カニ族
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カニ族(カニぞく)とは1960年代後半から1978年頃までの若者の長期低予算旅行や、登山家のスタイル。特に人気の高かった北海道を長期間(20日間程度)旅行し続けたり本格的な登山を行うため、大きなリュックサックと費用を切り詰めた旅行が特徴であった。若人の長期旅行スタイルとして男女とも大きなリュックを担いでいたが、その後女性の旅行スタイルはアンノン族も増えていった。
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[編集] 語源
当時、長期の低予算旅行や本格的登山に適する大量に荷物の入る大きなリュックサックは、キスリング型リュックサックと呼ばれる横長のものしかなかった。これは幅が80cm程度あり、背負ったままでは列車の通路や出入り口は前向きに歩くことができず横向きにカニのように歩いたこと、リュックサックを背負った姿がカニを思わせることから、この名がついた。
[編集] 旅行スタイル
登山家のカニ族を除くと北海道などを広い範囲にわたってできるだけ長い期間旅する事が第1目標であった。旅行には一般に北海道周遊券を使用した。この券は当時東京や大阪から使用した場合の有効期間が20日間あり、周遊区間内および出発地との往復には急行列車普通車自由席に料金不要で乗車できた。
- この頃の周遊券は(今と違って)周遊区間内の特急列車にも別途料金を支払う必要があったが、有効期間が非常に長かった。カニ族の旅行スタイルは、この周遊券の機能を最大限に利用したものである。
当時の国鉄ダイヤは急行が大量に走っており、関西地区や上野からの青森行きや北海道内に多数の夜行列車が設定されていた。カニ族はこの夜行列車を最大限に利用し、宿泊費を節約した。当時旭川駅は深夜・早朝帯に列車が発着するため待合室は終夜利用可能であり、その様な駅もカニ族によく利用された。ユースホステルを利用する場合も多く、各人お気に入りのユースホステルでは長期滞在をすることもあった(さとう宗幸の項参照)。夏には帯広駅の近くにテント施設カニの宿が設営され非常に安価で宿泊できた。また旅行費用が乏しくなって牧場の手伝いや昆布取りのアルバイトをする人もいた。食費を切り詰めることも多く、食パンやカップ麺で食事を済ますことが多かった。
[編集] 終焉
カニ族の主体は大学生であった。1970年代以前は自分の自動車やオートバイを持つ若者は少なく(特に学生)、長期間の旅行には列車を使用したが、1978年のダイヤ改正ゴーサントオで急行列車が激減した結果、カニ族の活動が制限されるようになった。その後、日本では国民一般の生活水準の向上が続き、バブル経済の経験もあって、貧乏旅行を楽しむような雰囲気が薄れ、学生の間でもオートバイや自動車が普及し、カニ族は消滅に向かった。また、登山家のスタイルもリュックサックがキスリング型から円筒形のインターナルフレームパック型(「エビ族」と呼ばれる場合がある)が主流に移るとともに、伝統的カニ族スタイルからは遠ざかっていった。そこで、ホステラー(ユースホステル利用の旅行者)など国内の低予算旅行者の間で「カニ族」の語は死語となった。その代わりに、リュックサックを用いる者も含めて鉄道利用の低予算旅行者を表わす「じぇあらー(または、ジェーアーラー)」の語が国内のホステラーの間で使用された時期もあった。
カニ族の減少とともに、若者の国内の低予算旅行は、オートバイや自動車、高速バスによる旅行が主体となったが、若者のオートバイ離れにより、1990年代後半以降はオートバイによる貧乏旅行は減少した。1980年代からは、青春18きっぷ・北海道&東日本パスで列車旅を楽しむ若者もおり、「18きっぱー」などと呼ばれている。
なお、リュックサックを用いて費用を節約する長期旅行では、低価格の国際線航空券が多く流通するようになったことで、国内ではなく海外でバックパッキングをする日本人の若者が増加した。
カニ族と同時期に見られた、初期の若者による北海道バイク旅行のスタイルは「ミツバチ族」と呼ばれた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- カニの家 昭和52年(エビ族の記述有り)