コムソモレツ (潜水艦)
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コムソモレツは、旧ソビエト海軍の原子力攻撃型潜水艦。旧名、K-278から、1988年8月命名。旧ソ連側の呼称はプロイェクト685 "Plavnik"。NATOコードネームは、マイク(Mike)。
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[編集] 概要
コムソモレツはパパ級原子力潜水艦と同様に、実験的な性格を持った艦である。この級のもととなったのは1966年8月、当時のソ連海軍総司令部による指令で、その目的は、従来の潜水艦の潜航深度を大幅に上回る実験潜水艦の技術研究であった。
さらに、この685号計画においては、単なる実験艦ではなく、実戦運用に堪える潜水艦であることが要求された。すなわち、全面核戦争が起こった際の海中司令部としての役割である。陸上の艦隊司令部が核攻撃で破壊されても、司令部要員は、本艦に乗り込んで引き続き艦隊を指揮する事が求められたのである。これらの要求に応えるため、コムソモレツの船殻にはチタン合金が採用されたほか、大深度での緊急事態に備えた緊急浮上システムが備えられたほか、極限まで外殻開口部を少なくする工夫が施されたほか、全乗員を収容しての脱出が可能な脱出室がセイルに組み込まれた。なお、コムソモレツから得られた技術的知見は後の原潜にも生かされ、船体設計と原子炉はシエラ級に受け継がれ、のちにアクラ級に発展した。この他、研究段階での加圧水槽実験のデータも生かされているという。
1974年12月16日に建造が承認され、1984年に就役すると、コムソモレツは大深度潜航の実験に積極的に用いられた。1985年には、1027mの潜航を実施したが、これは現在もなお戦闘用潜水艦の世界記録である。
なお、有事の際の海中司令部という性格上、北方艦隊用の本艦の他、太平洋艦隊向けの2番艦の建造計画があったが、予算上の問題から起工されること無く終わっている。
[編集] 事故
1989年4月7日、ノルウェイ海沖で演習中のコムソモレツの第7区画で火災が発生、艦は急浮上した。電気システムがショートし、原子炉は緊急停止した。圧搾空気システムから漏れが生じ、その結果、火災は拡大していった。乗員は消火にあたったが、艦内は高温となり、消火に当たっていた乗組員が被っていた防護用ゴムマスクは溶けて顔面に貼り付いた。緊急用呼吸システムが一部破損して一酸化炭素が入り込み、乗員の多くが一酸化炭素中毒になった。拡大する火災を消す事は出来ず、酸素タンクと潤滑油タンクが爆発して耐圧殻が破壊され、艦内に大量浸水し、ついに艦は沈没した。艦が沈没する際、乗員の多くは凍りそうな海面に飛び込み、ほとんどが凍死した。この時、同艦に乗り組んでいたのは、経験の浅いセカンドチームであったため、事故に適切に対処できなかった、という見方もある。艦長エフゲニー・ワニン大佐も、705K(アルファ)型の艦長から転任して日が浅く、本艦に慣れていなかった。
火災の原因は現在も明らかではないが、第7区画の酸素濃度が高すぎたため、電気システムのショートが引き起こされた、という見方がある。また、火災発生後、機密漏洩を懸念するあまり救助活動が遅れ、火災だけでなく、脱出後の海上の寒冷による死者も発生した。艦が沈む際、最後まで艦に留まっていたエフゲニー・ワニン艦長以下5名が本艦に装備されていた脱出用チェンバーを使って脱出したが、艦長以下、乗員の誰も脱出用チェンバーの使い方を知らず、いざ脱出直前になってから、説明書を読んでいる有様だった。チェンバーは海面に浮上したものの、あまりに急に浮上したため、中に乗っていた5名のうち4名は気圧障害で潰され即死、浮上時に気圧変化で開いたハッチから海面に放り出された。スルサリェンコ准尉ただ1人が奇跡的に生き延びたが、彼も全身を骨折していた。最終的に搭乗していた64名のうち42名が殉職した。
ノルウェイ海北部の水深1685メートル地点に沈没したコムソモレツは、2本の核魚雷を搭載していた。この2本の魚雷の核弾頭のプルトニウム計12kgが海中に漏れ出すのを防ぐため、後日、深海作業で魚雷発射口6ヶ所と、沈没時に生じた亀裂3ヶ所が、ゴムとチタンのシールで覆われた。
[編集] 要目
旧ソ連・ロシアの軍用ハードウェアの要目(特に数値)については資料によりばらつきがあることが珍しくない。ここでは参考文献および外部リンクに挙げた資料を参照し、食い違いがある場合には、より新しい資料であるポルトフ[2005]の記述を採用した。
- 全長:118.4m
- 全幅:11.1m
- 喫水:7.4m
- 水上排水量:5,880t
- 水中排水量:8,500t
- 予備浮力:36%
- 船体構造:チタン製複殻式、7区画
- 機関:原子力ギアドタービン方式 - OK-650B-3型加圧水型型原子炉(190MW)×1基/蒸気タービン(43,000馬力)×1基/スクリュー×1軸
- 最高速力:水上14kt、水中30kt
- 連続航海期間:90日
- 運用深度(安全/最大):1000/1250m
- 乗員:57名(1986年からは64名)
- 探索装置:MGK-305型ソナー
- 航海・指揮機材:オムニブス型戦闘情報指揮システム、モルニヤL型通信システム、メドヴェディツァ685航法システム
- 兵装:533mm(21inch)魚雷発射管×6基 - 魚雷およびミサイル×12~16本
- 同型艦:なし
[編集] 参考文献
- アンドレイ・V・ポルトフ、2005、『ソ連/ロシア原潜建造史』、海人社
- A.S.Pavlov, Gregory Toker (translator), Norman Friedman (editor, English language edition), 1997, "Warships of the USSR and Russia 1945-1995", [Annapolis, Maryland]: Naval institute press, ISBN 155750671X.
[編集] 関連項目
以下は、旧ソ連におけるチタン製船殻の潜水艦
[編集] 外部リンク
以下全て、欧文サイト。
- Project 685 (Plavnik) - Mike Class
- Книга памяти - K-278
- Montgomery, George, 1995, "The Komsomolets Disaster", Studies in intelligence, Vol. 38, No. 5.
カテゴリ: ソ連・ロシアの潜水艦 | 原子力潜水艦