多くの集団を分けて呼ぶことには問題があるといえる。
- セファルディム(イベリア系;イタリア、オランダ、南米、かつてのオスマン帝国領域)、
- 東アフリカや北アフリカなどのイスラム教圏からの移民が多く、失業率も高く、砂漠地方に住む場合が多い。イスラエル独立後に、移住して来た場合が多い。ユダヤ教の戒律を重視する人が比較的多い。イスラム教はユダヤ教やキリスト教に敬意をしめすため、迫害されることは少なくユダヤ教徒としての暮らしを続けて来た。
- サマリア人
- 現在ユダヤ教徒の一派として認められている。
- カライム・クリムチャク
- ハザールとの関連も唱えられるチュルク系言語の話者。
- その他、ユダヤ教に改宗した人々(ブラック・ジュー、ミゾ)などもユダヤ教徒として住んでいる。
関連項目
- エスニック・リバイバル
社会福祉
イスラエルは高度の社会福祉の保証につとめているといわれる。とくに子供に対しては特別の配慮が払われている。よって社会福祉関係で予算に占める割合は大きい。
イスラエルの高水準の保健サービス、質の高い医療人材と研究、近代的な病院施設、高い人口当たりの医師数・医療専門家数などは、乳幼児死亡率の低さ(1,000人当り6.8人)や平均寿命の長さ(女性80.4才、男性75.4才)に表れている。乳幼児からお年寄りまで、国民全員に対する保健サービスは法に規定され、国の医療支出(GNPの8.2%)は他の先進国と肩を並べる。
教育
イスラエルでは教育は貴重な遺産であり、出身地、宗教、文化、政治体制など、背景がさまざまに異なる人々が共存している社会である。この民主的複合社会の責任あるメンバーとなるように子供を育てることが、教育制度の目的であるとされている。
大学(ウニバルシタ)は全て公立であり、比較的安価で高等教育を受けることができる。ほとんどの大学生はダブルメジャー(二つの専攻)で、平均3年で学位を取得する。高校卒業後に兵役に就き、その後、世界旅行に出てから大学に入学する場合が多いため、大学生の平均年齢は高くなっている。また、専門学校(ミクララ)が各地に存在する。
しかしながら、欧州諸国と比較すると全体的な学力レベルはかなり低く、学力低下が深刻化しつつあり、ノーベル賞受賞者や海外で活躍するイスラエル出身の学者らが、盛んに警鐘を鳴らしている。
スポーツと健康
イスラエルでもスポーツは盛んであるが、イスラエルにはプロレスリング・プロボクシングがない。かつては競馬もなかったが、2006年10月に初めて開催された。金銭を賭ける事は禁止されているため、入場者は馬が走る姿や馬術競技を観戦するだけの純粋なスポーツとして今のところ行われている。
関連項目
- ユダヤ関連用語一覧
- 古代イスラエル、イスラエルの失われた十氏族、聖書
- ディアスポラ
- ユダヤ教、ユダヤ人、ヘブライ語、聖地
- イディッシュ文学
- シオニズム
- イスラエルの国歌
- ヘブライ語文化(ヘブライ文学)、イスラエル文学
- クネセト - イスラエルの議会
- モサド
外部リンク
公的機関のサイト
- イスラエル国(日本国外務省)
- 在イスラエル日本国大使館
- 在日本イスラエル大使館
マスメディア関連サイト
- シオンとの架け橋(※イスラエル側によるパレスチナ批判。イスラエル現地紙の最新報道を和訳し、抄録している)
- Bridges for PEACE JAPAN
- メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関
- イスラエル通信
- イスラエル、ハイテク産業の強さの秘密を探る!(ニュース)
- Yedioth Ahronoth web site(ヘブライ語)(イェディオット・アハロノット。最も中立的なメディアといわれる)
- THE JERUSALEM POST(英語)
- ha‘aretz(ヘブライ語)(ハアレツ)
- Globes online(ヘブライ語)(グローブス、経済新聞)
- מעריבNRG - דף הבית(ヘブライ語)(マアリブ)
その他のサイト
参考資料
- 『ヘブライ語の父ベン・イェフダー』(ロバート・セント・ジョン 著 / 島野信宏 訳 / ミルトス / ISBN 4-89586-104-X)
- 『イスラエル建国物語』(メイヤ・レヴィン 著 / 岳 真也、武者 圭子 訳 / ミルトス / ISBN 4-89586-125-2)
- 世界歴史叢書『イスラエル現代史』(ウリ・ラーナン 著 / 滝川義人 訳 / 明石書店 / ISBN 4-7503-1862-0 / 2004年3月)
- 『イスラエル 永遠のこだま』(アブラハム・J・ヘシェル 著 / 石谷尚子 訳 / ミルトス / ISBN 4-89586-127-9)
- 『栄光への脱出』(レオン・ユリス)
- 『イスラエル・フィル誕生物語』(牛山剛 著 / 深沢聡子 協力 / ミルトス / ISBN 4-89586-020-5)
- 『イスラエル×ウクライナ紀行 東欧ユダヤ人の跡をたずねて』(佐藤康彦 著、彩流社、ISBN 4-88202-431-4、1997年2月)
- 地球の歩き方 83『イスラエル 2002~2003版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド・ビッグ社、ISBN 4-478-07081-4、2001年11月)
- 『イスラエル100の素顔 もうひとつのガイドブック』(東京農大イスラエル100の素顔編集委員会 編 / 東京農業大学出版会 / ISBN 4-88694-025-0 / 2001年4月)
- 『イスラエルの頭脳 知られざる技術大国』(川西剛 著 / 祥伝社 / ISBN 4-396-61103-X / 2000年6月)
- 『ありのままのイスラエル』(栗谷川福子 著 / 柏書房 / ISBN 4-7601-1027-5 / 1993年12月)
- 岩波現代文庫 社会 58『イスラエル ありのままの姿』(栗谷川福子 著 / 岩波書店 / ISBN 4-00-603058-4 / 2002年4月)
- 『「乳と蜜の流れる地」から 非日常の国イスラエルの日常生活』(山森みか 著 / 新教出版社 / ISBN 4-400-42734-X / 2002年5月)
- 『キブツ その素顔』(アミア・リブリッヒ 著 / 樋口範子 訳 / ミルトス / ISBN 4-89586-121-X)
- 『夢の子供たち キブツの教育』(ブルーノ・ベッテルハイム 著 / 中村悦子 訳 / 白揚社 / ISBN 4-8269-3016-X / 1977年)
- 『小さな旅から見た聖書の世界 トルコ・イスラエルを訪ねて』(門馬美恵子 著 / 日本図書刊行会 / ISBN 4-89039-525-3 / 1997年6月)
- オスプレイ・ミリタリー・シリーズ 世界の戦車イラストレイテッド 26『メルカバ主力戦車MKs 1/2/3』(サム・カッツ 著 / 山野治夫 訳 / 大日本絵画 / ISBN 4-499-22831-X / 2004年4月)
- 『水墨画家イスラエルを行く』(田中稲翠 著 / ミルトス / ISBN 4-89586-015-9)
- 『ハーブの故郷紀行 地中海沿岸11か国の人と植物』(坂出富美子 著 / いしずえ / ISBN 4-900747-76-9 / 2003年3月)
- 『聖書の土地と人びと』(新潮社 / ISBN 4-10-412501-6 / 1996年6月)
- 新潮文庫『聖書の土地と人びと』(三浦朱門・曽野綾子・河谷竜彦 著 / 新潮社 / ISBN 4-10-114637-3 / 2001年12月)
- 世界の国々 > アジア
-
東アジア: 日本 | 中華人民共和国 | 中華民国 | モンゴル国 | 大韓民国 | 朝鮮民主主義人民共和国 東南アジア: インドネシア | カンボジア | シンガポール | タイ | 東ティモール | フィリピン | ブルネイ | ベトナム | マレーシア | ミャンマー | ラオス 南アジア: インド | スリランカ | ネパール | パキスタン | バングラデシュ | ブータン | モルディブ 中央アジア: ウズベキスタン | カザフスタン | キルギス | タジキスタン | トルクメニスタン 西アジア: アゼルバイジャン | アフガニスタン | アラブ首長国連邦 | アルメニア | イエメン | イスラエル | イラク | イラン | オマーン | カタール | 北キプロス | キプロス | クウェート | グルジア | サウジアラビア | シリア | トルコ | バーレーン | パレスチナ | ヨルダン | レバノン