カルロス・アレクシャンドレ・トーレス
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カルロス・アレクシャンドレ・トーレス(Carlos Alexandre Torres 1966年8月22日- 通称トーレス)はブラジル、リオデジャネイロ州、リオデジャネイロ市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF (センターバック)。187cm、83kg。
ブラジルサッカー史上、最も偉大なDFと言われるカルロス・アウベルトの息子であるため、ブラジル国内では常に父親と比べられる状況にあったという。
1995年にJリーグの名古屋グランパスエイトに移籍し、アーセン・ベンゲル監督の元でディフェンスリーダーとして活躍。当時の名古屋グランパスエイトは93年の開幕以来Jリーグの最下位を争うチーム状況であったが95年のアーセン・ベンゲル監督就任により94年途中に加入していたものの、日本になじめずにいた世界最高峰の司令塔ドラガン・ストイコビッチを中心にしたチームとして生まれ変わった。そのとき新加入していたトーレスと、アーセン・ベンゲルが連れて来たデュリックスはチームの軸として活躍し、96年の元日には天皇杯優勝へと至った。その後も不動のセンターバックとして活躍。敵のチャンス先読みして未然に防ぐ守備能力に、空中戦の圧倒的強さを併せ持っていた。調子にやや波があるものの、Jリーグ屈指のDFであった。しかし、2000年に突然ブラジルの名門バスコ・ダ・ガマに引き抜かれ、二度目の天皇杯優勝で波に乗る名古屋は失速、現在に至ってもトーレス在籍時のような守備の安定感は戻っていない。 引退後の2003年にもジョアン・カルロス監督の右腕としてコンサドーレ札幌コーチとして来日している。
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[編集] 経歴
[編集] 選手
- フルミネンセ 〔ブラジル〕 (1986年-1991年)
- CRヴァスコ・ダ・ガマ 〔ブラジル〕 (1992年-1994年)
- 名古屋グランパスエイト 〔日本〕 (1995年-1999年)
- CRヴァスコ・ダ・ガマ 〔ブラジル〕 (2000年)
[編集] 指導者
- コンサドーレ札幌 〔日本〕 (アシスタントコーチ:2003年)
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | J1/J2 | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 |
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1995年 | 名古屋 | J | - | 36試合6得点 | - | 4試合0得点 |
1996年 | 名古屋 | J | - | 29試合2得点 | 13試合0得点 | 1試合0得点 |
1997年 | 名古屋 | J | 5 | 29試合2得点 | 10試合1得点 | 1試合0得点 |
1998年 | 名古屋 | J | 5 | 24試合0得点 | 4試合0得点 | 4試合0得点 |
1999年 | 名古屋 | J1 | 5 | 24試合1得点 | 4試合2得点 | 4試合1得点 |
通算 | J1 | 142試合11得点 | 31試合3得点 | 14試合1得点 |