ジンギスカン (料理)
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ジンギスカンは、日本で発生した羊肉料理で、マトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)を用いた焼肉料理の一種。「成吉思汗」という漢字名で表記されることもある。
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[編集] 特徴
戦前に出現した当初は、酒の肴、おかずとして羊肉のみを焼いたものであり、戦後に至って野菜を加えて焼くようになった。後には野菜を敷いた上で羊肉を蒸し焼きにする方法や、うどんを入れる焼き方も行われるようになった。
北海道の郷土料理として知られているが、他にも本州でも岩手県の県北沿岸部や遠野市、長野県上水内郡信州新町、岡山県真庭市の蒜山高原など、局地的に常食されている地域がある。
これらの地域では花見をはじめとした宴会や集会の打ち上げなどで食べられることが多く、俗に「盆・暮れ・正月・花見にジンギスカン」とまで言われている。「焼肉」がすなわちジンギスカンを指す場合すらあり、各種イベントには欠かすことができないものとなっている。
北海道を象徴する料理の一つとして、2004年10月22日、北海道遺産に選定された。
[編集] ジンギスカン鍋
調理には専用の鍋として、鉄の浅い帽子のような形をした鋳物製のジンギスカン鍋を用いる。
ジンギスカン鍋の形は時代によって変化した。この種の鍋が現れた昭和初期の時点では、ストーブのロストル(火皿)のように平行の溝が設けられていた。取っ手は無かったため、すき焼き鍋の鍋掴みに似た器具、若しくは鍋面にある専用の穴に栓抜き型の取っ手を差し込んで鍋を動かした。
- 戦前のジンギスカン料理店「成吉思荘」の初期の鍋は特に大型だった。移動させるときは氷屋の氷を運ぶ大きなやっとこのような専用の運搬具を使い、鉄製焜炉ごと運んだ。重すぎて女性の腕力では容易に運べず、運搬専門の男子を雇っていた。
戦後、鍋の頂上から周辺に向かって星形に溝が作られ、取っ手が両脇に付いた。さらに室内用やガス焜炉用に、なるべく煙が出ないよう単に凹凸をつけるだけで、火の中に肉から出る脂や肉汁を落とす隙間のない鍋も出現した。また、その周囲にドーナツ状になっている平坦な部分(汁溜り)に野菜を乗せることによって、焼く段階で、肉汁や脂肪分(調理法によっては肉から染み出したタレも)を野菜に染み込ませる調理法が定着してきた。
遠野市では、屋外でジンギスカンを調理する際、金属製のバケツに通風孔を開けたものを七輪代わりに使用することが多い。このバケツはジンギスカンバケツと呼ばれる。七輪と比べ、軽くて持ち運びが容易であり、ジンギスカン鍋の座りも良い。
遠野市内の金物店では、最初からジンギスカン用に作られた穴あきバケツが売られている。
[編集] ジンギスカン鍋以外によるジンギスカン
近年の家庭ではジンギスカン鍋を使わずにホットプレートで代用されることも多く、花見など屋外の場合は焼肉用の金網、鉄板を使うこともある。この場合、材料以外には一般の焼肉や鉄板焼きとの差異は大きく見出しがたい。 特異な鉄板代用の例としては、北海道の一部地域に波形トタン板を用いるスタイルがあったが、ジンギスカン鍋が安く入手できるようになった今も残っているとは考えにくい。
[編集] 種類
北海道においては、2つのタイプのジンギスカンがある。あらかじめタレに漬け込んで下味を付けた「味付けジンギスカン」と、生肉を焼き後からタレを付けて食べる「生ジンギスカン」である。ここで用いられる「生」という意味は、単に「味がついていない」という意味であり、実際には一度冷凍して解凍したものであることが多い。しかし近年は一度も冷凍をしていない「生ラム」が登場し、冷凍肉のシェアを奪っている。
- 「味付けジンギスカン」が主流なのは、旭川市などの上川支庁地域や、滝川市などの空知支庁中北部。最近では味付けジンギスカンを「旭川ジンギスカン」と呼ぶ店も出てきた。長沼町の「長沼ジンギスカン」、帯広市の白樺などもこのタイプである。
- 「生ジンギスカン」が主流なのは札幌市、函館市、室蘭市、釧路市などの北海道南部、北海道東部の海岸部。観光名所となっているビール園の主流も生ジンギスカンである。
- 但し、地域区分をはっきりと分けることは難しい。その家庭によっても食べられるもののタイプが異なる。
- 東経141度(留萌市)以西(札幌市もここに含まれる)付近と東経144度(釧路市)以東付近の二地域をかつて「生ジンギスカン」が主流だった地域、両地域に挟まれた部分の地域をかつて「味付けジンギスカン」が主流だった地域としてそれぞれみなす説があるが、経度で強引に区切ったやや恣意的な区分なのは否めない。
下味をつけた味付きジンギスカンでは、羊肉特有の臭みが抑えられている。著名なジンギスカン料理店「松尾ジンギスカン」などに代表されるように、すりおろしたりんご・にんにくや蜂蜜などを加えた独特のタレにより、肉と野菜のうまみを最大限に引き出す工夫が為されている。ジンギスカンを愛好する北海道民は、各食肉メーカーや精肉店オリジナルのジンギスカン用味付け肉について味の傾向を熟知し、また、新しい製品の評価に余念がない。
肉と同様に、ジンギスカン用のつけダレも多種が市販され、道民の需要に応えている。中でもベル食品とソラチのジンギスカンのたれが代表的であり、北海道内のスーパーマーケットで広く販売されている。
長野県においては、漬け込み肉のジンギスカンが主流であり、地元メーカーの味付けマトンが容易に手に入る。同じ漬け込みタイプの北海道産と比べて味付けがかなり異なり、どちらかというと一般的な焼肉のタレに近いまろやかな味付けである。長野県でも近年北海道産のジンギスカン用つけダレが販売されるようになっている。逆に長野県産のつけダレが北海道で売られる例はほとんどみられない。
[編集] 起源
中国料理の「烤羊肉」(カオヤンロー)に影響を受けたと見られる日本料理である。
なお、その名称から、「ジンギスカンが遠征の陣営で好んで食べた」「ジンギスカン率いるモンゴル軍兵士が自分の兜で羊肉を焼いたのが起源」とするなどの俗説があるが、羊肉を常食するモンゴルにいかにもありそうな料理として拡大解釈されたものであるとみられる。
ジンギスカン鍋の起源として有名なのは、後述の、南満州鉄道駒井徳三が命名したことと、東京の「成吉思荘」でメニューとして初出したことであるが、他にも、山形県蔵王温泉[1]や岩手県遠野市[2]がそれぞれ起源を主張している。
[編集] 戦前
日本では1918年(大正7年)に軍隊、警察、鉄道員用制服の素材となる羊毛自給をめざす「緬羊百万頭計画」が立案された。その早期実現のために羊毛のみならず羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と、飼育頭数増加を企図した。
しかし、日本人は従来、羊肉を食べる習慣がほとんどなかった。日本で受け入れられる羊肉料理を開発する必要に迫られ、農商務省は東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)に料理研究を委託した(山田喜平著「緬羊と其飼ひ方」より)。その流れの中からジンギスカンが出現したものと見られ、1920年代にはその原型となる料理が案出されていたようである。
なお、文献での「ジンギスカン」の初出は1926年(大正15年)であり、最初のジンギスカン専門店は1936年(昭和11年)に東京都杉並区に開かれた「成吉思(じんぎす)荘」である。
東北帝国大学農科大学(北海道大学の前身)出身で、満洲国建国に深くかかわった駒井徳三が、1912年(大正元年)から9年間の南満州鉄道社員時代に「ジンギスカン鍋」と命名したとする説があるが、この説については駒井徳三の娘の満洲野(ますの)が1963年(昭和38年)に発表したエッセイ「父とジンギスカン鍋」における命名の推定以外に出典が発見されておらず、裏付けとなる確認はできていない。
[編集] 戦中・戦後
本格的な普及は、第二次世界大戦前後の食糧不足がきっかけであったと見られている。
この時代、食料不足・衣料不足解消を背景に、日本政府が羊肉消費促進運動を進めた史実があった。その中心は北海道滝川市の道立種羊場であり、ここで味付けジンギスカン用の漬けダレの製法を学んだという証言者がある。
これとは別に、深刻だった食糧不足の解消を目的として、羊肉に注目した道が普及活動を始めたという説もある。札幌の円山公園でジンギスカン鍋を食べている道職員を写した1948年(昭和23年)頃の写真(当時の道農務部職員撮影)が残されている。
かつて牛肉が非常に高価だったのに対し、北海道などでは羊毛用の羊が多く飼育されており、羊肉が安く手に入った。産地に近いことから輸送期間が短く、マトンでも新鮮で臭みがさほど強くなかったため、羊肉料理は北海道で普及した。
しかし日本全体を見ると結果的に羊肉消費文化が広く根付くことはなく、北海道以外で羊肉料理が普及したのは、年間消費量が道民並みの岩手県遠野市、北海道以外の発祥地説もある長野県の一部地域などにとどまった。一般に気候条件などで牧羊に適さない地域が多く、精肉の輸送条件などから新鮮な肉の供給ができなかった(従って、ラムよりも、時間をおくと臭みが出るマトンが出回った)ことが、本州以南で羊がメジャーにならなかった原因と考えられる。むしろ豚肉が多く普及した。
なお、羊肉普及地の北海道においても、ラム(仔羊肉)の普及は比較的最近(バブル期以降)のことであり、それ以前は庶民向けの食用肉といえば豚肉とマトン、鶏肉の三種類であった。また北海道で現在のようにスライスした羊肉を焼くことが広まったのは、かなり時代が下って冷凍技術が進んでからであって、それまでは厚切りか小さな塊状の肉を焼くことが多かったという証言もある。
1才を超えた緬羊のマトンは、ラムと比較した場合の臭みが強いことは否めないが、食べ慣れた人々からは、むしろジンギスカンには臭みが強いマトンの方こそうまいという評価もされている。
現在は、羊肉に含まれる「L(エル)-カルニチン」という物質によって「食べても脂肪がつきにくい」というダイエット効果があるとの評判により、ジンギスカンを含め羊肉自体の評価が変わりつつある。
[編集] 調理法
ジンギスカンの調理法には、たれに漬け込んで、味の付いた羊肉を使う場合と、生の羊肉若しくはロールの羊肉の薄切りを使う場合とに大別される。
- 味付けジンギスカン
- ジンギスカン鍋を火にかけ、熱くなったころに羊の脂塊を塗りつける。
- モヤシをメインに、あらかじめ切っておいた玉ねぎ、ニンジン、ピーマンなどの野菜で鍋全面を覆う。
- ある程度野菜に火が通ってきたら、鍋の汁溜まりに野菜を下ろし、味付けの肉を鍋の上部の丸い部分に載せ焼き始める。このとき、肉の漬けタレを鍋の下部の汁溜まりに適量流し込み、野菜の煮込みに入る。
- 肉を焼き始めると、焼けて香ばしくなった肉汁が汁溜まりに流れ込む。肉は火が通ったらそのまま食べる。野菜も煮えたことを確認したら食べる。
- 肉と野菜を継ぎ足し、焼けたら食べることを繰り返す。終盤に入るとすき焼きの締めに近い形で仕上げになる。汁溜まりで適度に煮詰まった肉汁とタレの中に、うどん玉(丸麺が良い)や中華麺(やきそばの麺を流用する)、または角餅を短冊に切ったものなどを投入し、煮込んで賞味する。最後に生卵を投入し、卵とじ風に食べる方法もある。
- 生肉ジンギスカン
- ジンギスカン鍋を火にかけ、羊肉の脂身を塗りつけ、煙が立つくらいまで鍋を焼く。
- 脂身でぬぐった鍋面に、薄切りの羊肉片を乗せて拡げる。直ぐ焼けるから余り多く焼かない。肉に火が通ったら焦げないうちに、市販の好みのたれ若しくは自家製のたれを付けながら食べる。
- 肉を焼く場所以外のところに、あらかじめ薄く切っておいた玉ねぎ、モヤシ、カボチャ、ピーマン、キャベツなど好みの野菜を並べ、焼けたら肉片と同じく、たれを付けて食べる。肉汁が鍋の縁にたまったら、そこにも野菜を置くと、肉汁のしみ込んだ野菜が食べられる。
古くはジンギスカン焼き、ジンギスカン鍋といわれた史実が示すように、焦げ目の付いた羊肉を賞味するのが当初の食べ方であった。1930年代に日本初とみられるジンギスカン鍋ができたとき、その使用法において「焼き肉を度々裏返して、焼くと切角美味しい汁が、火の中に落ちて、味が低下します」と、あっさりした焼き方が推奨されていた。成吉思荘では、女中が肩ロース片を1切れずつ焼いて客に勧めたという。
野菜で覆っておいて肉片を鍋に直接当てず、蒸し焼きのようにする焼き方は、味付け肉によるジンギスカンが普及してから考え出されたもののようである。
通常、鍋を囲む各自がめいめいに自分の食べる分の肉を焼くが、宴会のホスト役が焼き役を任せるスタイルもある。
尚、ジンギスカンの例に限らないが、付け沿えの野菜等は所詮添え物であることから「これが本場」的な食べ方などといったものは存在せず、季節やご当地により様々存在することは言うまでもない(地域柄によっては、岩手県北部の沿岸地域などに見られる例のように、一般に紹介例として多いモヤシなどは一切用せず、キャベツやタマネギの他に好みによってブロック切りにした木綿豆腐や焼き豆腐を付け沿えるところさえある)。