クリストフ・プランタン
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クリストフ・プランタン(Christophe Plantin; クリストフェル・プランタイン Christoffel Plantijn、1520年5月頃-1589年7月1日)は、フランス出身の出版業者。アントウェルペンを主たる活動拠点とし(1548年-1589年)、パリ(1566年-1577年)やライデン(1583年-1585年)でも出版を手掛けた。彼が手掛けた出版物は1500点を超える。
トゥールに近いサン=タヴェルタンで生まれた。パリで製本術を、カーンで印刷術を、それぞれ学んだ。彼は、フェリペ2世の秘書であり製本業者でもあったガブリエル・ド・ザヤスの下請けもした。
プランタンが手掛けた出版物の中でよく知られているのは、『ビブリア・ポリグロッタ』(多国語の聖書、1569年-1572年)である。
彼はアントワープでスペイン王の印刷業者長 (Architypographe) に任命された(1570年。現ベルギーは当時スペイン領)。このほか、ライデンではライデン大学の御用業者に任命された。
1589年にアントワープで没したが、その事業は娘婿のジャン・メラントルフ(ヤン・モレトゥス)が引き継いだ。オフィキナ・プランティニアナ(Officina Plantiniana, プランタンの出版所)は丸ごと現存しており、現在では、プランタン=モレトゥス博物館として、ユネスコの世界遺産に登録されている。オフィキナ・プランティニアナはベルギーにかつて存在した印刷出版企業としては最も重要なものであると見なされている。
[編集] ラボレ・エト・コンスタンティア
プランタンは3つの異なる商標を用いた。そのうち、1564年以降に用いた3番目のものは、「黄金のコンパスにて」の名で参照される。彼は異なるコレクションを区別するために、この商標を異なる枠飾りと共に用いた。この商標は常に「ラボレ・エト・コンスタンティア」(Labore et Constantia, 勤労と辛抱とによって、を意味するラテン語)という銘句と組み合わせて用いられた。
プランタンは、ロベール・エチエンヌに倣い、門前に校正刷りを展示していた。そして、誤植を発見した人には謝礼を進呈することを約束していた。
[編集] 関連項目
- プランタン (小惑星)(クリストフ・プランタンに因んで命名された)